• ★王岐山の去就がなぜ大きな焦点になったのか★ 2017年10月5日

    by  • November 4, 2017 • 日文文章 • 0 Comments

     中共総書記の習近平の執政は間も無く満五年を迎えます。この5年間は確かにハラハラした歩みでした。帝王の座に着く前には、同じ太子党の薄熙来・政治局常務委員で政法委書記だった周永康組と権力争奪戦を演じましたし、帝王の座に着いてからも、明暗様々な反対政治勢力に対して、反腐敗キャンペーンを通じて排除せざるを得ませんでした。ついでに腐敗の極みであった官僚界も大掃除を果たし、なんとか、党・政・軍の三代システムを概ねキレイにして新たな布陣を整えたわけです。しかし、中国共産党第十九回全国代表大会(19大)の開かれる2017年には、諜報機関系統の集団的反抗に遭遇しました。前国家安全部常務副部長の馬建の手下のビジネスマンで、悪評サクサクたる郭文貴が米国で、「君側の姦」を除くとして、「スキャンダル爆弾」を使い、習近平の反腐敗キャンペンの「カミソリの刃」政治局常務委員・中央紀律委員会書記の王岐山を攻撃し、引退させることによって、習近平を孤立させ、反腐敗のこれ以上の遂行を止めようとしたのでした。

     ★「君側の姦物を切る」意味は?

     郭文貴はネットのビデオでたくさん話をしていますが、自分が反共で政治体制に反対するとは一度も言っておらず、ずっと習近平を褒めちぎって、「一千年に一度の聖君だ」などというお追蹤までしています。いわゆる「郭文貴7項目」というのは、5月13日に初めて、ビデオで述べた「革命綱領」です。サポーターからは「4つの反対、3つの反対せず」と言われています。内容は、「ブラック政治、警察国家、反腐敗に名を借りた腐敗、ブラックな反腐敗キャンペーンに反対し、国家と民族と習近平主席には反対しない、です。彼の「暴露材料」を総合的に見ると、主要な目標は、「財産を保ち」「命の安全」「敵討ち」、ついでに反腐敗の冤罪を許すことを強調しているようです。9月15日のライブ出演時にも、依然として、過去5年間の全ての汚職官僚は許されるべきである、と言い続けています。郭文貴と協力関係にある明鏡(米国の反中国政府媒体)の何頻総裁もこれに賛成して、中国共産党第十八回全国代表大会(18大)以来の反腐敗キャンペーンで打倒された汚職役人は全て、冤罪事件だとしています。

    18大以来の反腐敗キャンペーンは、中国のメディアでは「習近平の反腐敗」とか「習近平と王岐山の反腐敗」と呼ばれており、「鉄腕反腐敗成績リスト」が常に掲載されており、3年以上の間に、前政治局常務委員の周永康や、政治局委員の薄熙来を含む100人以上の大臣級以上の役人が失脚し、軍事委員会主席の郭伯雄、徐才厚を含む60数人の将軍が失脚、100万人以上の役人が処分され、職を追放されました。このような鉄腕反腐敗の断行は当然、習近平のやったことですが、それを断固として厳しく実行したのは、ほかならぬ王岐山です。ですから、中国官僚たちの王岐山に対する恨みと恐れは大変なもので、「閻魔様の方が、王様よりまし」とばかりに、習近平以上に恨まれているのです。ですから、汚職役人の冤罪をそそぐという事になれば、それをやってのけた王岐山は当然、追放されなければなりません。

     郭文貴は、王岐山が、自分が腐敗しているのに平気で反腐敗を行い、ブラックなやり方で反腐敗を進めているとして、何度も「暴露資料」によって、王岐山は腐敗官僚であり、米国に18もの豪邸を持っており、中国海航公司はその私生児である貫軍が所有していると”暴露”しています。これに対して、中国側は反応を示していません。というのも中共政府の信用は地に落ちており、何を言ったところで誰も信じないからです。少なからぬネットは郭文貴の暴露資料の尻馬に乗って報じて、中共が困るのを見て喜んでいます。また西側のメディアも最初は、郭文貴の主張に興味を示し、例えばNYタイムズなどは、その非難を報じましたが、ただし必ず、「その多くは証明されていない」と付け加えていました。王の所有するという不動産問題にしても、NYタイムズは報道していません。米国ではアポロネットだけが真面目な調査を実施して、「アポロネットの独自調査では、郭文貴が主張するような、王岐山の妻が米国不動産所有」という記事で、一棟も王岐山の家族が所有していた事実はなかったと報じました。

     暴露の行われた米国から離れた英のフィナンシャル・タイムズ紙は、少し前に問題をこう報道しました。

    ;王岐山の敵は数多い。とりわけ、この5年間に反腐敗キャンペーンによってその数は、党内の激烈な政治闘争に巻き込まれる危険を大きくした。今年、早くから、ニューヨーク在住の大金持ちの郭文貴はツイッターやユーチューブで王岐山とその家族に大々的に攻撃をしかけている。その多くは、王岐山と家族が海航グループに関連しているというものだ。海航グループの不透明な所有権については、海外の監督機関からも大変注目を浴びている。海航グループは、郭文貴の非難を、全く根も葉もないことだと否定している。しかし、一部のチャイナウォッチャーは、政府系メディアに登場する王岐山の名前が減少しているのではないか、それが習近平と王岐山の間の不協和音の印ではないかと注目している。(〈王岐山:中国的?腕?行者〉,フィナンシャル・タイムズ紙,2017年8月3日)

    フィナンシャル・タイムズ紙の記事は、反腐敗が王岐山にその恨みを集中させている事実を明らかにしています。こうした郭文貴サポーターの中には、少なからぬ汚職官僚の家族や親戚、情人までいますから、王岐山を、かの将軍・袁崇煥(明末の武将)になぞらえ、その肉まで食ってやりたいと恨んでいます。

    ★奇々怪々な打倒王岐山同盟

     至極奇々怪々なのは、郭文貴の暴露データは、汚職役人の「無実の申し出」言い出すための郭文貴ツイッター文革だったのですが、なんと、官僚と知識人、社会底辺層という、三つの政治的立場、利益といい全く異なったグループが流れ込んできて、ツイッター文革の主要支持メンバーとなったのです。

     習近平、王金平に反対するという一点で、この利害の異なる三者が一時的に合流したのは、官僚は2013年以来の習近平・王岐山連盟の反腐敗キャンペーンで、「家が滅び人が亡くなる」(とはいえ、実際に死刑になったのは少ないのですが)になったことから、王岐山が排除されることを心の底から願っており、習近平の右腕を断ちたいからですし、一部の反体制知識人は、暴露によって中共の内部権力闘争が起こって、中共統治が動揺するのを願っているのです。

     さらに、「演劇的要素」としては、江沢民や曽慶紅ら、郭文貴の背後の「老指導者」がなんと「郭文貴ツィッタ〜革命」の「希望の星」になってしまったことです。彼らは、郭文貴が表舞台、「老指導者」が舞台裏で力を発揮して、19回大会を習近平の悪夢に変えてしまいたいとねがっているのです。海外の民主運動家の一部にも、中共政権が崩壊したら、自分がそれに代われるのでは、という期待がありますし、中国内の底辺層失業青年は、郭文貴の力を借りて、「翻身」したいと願っています。官僚たちのグループ以外、後述する何種かの人々は、郭文貴の「暴露材料」に「希望」を見出したのでした。

     郭文貴という国家安全部の力を借りてのし上がり、反腐敗キャンペーンのせいで中国から米国に逃げ出した、もともと悪評サクサクたるビジネスマンが、なんと幾つもの異なった、相互に矛盾さえするグループによって、ありがたく奉られる「中国民主革命のリーダー」になってしまったのは奇々怪界な現象です。これは、習近平が、江沢民時代につくられた利益構造を、余りにも急激に変えたこと、言論空間の圧殺を含む、あらゆる不安定要素に対して、政治的な高圧的手段で挑んだことなどが、「苛政」に対する深い不満を招いたからです。この強圧的な抑圧の下では、どんなちょっとした隙間でも、すべて反対派の結集地点になりえるのです。「郭文貴ツイッター革命」の支持者の要求・願望は、それぞれに異なりますし、甚だしきは、郭文貴の動機と、自分たちの動機が全く合わなくても構わないのです。こうした一時的な烏合の衆の集まりは、実質的な変革の力にはなり得ませんで、却って、現状では中国の革命勢力の力に問題があることを、明らかにしてしまいました。

     ★習近平の考えは

     習近平の困惑は、過去10年間の自分の主要な実績である反腐敗キャンペーンによって、党・政・軍の中の潜在的反対勢力を粛清はしたもののの、それが「自分の都合に合わせて相手をやっつけている」という批判者がゴロゴロいることです。習近平は、王岐山が自分が決めた政策を実行しただけだということを百も承知です。フィナンシャル・タイムズの指摘は、全くその通りで、王岐山はただ、それを断固として実行した「鉄腕」にすぎないのです。

     郭文貴の暴露した内容は、王岐山に不利な、不名誉な敗北によって失脚するだろう、などといった様々な憶測を産みました。習近平の内部講話で「闘争の最前線や矢面に立つ指導者を擁護しなければならない」という言葉が発せられてからは、ネットでは、王岐山は肺がんの末期にあるとか、19大以後、職を継続しないとかいろいろ言われました。つまり、この5年間の反腐敗キャンペーンでひどいめにあった官僚集団としては、王岐山は天にも地にも許しがたい存在です。だから、彼がいなくなるのであれば、理由は、懲罰的なものが一番いいのですが、そうでなくても一向に構わないのです。

     これは事実上、習近平に退位を迫るものです。習近平はもし、諜報系統の国家保安部を代表とする党内の反対勢力を恐れるなら、王岐山をやめさせるでしょうが、そうなると今後の執政において、孤立します。その理由は簡単で、指導者たるものが、自分にずっと忠誠を誓ってきた右腕を守れないとなれば、誰も心の底から仕事をしようとはしなくなります。さらに重大なことは、これはこの5年間、最も大きな政治的業績を上げてきた自分を否定することになりますし、次の5年間、平安で過ごすことはできなくなってしまいます。

     ★中国は、反腐敗を必要とするのか?

     三権分立の民主国家では、反腐敗というのは政府の仕事ではなく、司法システムの仕事です。米国では、民主党であろうと共和党であろうと、腐敗が問題になれば法的に追及されますし、誰も大統領が自分の好みで選択制の反腐敗キャンペーンをやっているなどと言うことはありません。これは制度的に優れているからです。

     しかし、専制国家では、権力は法律の上にありますから、反腐敗キャンペーンは、権力の意思の貫徹だということになります。王岐山が7人の政治局常務委員の序列では6番目でも(当初は7番目だった)のですが、彼の職責は習近平の反腐敗という必要性にマッチしたものであったので、自分より上のトップレベルに対しても反腐敗のもくひょうとすることになったのでした。

     専制国家の権力者にとってみれば、反腐敗は政権の安否に関わるばかりか、統治者が家来を督励するムチでもあります。もし江沢民や胡錦濤の時期のように、腐敗を追及しなければ、国家資源は虫食い状態にされてしまい、お金は海外に逃げ出してしまい、中国に残るのは、ボロボロの資産と、怒りに満ち満ちた貧乏人ばかりとなってしまいます。これが「反腐敗をやらなければ亡国」の意味です。しかし、もし反腐敗を全面的に展開したならば、これは官僚世界の怨嗟のマトとなってしまい、これが「反腐敗は中共を滅ぼしてしまう」意味です。まさにこういうわけで、胡錦濤は自分の娘に、社会から批判された時にはやめるように言いましたが、他の常務委員は相変わらずそのままでした。ですから、「9匹の龍」時代には、それぞれが自分たちの所管分野で、一家と国家が一体になった利益吸血体制を、例えば周永康の石油グループとか四川グループ、政法系は周永康の王国となったのでした。

     政府が機能し続けるためには、中共当局だってたまには、まともな反腐敗活動をやることはありました。庁レベル以下の役人が主な対象ですが、たまには省レベルの事件もありました。しかし、政治局常務委員クラスは本来、触れることもできませんでした。こうした反腐敗は、別に腐敗を根絶しようというものではなく、うわべを繕うだけのお話で、政権の合法性というペンキが剥げないようにして、まだこの船は大丈夫だよ、ということを見せるためでした。

     ですから、習近平が2012年に「反腐敗」を始めた時も、政治的ライバルをやっつけるのが目標でしたし、官僚界は、君主が変わったばかりだから、やる気を見せているだけで、そのお掃除が終わったらまた元に戻るさ、ちょっとの間だけの我慢さ、とたかをくくっていました。ところが豈図らんや。「反腐敗は永遠の途上にある」という話になって、江沢民・胡錦濤時代にはろくすっぽ顧みられなかったルールが、常設規則となって、それまで許されていた腐敗政治がダメだ!となったのでした。

     以前の、腐敗政治では、役人たちは飲み食いし放題は当たり前、誕生日に何十万元の祝い金も別に問題なし、お金が溜まったら妻子を海外に送り出し、国内でちょっとでも不穏な空気があれば、自分もツルリと国境を抜けて他国の国民になってしまう、など極めて居心地の良いものでした。ところが、今度の皇帝ときたら、役人の飲み食いはダメで、公然たる賄賂も禁止、海外に逃げても追いかけてくるということになって、まことに旨味のない話になってしまったのです。ですから、やる気も失せ、サボタージュで対応したのですが、ましてや反腐敗に対しては、不満の塊のようなもので、ただ公然とは口には出来ませんでした。

     ですから、今回、郭文貴が、王岐山を「暴露戦術」の主要攻撃目標として、「汚職役人のために敵討ち」を宣言するや、国内の役人グループから、海外のあまた多い逃亡汚職官僚の家族まで、これをきいて欣喜雀躍の程で「もし習近平が反腐敗を諦めて、江沢民・胡錦濤時代に戻って、中央規律委員会を昔のような木偶の坊にしてしまえば、再び、金儲けに邁進できるし、反腐敗機関と役人の中も元どおりのトムとジェリーの馴れ合い状態、喪失した楽園が復活する」と大喜びだったのです。

     しかし、ある政権が公然と、反腐敗を放棄したとなれば、それはもう山賊強盗の集団と選ぶところはありません。また中国はとっくに、江沢民や胡錦濤のあの時代のように、全ての役人がみんな汚職をしてもやっていけるなどという状態ではありません。ですから、習近平の反腐敗キャンペーンというのは必要なのです。ただ、もともと問題があって、人治主義のもとでの反腐敗というのは、必然的に選択制を帯びますし、政権に一番危険なものから真っ先にやっつけることになります。しかし、もし、選択制だからという理由で、この5年間の反腐敗を否定するとすれば、その意味は、まさに中国はあらゆる人間の腐敗を公然と今後放置するという意味になりますから、そんな国家が、「まともな国」だと言えるでしょうか?

    中国にこの種の「民主革命」をやっつけるスローガン、公然と政府の反腐敗に反対する「ツィッタ〜革命」が登場するということは、中国にとって福音ではなく、まさに中国人の価値観の混乱の極みだということで、徹底的に道徳なしの、無秩序状態に陥っているということなのです。(終わり)

     原文は;王岐山去留为何成为中共十九大前的焦点?
     

    Leave a Reply

    Your email address will not be published. Required fields are marked *