• ★米国はなぜ中国人より”鄧小平好き”なのか? 2018年10月16日

    by  • October 16, 2018 • Uncategorized, 日文文章 • 0 Comments

     10月4日にワシントンのハドソン研究所で行われたペンス米国副大統領の公開講演は、世界から大きな注目を集めています。これについては、もう★ペンス談話…米国の「屠竜派」の観点は「冷戦」ではない(2018年10月11日)で、詳しく分析しました。ここでは、「米国は過去25年、中国再建に努力した…中国は口先では”改革開放”というが鄧小平の有名なあの政策は今は中身が無くなった」というくだり、世界からは余り重視されていないこの部分について述べます。これは、実は米国政界の中国への期待を表しているのです。

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     ★米国政界、学会の鄧小平評価

     鄧小平の改革開放に対する見方は、中国国内と西側諸国では大変違っています。あるいは双方とも、「中国再建」部分については同意するかもしれませんが、その中身への評価はきっと異なるでしょう。

     中国人の目に映る改革開放は、「紅色貴族資本主義」(私は、権力者と大部分が体制内の、下は村レベルまで含む中・低層官僚だけが利益を得たので「共産党資本主義」と呼んでいます)であって、極めて不公平な分配、貧富の大きな格差、社会的にはい上がれる道は閉ざされ、階級は固定化し、人権は劣悪な状態のままだということになります。中国政府がメルクマールにしている海外への大投資や「一帯一路」は、少なからぬ中国人には「大々的なバラマキ活動」と思われています。

     米国人の眼に映る中国の「改革開放」は違う構図です。GDPは二ケタの速度を30年も維持して、総額は改革開放の元年だった1978年の2,168億米ドルから、2014年の10.36兆ドルとなり、10億を超えるプロレタリアートの中から、なんと世界第一の兆億万長者を生み出し(2018年フォーブス金持ち番付では中国の富豪は、連続三年、米国を圧してトップです)。世界にあまねく36カ国にわたる「一帯一路」計画では米国と世界の覇権を争う姿です。

     中国の改革開放への評価となれば、「改革開放の設計者」である鄧小平の評価との関わりは避けて通れません。鄧小平は、中国では天安門虐殺事件の張本人ですから、中国の反体制派からは「屠殺者」と呼ばれます。鄧の「先に金持ちになる」政策の実践結果は、紅2代目を含む権力貴族階級、官僚とそれに付随する利益のおこぼれに与った少数の者だけが「先に金持ち」になりました。鄧の提起した「四つの基本原則」は政治体制改革を拒絶しています。多くの中国人にとっては、今の習近平政権の日々保守化する政治、経済政策のもたらす恐怖感の下で、せいぜい「鄧小平は、毛沢東よりはまだマシだった」と言える程度です。(当然、毛沢東左派は否定しますが。彼らにとっては毛時代こそホンモノの社会主義であり、文化大革命はもう一度やるべきで、汚職管理をやっつけるべきだとおもっていますが。)

     それなのに、米国政界はなぜ、いまだに鄧小平の改革開放にかくも好意的なのか? これはハーバード大学教授のエズラ・フォーゲルに関係しています。

     ★フォーゲルの鄧小平評価が、米政界に根付いた。

     ハーバード大の中国研究者のフォーゲル教授が2011年に出版した「鄧小平が中国を変えた」(Deng Xiaoping and the Transfomation of China)は、Amazonの政治関係図書のベストセラーナンバー1になり、学術書としてトップの売れ行きでした。ジミー・カーター元大統領らが褒めちぎり、書評では「これぞ鄧小平研究の一里塚」と称賛されました。

     フォーゲル氏の鄧小平評価は、最後の一章に良くまとめられています。こうです。

     「鄧小平は1992年に政治の舞台から退いた時、過去150年、中国の指導者の誰もがなしえなかった使命を完成させたのだ。彼とその同志は富民強国への道を探し当てた。その目標達成過程で、中国を根本からモデルチェンジを指導し、自己と世界の関係でも、自己の政治理論構造と社会という点でも。鄧小平の下で出現したこの構造的変化は、2000年以上前の漢帝国の形成以来の、中国の最も根本的な変化だった」。

     これは鄧小平が生きていたら、一番、聞きたかった評価の言葉でしょうね。

     天安門事件における鄧小平の評価は、こうです。

     フォーゲル氏は、鄧小平は文革の混乱の記憶も生々しく、中国の社会秩序が大変脆弱なことをしっていた。だから鄧小平は、社会秩序が脅かされると判断したときには、強硬な反応を示した。鄧小平にとっての最低線は「中国を混乱させてはならない」だったのだ、と。

     この解釈は中国の反体制派からは批判を受け、中には「中国に買収された」との声すらありました。しかし、私はフォーゲル氏の鄧小平賛美は心からのものだと思います。2002年3月、私はハーバードでの講演に招かれた際に、フォーゲル氏にお会いして、2時間以上お話したのですが、投票へ委に対する好意的な見方は、確かに一種の大まじめな賛美でした。

     この賛美は何度も登場します。2013年1月18日の「南方週末」のインタビューにも、「鄧小平はその時代に二人といない存在だった」と語っています。それどころか、フォーゲル氏は様々な機会に、思わず「今、鄧小平がいたらどうだったか」などと発言しています。例えば深刻な腐敗問題については、「もし鄧小平がいたら、腐敗撲滅に一層力を入れて、腐敗はただの経済問題ではなく、政治問題だと認識しただろう」、中共が政治改革を拒否していることについても「もし鄧小平が生きていたら、民主に反対せず、まず安定、次に人民の素養を高めて、ゆっくりと民主を発展させただろう」と述べています。

     歴史の中で人物を評価するには、しばしば長い時間を経た後でないと下せません。しかし、中国人が現在、そして将来どう鄧小平を評価しようが、米国政界や学界には、鄧小平の改革開放に対する「集合的記憶」があるのです。でも、もう一つ理由があって、それは鄧小平の「能力を隠して韜晦する」外交政策のせいもあります。

     ★2010年;もはや「韜晦」はやめて、米国と覇権争い

     かつて毛沢東は世界の領袖になろうとして、自国人民の生活を切り詰めて得たお金を外国援助につぎ込みました。鄧小平は教訓を学び取り、大量の外国援助をやめさせ、有名な「善于守拙、决不当头、韜光養晦、有所作为」(自らの短所を隠し、控えめにふるまい、野心を隠し、やれることをやる)の16文字方針を掲げ、同時に「国際的ルールにあわせ、現在の国際ルールを承認し、国際秩序を遵守すると約束しました。米国の中国通諸氏はこの「韜光養晦」の訳語を長年考えて「時期がまだ到来しないうちは、牙や爪を隠し、時節が熟したら牙や爪を出す」と適訳しました。けれども総じて言えばやはり、中国は「平和的勃興」をしようとしていて、現在は国際ルールと合わせようとしており、合致しない行為があったとしても、指導していけば国際ルールに従う責任ある国際社会の重要なメンバーになるだろう、と考えていました。

     2010年3月、中国国務院発展研究センターは「中国公衆と在中外国人の目に映った中国の国家的地位」というアンケートを発表しました。内容は10年後に中・米両国は依然として世界の指導的大国だろうということと、回答した中国人の半数が、中国は米国を追い抜くと答えたということです。しかし、この調査は、民意調査の上辺を装っていますが、実のところは「我々は米国を追い越す」と言いたかっただけです。「世界の覇権を握る」といった刺激的な言葉は避けていますが、政府が、「10年後には世界一」という自惚れた気分は既にチラチラと見えています。

     ★2011年のハワイAPECで、牙を剥いた中国

     中国の対米姿勢に変化が生じたのは、オバマ大統領時代ですが、それにはこの大統領の対中国認識と大きく関係しています。

     2008年11月に当選後のオバマ大統領は対中政策をニューヨークの米国東西研究所に外交戦略を決めさせる「米国の対中政策;オバマ政府への期待を尋ねる」計画が発動されました。中国側の視点から中国が米国政府に期待するリストを作るために、この研究所は「中国側の相方」に中国外務省の下部組織の中国国際研究所をパートナーに選んだのです。中国側は所長の馬振崗をリーダーとして、研究員の劉学成が文案を書きました。(環球雑誌 欧巴马磨合期对华政策剖析:中国仍为竞争者=オバマ時代の対中国政策分析;中国はやはり競争相手」)(訳注;オバマ政権はなんと、中国政府に米国の中国政策をきめさせるというアホなことをした、という意味)

     これに対する中国の答えは、不断に国際ルールに挑戦することでした。2003年中国が「平和的勃興」を宣言してから、ずっと国際ルールを改変しようとしてきました。現存の世界の構造は米国によって維持されており、中国はそれを変えさせたかったので、米国に挑戦しなければなりませんでした。これが、中国が何度も米国外交のボトムラインを探ろうとしてきた原因です。

     2009年12月、中国の官僚がコペンハーゲンの気候サミットで見せた態度は、西側のゲームのルールのボトムラインを探るための一大行動でした。この行動は中国では、「コペンハーゲン気候サミットで中国は高姿勢で出撃」という見出しで大々的に報道されました。中国のこうした姿勢に、オバマ大統領もさすがに堪忍袋の緒を切らして、2011年11月13日のハワイAPECサミットでは、中国に「国際的なシステムをもてあそぶのはやめろ」と、中国に「世界の国々と、大人らしく振る舞うべきだ」と言いました。

     しかし、中国外務省のこれに対する回答は、国際部副大臣の龐森の回答が、胸の内を明らかにしています。「もしそうした国際ルールが決められた時に、中国も参加していたなら、中国は規則を遵守するが、別の国に決められたルールなら、遵守する義務はない」だったのです。

     中国は国際社会に後からやってきました。中国が加わるはるか以前にある組織のルールが決まっていたわけで、中国がそれに署名したということは、国際社会の入場券を手に入れるためで、まずサインしてそれからルールを変えてしまおう、というのがつまり「韜光養晦」なのです。でも、「中国が制定に参加しないなら、遵守する義務はない」というロジックは、中国としてはルールに違反するのは、天にも許された当然な権利だ、と思っているということです。まだ自分たちに力がないうちは、その気持を隠しておいたのですが、このハワイサミットで、オバマに責められた時に一気に吐き出したわけです。

     これ以後、オバマの姿勢にも変化が見られるようになって、「友好」から、「敬遠」気味になりました。2016年の「アトランティック・マンスリー」雑誌のインタビューに「オバマイズム」を総括していますが、オバマはそこで、「落ち目になった中国は、強大なる中国より更に恐ろしい」と述べています。

     オバマ政権の最後の数年は、習近平政権と4年にわたって重なります。中国は、胡錦濤政権末期からずっと米国に対して、「ボトムライン探り」外交をやってきました。習近平政権が2014年になって、更にはっきりさせた外交方針の指導思想は、「国内国外の二つの市場、国際国内の二つの資源、国際国内の2種類のルールを総合して考慮して運営しなければならない」でした。

     これに対して、米国の対中戦略は変わらぬままで、 2015年9月25日に、オバマがホワイトハウスに習近平を迎えた時にも、依然として、「米国は平和、安定、繁栄を歓迎し、国際業務における責任ある国としての参加者たる中国の勃興を歓迎する」と言っていました。

     以上が、米国政界の鄧小平の改革開放継続 — 中国への期待 — への基本的背景なのです。(終)

    原文は、彭斯演讲的中国期望-「邓小平改革开放」
    (原载台湾上报,2018年10月16日,https://www.upmedia.mg/news_info.php?SerialNo=49943)

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