• ★中共幹部は如何にして資本家に化けおおせたか — 中国企業の国営・私営の関係の変化(1)★2017年9月9日

    by  • September 9, 2017 • 日文文章 • 0 Comments

    中国人全ての目が好むと好まざるに関わらず、2017年10月18日より北京で開催される中国共産党第十九次全国代表大会の人事や権力闘争に目を奪われています。が、実は民生に関係するもっと深刻な経済政策がそっと方向転換中です。中国の私営企業が何年もずっと心配してきた「公私合営」が現実になったのです。中国聯合通信有限公司(訳注 : 中国聯通、チャイナ・ユニコム、中国政府によって設立)は8月16日に780億人民元の国有・私有企業持ち株混合所有制(「混改」)方案を発表しました。ギョッとするのは、BATJ(訳注 : 中国ネット企業の4巨頭バイドゥ、アリババ、テンセント、京東)などの中国の大ネット企業が全て参加し、各社が数十億元から百億元の資本で中国聯通の株を所有したことで、これによって中国政府の2015国有企業改革方案の夢が実現しました。民営資本を、発言権を与えないで、国有企業に吸収する、ということです。仰天の「公私合営」が始まったのです。習近平は、毛沢東時代に回帰したいだわ、と人々は驚いています。
     中国の改革解放以来、経済における公私の関係はまことに大きな流れを辿ってきたわけで、中国共産党の資本主義と私有経済に対する本当の姿勢をはっきりさせるには、これを回顧して見る必要があります。

     ★耳を抑えて鈴を盗む 「私有化せず」

    習近平が。毛沢東時代に戻りたいと思っている、という解釈はいささか軽率です。少なくとも、習近平は現在、社会主義的な計画経済をやろうとしているわけではありません。鄧小平の改革開放以来の路線転換を見れば、中共が手探りで道を探す過程では、人類の歴史上初めての、程暁農が「共産党資本主義」と呼ぶ、独特の政治経済制度を創り上げることで、共産党専制政治と資本主義を結びつけたことが分かります。そしてこの40年来の改革の過程が証明しているように、中共執政集団はとっくに、教条主義者ではなくなっており、政権の生存に有利で、そのリソースを増やすものであるならば、その方向だろうが、政治上の同盟相手(社会集団)を変えることだろうが、政治上どんな路線調整だってやってのけます。経済ときたらもっと、臨機応変に、市場経済、私有経済、外国資本といった、本来なら共産主義が教条的に排斥するものだって、さっさと受け入れてしまい、こうして政府のコントロールと市場経済を高度なレベルで結合したモデルと作り出してきました。

     このやり方は大変、中共政権に有利でした。公営と私営の間にパイプを維持して、政府が肝心要の資源を抑えておけますし、また、好きな時に政策を調整出来ます。必要なら、開放政策で人々に臨機応変に主体的にマーケットを開拓させ、政府が困難な時は、私営企業に無理やり国営企業に”輸血”させることが出来ます。中国聯通の「混改」はその始まりなのです。

     外部世界では、皆知っていることですが、中共は胡錦濤時期に「五つのやらないこと」(訳注 : 五不搞” — 「複数政党による政権交代はやらない、指導思想の多元化はやらない、”三権分立”と両院制はやらない、連邦制はやらない、私有化はやらない」)がありましたが、そこには、はっきり「私有化はやらない」があります。中共がこの「私有化をやらない」を宣言した時に、中国経済は、実際には、既に国有、外資、私営企業が天下を三分していました。

    中共統治の、この70年間の歴史を見ると、興味深い現象がみられます。前半の30年には、中共は暴力的な手段で「化私為公」(私を公に)をやって、中共政権を全国で唯一の地主及び資産所有者にし、全ての中国人はみな無産者になりました。後半の30年以上の間は、鄧小平が1978年末から始めた経済改革です。政治的権力を使って「化公為私」(公を私に)して、共産党幹部と紅色貴族のメンバーを、超級大金持ち階級にしました。胡錦濤・温家宝の第二時期には、「化公為私」による私有化はすっかり共産党資本主義の動向となったのですが、そこで突然、「私有化はやらない」が出てきたのですから、中国はやっぱり、社会主義国家なんだろうか、という話です。

     これは、しかし、中共が言行不一致、表と裏が違うといった話では全くありません。中共は、資本主義とセットの民主政治が、中共政権の地位を脅かすものだと見て取ったからなのです。いわゆる共産党資本主義とはつまり共産党が永遠に、権力を握ったまま資本主義をやるということです。この目的のためとあれば、中共権力集団は、崇拝する教条だって捨てますし、政府のコントロールも臨機応変に緩めます。この点をしっかり抑えてこそ、この30年以上の年月の間、国有企業をお荷物になったときに、そのお荷物をほうり捨てる目的で、中共が「大きなものを掴み、小さなものは自由にさせる」という「国営企業改革」を展開してきた意味が理解出来ます。そして、これと同時に、執政の社会的基盤を政治、経済、知識の三大エリート連盟として調整してきたわけです。今や、中国経済は、あちこちがボロボロになっており、長期衰亡の傾向は避けれれませんから、中共体制に頼って金儲けをしてきた各分野のスーパーリッチたちは、権力者の政治ービジネス関係構造の再構築の巨大なプレッシャーに直面しているのです。

     ★政治ービジネス関係構造変化;共産党幹部が資本家に変身

    毛沢東時代に行われた計画経済は、1976年9月に毛沢東が死んでから、後継者の華国鋒が受け継ぎました。1978年ん第11節3中全会後に、鄧小平が再び表舞台に立って、経済改革を推進し、社会主義制度を前提とした上で、個体小規模私営経済の経営を許し、同時に計画経済を弱めたのですが、しかし、私有化は許しませんで、例えば、私企業の従業員は8人を超えてはならず、8人以上なら資本主義だとしました。しかし、こんなマルクス主義の経典教義からでてきたような馬鹿らしい規定は、1980年末には完全に打破されました。それでも、私有化というのは確かに、なかなかデリケートな”立ち入り禁止”区域ではありました。

    1990年の後期になって国営企業の改革が始まって、中国の抽象国営企業経営者は、初めて私営企業主、つまり資本家になるチャンスが生まれたのです。鄧小平は1997年2月にこの世を去りました。その10カ月後に、中国政府は、「大きなものを掴み、小さなものは自由にさせる」国営企業改革を推進すると宣言し、抽象国営企業の私有化を許しました。「「大きなものを掴み」というのは、資産規模が大きく、民生に深く関係する金融、エネルギー、電力、電信、交通などの企業で、その資産を再編制したあと株式市場に上場を許しましたが、この「資産の再編成」というのは国営企業が、外部の人士と外部の資本に売り出された株です。しかし、国家は依然として支配権(株式の51%、または筆頭株主)です。「小さなものは自由にさせる」(放小)とは、市場の先行きの思わしくない、損害が甚大な抽象国有企業は売りに出して、その私有化を許して、政府のお荷物を減らそうということでした。

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     時の朱鎔基総理がこのような政策を採用したのは、主に二つの面から考えたことです。

     第一には、国営企業が銀行からの借金を返す見通しがなく、国営企業システムが崩壊に瀕していた。鄧小平時代の経済改革は国営企業の、例えば無駄な労働者が山ほどいるとか、非効率とか、甚だしい浪費、企業の深刻な毀損といった欠点を解決出来ませんで、ただ、なんとか国有銀行の借金に頼って回しているだけでした。経営状況が日増しに悪化する中で、多くの国有企業は銀行からの借金返済を停止し、中には利息すら払えないのもありました。1996年の国有銀行の帳簿上の、期限をすぎた貸金は、貸金総額の7割前後もありましたので、もしそのまま国営企業に資本輸血を続けていたら、金融システムは国営企業もろとも崩壊してしまいます。

     第二には、中国は、輸出拡大のために、WTO(世界貿易機関)に加盟を急いでいました。当時、WTOが中国を受け入れる前提は、15年で中国が、市場経済体制を樹立すること、すなわち、計画経済をやめて、国有企業の私有化を行わねばならないというものでしたから、中国が国有企業の私有化をすることが証明出来なければ、WTO加盟は果たせませんでした。

     中国の私有化の過程というのは、二つの段階に分けられるのです。第一段階は、1997年下半期から、2001年の約4年間で、主に、抽象国有企業の私有化で、工場長や社長などの私人が企業を所有することでした。程暁農は買って、130の国営企業の私有化の事例を分析し、数種類の帰納的な研究方法を使って、中国企業の私有化過程のブラックボックスを明らかにしました。彼らのやり方は、通常、故意に企業の純資産価値を低く評価して、それから直接、企業債公募や、企業名義での銀行からの借金(個人的な借金も希にはある)、自分の管理する企業を買収し、自分や家族の名前で登記。最後に、新しい企業の所有者としての名義で、私有化後の企業の借金で、自分が企業を購入した時の借金を返済します。つまり、自分たちが管理する企業を購入するにあたって、ほとんどお金を払わないで、時には、まるきり払わないで企業を手に入れることが出来たのでした。

     第二段階は、大型・中型国有企業の部分的私有化((partial privatization)で、これは大体、2002年に始まり、2009年に基本的に完成を見ました。そのやり方は、国有企業を改組した後、上場し、管理職レベルが株を持つ(MBO,Management Buyout)、職員労働やが株を持つ、外資と合同する、私営企業と合同するなどです。こうした企業の規模は、とてつもない大きさなので、工場長や経営者が、自分たちだけで、まるまる飲み込むのは無理でした。ですから、通常、公的な借金で、企業の株を購入し、企業のハイレベル・ミドルレベルの幹部、企業を上場の許可権利をもった政府部門の官僚や家族に賄賂として贈り、共謀関係を作りました。こうした共産党の国営企業幹部と政府官僚は、一銭もコストなしで、大中の上場企業の経営者や理事に治り、その立場を有利に利用して資産所有者になったのでした。

     これは、1997年末から2009年に基本的に終わりました。1996年の全国国有工業は11万社ありましたが、2008年末には、たった9700社に減りました。その中にはすでに、部分的な私有化を終えたけれども、政府が依然として株をコントロールしている大型国有企業もあります。
    当Webサイト連載のブログ集改訳;日中両文収録 
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     何清漣さんの「中国2015」表紙

     中国の、この私有化過程が一体どれほどの、中共内部の人間を、無産者から、百万、千万の資本を要する企業所有者に変えたのか? 二つの全国的なサンプル調査のデータがあ理ますが、結論は、5割から6割の企業が、企業管理者層の私人所有になっており、4分の1が、企業外部から企業を購入し、他の業界からの投資家によるもの。外資が所有するのはわずか2%にも足りません。注目に値するのは、職員・労働者と管理者が共同所有になっている株も、職員・労働者は基本的に、資産や経営状況の中身を知るすべがないので、実際には、かなりの部分がただ、管理者層が、企業を所有するのを助けるだけになっていることです。(続く)

     拙訳御免。
     原文は 何清涟: 从国企混改看中国经济公私之变(1)

    「私有化は許されない」建前の裏で— 中国企業の国営・私営の関係の変化⑵★ 2017年9月10日 に続く。

    中国——とっくにクライシス、なのに崩壊しない“紅い帝国

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