• ★知識人発言力の大崩壊時代★ 2018年2月24日

    by  • February 25, 2018 • 日文文章 • 0 Comments

     中国の「財新ネット」が許知遠をインタビューしましたね。許知遠は中国の伝統的メディアの中で、いまだに自由に発言出来る場を持っている自由派知識人の中では、代表的な人物です。しかし、彼の口から出た言葉は、「まさか知識人の発言力がこんなスピードで崩壊してしまうとは…」というため息でした。(*許知遠は雑誌主催者、著名コラムニスト)

     実は、自由・民主と憲政といった全世界で通用する人類共通の価値観を核とするエリート知識人発言力の崩壊は、今日に始まったことではありません。80年代を新たな啓蒙時代だったとすれば、90年代に自由主義学者たちが、再啓蒙運動を担いました。あの”韓寒現象”が中国を風靡した時代は、その矢のような勢いが尽きようとする最後の時代だったのです。(この問題は別に深く分析するべきですが)(訳注;韓寒は1982年生まれの作家、歌手、ブロガー、レーシングドライバーでもあって、2010年には、雑誌『タイム』の「2010年 世界で最も影響力のある100人」にも選ばれた。)

     
     2008年から2017年、中国の言論の自由の公共空間は、三つのメルクマール的な事件を体験しました。知識人陣営は、まず主に、口先だけで暴力革命を唱える連中から嘲罵を浴び、次に政府が、ネットの上の政府賛美のネトウヨ文化人を優遇することによって、手酷い侮辱を受け、更に2017年、自分からプライドを捨ててしまい、結局、崩壊へと至ったのでした。

     

    ★艾未未の政治風刺と市民参加活動

     艾未未は「行動は芸術であり、自由の表現である」とし、確かに「知行合一」を以って自らの理念を実践しました。天安門の前で、「Fack You!」と中指を立ててみせたり、自分と8人の女性のヌード写真を撮って見せた悪戯芸術の他にも、社会的意義のある活動を色々繰り広げました。2008年には、ネット上で四川大地震の手抜き建築や犠牲者の氏名などへの市民調査活動を呼びかけ、浙江省の農民・銭雲会村長が、当局に惨殺された疑いのある事件の死因調査に乗り出した等々あります。2008年から2011年6月の間を、もし名付けるとすれば確かに、艾未未の時代でした。彼は中国語のツイッター界をリードしたばかりか、中国ツイッター圏のスタイルを作り出したのでした。

     当時、艾ファンたちには、多少、艾未未風の倨傲さがありました。彼らは、ネット上の集団的な喧嘩が好きで、一方に肩入れしたり、一般知識人と「08憲章」を嘲笑したがりました。艾未未自身は、非暴力革命か暴力革命といったことでは、かなり曖昧な姿勢だったのですが、それがツイッター上での様々な言い争いの根源にもなりました。しかし、艾未未本人は、全世界で通用する人類共通の価値観を以って、中共政府の政治的な強権に対抗していたのです。

     ですから、「艾未未ツイッター」には、ヒッピー風な大騒ぎや揶揄風刺の連続もありましたが、同時に節度もありました。2017年の「郭文貴ツイッター革命」の始まりのようなは、郭文貴ファンばかりがイナゴのように跳ね回って、まともな人物が皆無だったのとは違いました。だから、艾未未が牢屋に放り込まれてからのツイッター界は、おのずから各自、様々な意見がみられ、相対的には”穏やかな状態”だったのです。ですから、「艾未未ツイッター」には、ヒッピー風な大騒ぎや揶揄風刺の連続もありましたが、同時に節度もありました。2017年の「郭文貴ツイッター革命」の始まりのようなは、郭文貴ファンばかりがイナゴのように跳ね回って、まともな人物が皆無だったのとは違いました。だから、艾未未が牢屋に放り込まれてからのツイッター界は、おのずから各自、様々な意見がみられ、相対的には”穏やかな状態”だったのです。

     しかし、艾未未の行動芸術による政治活動の結果の一つは、それまでの、エリート知識人たちの言論が尊重されていた時代の崩壊の始まりでもありました。90年代中期以後、中国の民間思想と世論をリードしていた主体は自由派知識人でした。「08憲章」は比較的完全な形で、この時代の知識人の憲政・民主についての考え方が理解出来るものですし、自由知識人たちも、かなり署名活動に参加したりしました。しかし、艾未未が逮捕される前には、彼の行動芸術はネットを通じて加速的に広がっており、若い世代は、悪戯芸術に当局が対応出来ないでいる状態を見て大喜びして、「街に出て行動する方が、百万の言葉に勝る」と、中国に啓蒙活動は要らないと言いだしました。80年代の啓蒙活動から、新たな90年代の再啓蒙活動の流れは、ここで途切れたのです。

     中国ツイッター界が一時、艾未未色に染まったことは、ギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」の名言、「群衆に影響を与える想像力の芸術を把握することは、彼らを統治する芸術を把握することでもある」です。

     この時期に、ちょっとした間奏曲になったのが、韓寒がブログで「革命の話をしよう」「民主を語ろう」「自由を求めよう」と題した3つの論評で、これは強烈な反響と批判を巻き起こしました。しかし、韓寒の3編の起こした現象は、知識人の発言権の崩壊の結果であって、原因ではありません。(参考;福島香織氏;革命と改革、自由と民主を語る年に 韓寒3論評が示唆する時代の空気

      

     ★国家権力の知識人侮蔑 — 周小平が習近平に謁見、重用

     江沢民は、「国際的なルールに合わせる」と宣言し、1989年の六四天安門事件の虐殺が西側社会に与えた暗い印象を、なんとかして打ち消そうとしました。それで、1990年代にはちょっと、中国の自由派知識人たちの言論空間が広がりました。江沢民の「三つの代表」理論が提起され、当局は確かに、政治、経済、知識の3者のエリート間の同盟を作ろうとしました。こうした政治情勢の下で、少数の体制外で名声を得た知識人エリートも体制に組み込まれました。南方系列のメディアがこの頃、自由派知識人に舞台を提供しました。薄熙来の「革命歌を歌い、黒いギャングたちをやっつける」運動にも、何人かの知識人が招かれて、「薄熙来中共中央常務委員会入り」応援団になりました。こうした権力迎合の知識人は、確かに恥ではありましたが、知識人全体としては依然として、政府に警告・忠告を与え、大衆を啓蒙しようという情熱と力は持っていたのです。

     習近平が開いた2014年版の「延安文芸座談会」では、習近平は、ネットの草の根ネトウヨ(又はパヨク;中国の右翼と左翼は日本と反対で左翼が政府派。翻訳にこまりますw)ライターの周小平と花千芳を接見し、これで中国の知識エリートたちは基本的に、自分たちが「説得者たらん」という考え方を捨ててしまいました。と言うのは、ネトウヨみたいな周小平は、学問もなければ勉強もろくにしておらず、自分勝手に想像した朝鮮民主主義人民共和国や、世界状況を自分の論拠とし、自在にデータをでっち上げているのは、ほとんど誰もが知っていたからです。

     インターネット時代にこうした書き手が登場することは不思議ではありませんが、不思議なのはこうした連中が、当局によって”権力の高殿”に招かれたことで、これは中国のインテリたちを、がっかりさせました。(*訳注;インテリの中には反政府自由派ばかりでなく、当然、政府に参画したい、体制内に招かれたい、という希望が伝統的にある)。

     これを大いに揶揄したのが、「環球ネット」の論評、「習近平大親分が周小平を謁見。誰かさんたちは泣くに泣けず、笑うに笑えないよ〜ん」という文章でした。それは「誰もインテリの言うことを聞こうという人はなく、ネットからチンピラが皇帝のお取り立てを得た」ことをからかうのではなく、「インテリ界のエリートさんたちは、周小平に嫉妬で真っ青」という観点から嘲笑したのです。中共が周小平を中共の声の代弁者にしたことは、確かにインテリたちの世界を辱めようとしたものではあるのですが、しかし、最後には当局者自身を辱めていることが、この作者には分かっていません。なぜなら、当局者の眼中には知識学問などはどうでもよく、阿諛追従の輩の方が重要なのだ、と天下に告げたに等しいのですから。

     全世界で通用する人類共通の価値観を中心とした知識人たちの発言力が、中国の朝野両方で全て徹底的に崩壊してしまった状態で、今尚、自分たちの言論を堅持している人は極めて少数で、その言説も南方系統のマスコミの凋落によって、わずかに余韻を残すばかりです。

     ただ、周小平を習近平の側に招いた魯煒(前中共中央宣伝部副部長)が、今年(2018年2月13日)になって中央規律検査委員会によって党籍剥奪、公職解除の処分を受け失脚し、中共の海外宣伝メディアの「多維ニュース」の2月14日版には「魯煒の4つの大罪が暴露した中共制度建設の4弱点」では、特に、2014年10月の文芸工作座談会では、国家インターネット情報事務室が推薦した作家の周小平と花千芳は、習近平の激励を受けたが、しかし、彼らの評判があまりにも悪かったので、習近平は大変不満だったとか書いてありました。

     でも、本当に習近平が不満だったら、周小平が、ここ数年間、中国国内であんなにデタラメな話を続けていられるはずもありません。これは、習近平のメンツをかばうためのお話でしょう。

     

     ★知識人の説得力が最後に無くなったのは、自分でぶち壊したから

     2月19日に刘水(@liushui1989)がツイートでこう書いています。

    ;郭文貴事件の最大の失敗者は民主運動だ。これは郭文貴が民主運動に引導を渡したという意味ではなく、民主運動側が自分から首を断頭台に差し出したのだ。表向きは郭文貴に対する判断を間違えたみたいだが、実は民主運動の価値、路線の間違い、中国の現実との乖離、隔絶、制度をどう変えるかの理論の無さ、知識構造の老化を暴露してしまった。更には中共に反対するのに中共革命の思想でやろうとしたり、制度を変えていくことに対するレベルの高い考え方や理論的根拠を示せなかった。

     私はこの総括は、民主運動にとどまらないと思うので、もう一つ以前のツイートを紹介すると。

     ;その実、更にもう一つの結果。それは批判型の知識人グループがこの事件を通じて、徹底的に蚊帳の外になったこと。このグループは、胡錦濤・温家宝時代末期にはまだ、公共的な言論を維持するために頑張っていた。それが習近平が、周小平らネットのチンピラ達を登用することで、知識人をバカにするようになってからは、自らも大衆に媚びるように転向してしまった。2017年にこのプロセスが完全に完成し、エリート知識人の説得力は完全に瓦解してしまった。何年か経ったら、これを認める人たちがでてくるでしょう。

     ツイッター文では短か過ぎるので補足します。民主運動のグループの未来に関しては、皆さんたくさん述べてますし、私も、以前からその特徴を指摘しておきました。私が思うに、それは民主運動に関わる人たちの将来には関係するでしょうが、中国の未来には、あまり関係ないと思います。しかし、少なからぬ自由派の知識人が、郭文貴事件で知識人としての説得力を、自分からぶち壊してしまったことは、中国の未来に関係があると思っています。というのは、彼らは本来なら時代の先駆けとなるべき存在だからです。知識人の一人として、話をはっきりさせておかなければならない、と私も自分の責任として思っております。

     郭文貴ツイッター革命(2017年3月〜9月)においては、少なからぬ中国の知識人たちが、自分たちが営々と獲得してきた人生の意義ともいえる説得力、全世界で通用する人類共通の価値観である憲政、自由、民主の理念を、自分から進んで徹底的に破壊してしまいました。

     エリート知識人の大部分は冷戦期の中・東欧で国家の強権への反抗を知っているでしょう。中には、こうした国々の反対派が、「市民社会への奉仕」として、政治問題の非政治化(政治的反対派を刑法罪でひっくくる)とか、反対派の個人的プライバシーを暴露して打撃を与えようとする当局に反対して、政治的価値観で戦おうとしたことを知っている人もいるでしょう。自分たちの価値観が、はるかに共産党独裁政権のイデオロギーより優れているいう主張を証明することだけが、自分たちが最終的に勝利する道だと知っていたからです。更に、抵抗の方法論的な考慮もありました。共産党政権は、「ビッグブラザー」として、世間の人々が指導者たちの醜聞を知るよりはるかに、個人のプライバシーを把握しているので、醜聞の暴露合戦では、反対派は必ずしも有利ではないのです。聖書にある通り、「汝らのうち、罪なきものまず石を投げ打て」です。この道理は素朴ですが永遠です。反対派だって聖人ではないのです。

     中国のインテリ達も護憲活動家を支持していた時には、当局が政治的なプロテスターの経歴を使って、汚名を着せようとしたことに反対してきました。例えば呉金(超级低俗屠夫)親子のようなケースです。(*訳者;共産党の機関の新華社が貶める記事を書いた。他にも艾未未の隠し子だとか、誰々は元セックスワーカーだとか、一時盛んにやってましたっけ)
     しかし、2017年の「郭文貴ツイッター革命」では、彼らはこの点をすっかり忘れて、「顔に泥を塗る」と「醜聞製造」などの「爆弾」によって共産党政権に打撃を与えることが、民主化への近道だと思い込んでしまったのでした。ですから、「郭文貴ツイッター革命」では、郭文貴ファンたちは、支持者や敵(つまり民主運動家)の醜聞の中に、どっぷりこの「爆弾」騒ぎに浸かって熱狂してしまったのです。自分が論争で負けそうになると、たちまち、いわゆるプライバシーの個人攻撃をやりだす人々が出る始末でした。こうしたことがふえれば増えるほど、まともなツイッター友の世界では相手にされなくなるでしょう。

     でも、「郭文貴ツイッター革命」では、知識人グループは、自分から進んで、郭文貴のフォロワーとその”教え子”に成り下がったのです。毛沢東時代や文革時期には、政府支持以外の中国の知識人は、基本的には毛沢東の個人崇拝は、愚民統治技術であり、無くさねばならないし、政治運動と文革では、大衆的熱狂に巻き込まれた暴政や暴民の行為は、唾棄すべきものだと分かっていました。これは何度も語られてきたことです。しかし、「郭文貴ツイッター革命」では、多くの知識人は、こうしたことをすっかり忘れてしまい、唯々諾々と郭文貴に従い、他人に態度表明を迫り、表明しない人々には、「口誅」を加えたのです。

     人類の歴史上、イタリアのルネッサンス、フランスの啓蒙思想、米国の独立戦争だって、全て知識人の啓蒙活動とは切っても切れない関係があります。授業や伝道、知識の解釈を行う知識人グループの堕落は、国家的な浮沈に関わることですし、明日を失いかねないものです。ル・ボンの「群集心理」には「ある国家の若い人に提供される教育を見れば、その国家の未来が分かる。人々が忘れられない歴史上の大事件といえども、それは人類の思想の無形の変化が有形に変わった結果に過ぎないのだ」という名言があります。

     中共のイデオロギー教育は、すでに深刻なまでに中国の若い人々を蝕んでいます。1990年から2010年の20年間に、多くのインテリが大学の講堂やメディアで、まだ忘れられない自分が責任を持つべき、自由と民主の理念の啓蒙と伝播者の重責を忘れず、多くのことをやってきました。しかし、今、当局の弾圧の下で、言論の自由の陣地は日々、小さくなっています。こうした苦境にあっては、まさに知識人が価値と理念をしっかり守らなければならないのです。しかし、悲しむべきことに、少なからぬ知識人は、堅守どころか、俗に媚びる方向に転向し、大衆に付和雷同し、拍手喝采を浴び、時代と未来の勝利者になろうというのです。

     郭文貴のような、頼るバックを失い苦境に陥って、自分の命とお金をなんとか守り、その上敵討ちを狙うといった人間は、中国には昔も、今も、これからも居ることでしょう。しかし、2017年に登場した、官僚界、知識人、政治的反対派、社会の底辺層が、互いにくっつき合うという現象は、前代未聞でした。中共がその昔、延安にいたときは、共産主義の学説を、人を惑わす理想と未来の包装紙でくるんで、知識人の憧れを誘い、知識青年たちは、続々と「革命の聖地」に赴きました。これは、中共にうまく騙されたのだと言えます。しかし、今回の「郭文貴ツイッター革命」には、そんな包装紙はありません。命を保ち、財産を保ち、敵討ちをしたいというのは、まるきりそのまんまの姿でしたが、それでも一群の知識人達は争って、乗っかっていったのでした。

     ネット上でこんな文章を見ました。

     ;誰もが何でも騒げるネット時代。ネット上のインフルエンサーだろうが、上流だろうが、社会のエリートだろうが、みな容認することも、諂うことも選択可能。連中ははっきりと、こうしたネット民の指示を得ることが出来さえすれば、中国の未来の勝者になれると知っている。だから、中国のネット趣味は、日増しにクズになって、姦しいばかりで、中身のないものになる。これは中国のネットの、不可逆的な現実だ。

     以前には権力に媚びることを潔しとしない姿勢を見せてきた多くの中国知識人の中には、今、却って大衆に媚びるようになった人たちがおります。彼らは、その昔、延安に身を投じた革命青年を風刺してきましたが、自分たちも、2017年に、あっさりと「郭文貴ツイッター革命」に転んでしまいました。これはもう、中国知識人たちの悲哀というだけでは済まないことです。

     この文を以って、中国と、自由民主と憲政といった全世界で通用する人類共通の価値観の、失われた説得力に哀悼の意を表します。(終)

     原文は;精英话语系统为何瓦解?  民主中国,2018年2月24日,

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