• ★「文革よもう一度」の暗雲が — 「義和団精神」と「楓橋経験」の意味 2018年11月21日

    by  • November 21, 2018 • 日文文章 • 0 Comments

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    何清漣氏の2015~2017までのエッセイ改訳版

     最近、中国国営通信社の新華社が「義和団精神」と、毛沢東時代の社会の相互監視システムだった「楓橋経験」(訳注;毛沢東はかつて中国東部の町、蘇州市西部の楓橋を共産党支配のための「大衆動員」モデルとして称賛した。後述。)を推し進めており、重慶、福建、浙江などの大学入試センター試験では「政治審査」が政府の生徒募集に取り入れられていることが相次いで暴露されました。こうした不吉な”文革”の黒雲が集まり始めた折、更に私有制度に反対し”文革”を擁護する壁新聞の北京での映像だといわれるビデオが、米国の明鏡ネット上に掲載されました。こうなってくると、中国人としては確かに、「習近平らトップ層の指導者が、毛沢東統治を熱心に懐かしみ、中国社会では左派(*中国の左派、は政府擁護急進派、日本なら右翼にあたる)が日増しに勢いづいており、文革時期に一度は”指導者階級”なる栄誉に浴した社会底辺層が持つ権力への幻想が再度復活する」ということを、軽視するわけにいかなくなりました。

     ★義和団を持ち出して、「外国の侮りに対し団結しよう」とは?

     義和団のことは中国人は知ってはいますが、その知識程度は様々です。ただ、中・米貿易戦争の戦況がまだはっきりしない今現在、中国が「米国からイジメられている」と感じている時に、官製メディアが「民族意識の覚醒 — 義和団の反帝愛国運動」なる一文を発表し、「外敵の侵入に対して、民衆が自発的に形成した義和団運動は、100年前の中国民衆の団結と侮辱されて黙ってはいない決心を示している」などという意味はもうはっきりしています。国内大衆に「貿易戦争で中国側の経済がポシャって、国運が傾くようなことがあっても、中国民衆は団結して戦うのだ。さもなければ諸君は100年前の義和団の勇気に対して、恥ずかしいと思え」と言いたいわけです。

     2005年、2012年の中国国内数十都市で起きた「反日デモ」から考えると、中国には、この種の外国人に反対する”義和団”には事欠きません。2017年の中国語ツイッター上で、郭文貴が始めた”郭文貴ツイッター革命”を見るに、「大勢が一致して行動する際には、民主革命を叫び、その過程では罵詈讒謗、偽計、デマ、傷害、殺人なんでもあり。我々にはそうした手段を使って誰だって一人だって多数だって、有効ならその手段を使えばいい。簡単なことだ」といった連中がどっさりいるのです。

     学者の資中筠女史がかつて言ったように、「中国は未だに上は西太后、下は義和団」で「国内の矛盾が激化すると、国外の外国人のせいにするのはお手の物、コントロールが効かなくなると、また弾圧して、外国とは妥協を繰り返す」なのです。こうした潜在的な”義和団”がいつ政治的パワーになるかは、誰が彼らを政治の舞台に引っ張りこむように騒ぎ立てるか次第です。

     ★「楓橋経験」とは何か?

     中共がまたしても持ち出した「楓橋経験」の活動は大変高級にみせようと「毛沢東同志が批准し広く学習された”楓橋経験”の55周年及び、習近平総書記が堅持発展を指示した”楓橋経験”十五周年大会」と、あの世とこの世の両世代の中共党代表の権威を持ち出しています。が、ポイントは、つまり中央政法委員会初期の郭声琨が会議の席上強調したいわゆる「新時代の楓橋経験」であり、その核心部分は「底辺層社会管理の現代化」であって、このスローガンの意味するところは、現在、中国の下層社会はちっとも平安ではないということです。

     中国農村は、2005年に農業税が廃止されてから、郷村の幹部はもう徴税の仕事がなくなって、郷村の行政は基本的に放任状態となってしまいました。そのことは、「中国——とっくにクライシス、なのに崩壊しない“紅い帝国”のカラクリ 」(ワニブックスPLUS新書)の第6章「地方行政の苦境」に大量の事実を分析して、中国の県クラス以下の政治基盤は、基本的にブラック勢力のコントロール下にあって、少数の地区以外は、すでに完全にジャングル化しており、ならず者が牛耳る無法地帯化していることを指摘しておきました。

     正義なき無法状態はもとより、県や郷クラスの政府は村の統治を完全に村の幹部達に任せっきりで、それがどうなっているかなどおかまいなしです。ですから、今回また「楓橋経験」を持ち出したのは、「楓橋経験」を伝統的な郷村地区から、都市や都市の中の地域の管理へ広げようとするものです。流動人口の管理、特殊グループ(後述)への管理、環境の管理、農村土地経営の権利、企業とネット管理などが内容で、その核心はつまり全方位的に社会を監視、コントロールしようというものです。

     1963年11月、毛沢東は中国公安部への指示の中で、特に「楓橋経験」に言及し、各地でこれを真似るように、試験地域を作って拡大せよとしました。1964年1月、中共中央は「大衆の力に依拠し、人民民主独裁を強化し、絶対多数の4類分子を改造させよとの指示」を出し、「楓橋経験」を全国に広めました。

     文革終了時に、楓橋には13.7万人の住民がおり、弾圧された”4類分子”のレッテルを貼られた人々は3279人で、約50人に1人でした。(毛沢東時代の政治的賎民とされたのは、地主、富農、反革命、悪徳分子などの4種類)。鄧小平が改革開放を唱えて以後、この4類分子はレッテルを剥がしてもらい、普通の社会メンバーとされ、毛沢東時代のかつての”賎民”扱いは、行き過ぎた左翼による災難だとされました。

     今、様々な社会矛盾が突出し、多くの理由で土地を奪われ、生活保護所帯減らしの下で不公平な扱いを受け、汚職村役人を訴えたために不等な待遇をうけた村人、北京に上訴しに出かけた人々は「特殊グループ」とされていますが、当局はそうした人々の割合は公表していません。

     簡単に言えば、毛沢東が1963年に許可した「楓橋経験」(つまり、大衆相互の監視、タレコミによる検挙)を利用して、インターネット時代のハイテクを使って、全方位的に郷村における死角をなくし、社会監視を強化しようとするものです。これは主に浙江省での経験を重視していますが、それは習近平が浙江省委員会書記だった時に、「楓橋経験」を堅持、発展させよと命令したことによります。

     ★なぜ文革大好き派がいるのか?

     この文章の最初に言った北京の街角に出現した壁新聞は、一昨年には鄭州の街頭に現れました。それは中国の現実 — 一部の社会底辺層が”文革”にいまだに惹かれているということです。鄭州は中共革命時代の労働運動の基地であり、革命的伝統の影響で、1900年代末には特に極端な毛沢東左派グループが出現し、常々、毛沢東を懐かしむ集会を開いていました。21世紀になると、中国の高等教育産業化は、大量の、十分な条件を備えていない学校を「大学」に昇級させ、大量の農村青年たちが、家の財産を傾けてまでこうした大学に入学し、卒業はしても就職先のない、ぶらぶらしている社会底辺層の知識青年となったのです。失望、あせり、不公平感が彼らを、毛沢東を美化する方向に自ずと向かわせます。

     衣食に事欠き、あまねく皆が貧しく、食料や布地を買うにも券が必要だった計画経済時代は、左派たちには「生活に保証があった時代」とされました。三千万以上の都市青年が就職がなく、農村におくられた「上山下郷」運動は「誰もが仕事があった時代」と美化されました。老若様々な人々がお粗末な建物に同居させられたことは、「政府によって無料の住宅が配分されていた」となります。

     こうした人々が”文革”を熱愛する本当の理由は、文革が大衆運動で、どんな普通の職場の労働者にも、上層部をやっつけ下層に叩き落とせるチャンスが与えられ、農民は、「翻身して自分が主人公になる」という権力幻想があったからです。「走資派」や地主、不能階級、右派とされた人々 — 政治的賎民に帽子をかぶせて引き回し、罵倒してやっつけた時、自分が他人の運命を左右できる快感を味わえましたし、こうした「受益者」の味を一旦知ったら、一生、忘れられないものだったのです。

     現代の中国社会には、”文革”のすべての条件、リーダー崇拝、大衆追随、気が狂うほどの社会への恨みなど、みなもう揃っています。去年、習近平の反腐敗で海外に逃亡した金持ちビジネスマンの郭文貴はツイッターを通じて、「郭文貴革命」を始めた時に、十分それを証明しました。

     郭文貴のフォロワーたちは、彼に様々な、毛沢東ですら得たことのない称号、例えば「百年に一度の民主ナンバーワン」だとか「キリストや孔子に匹敵する人」とか言われたました。逆に、誰かが郭文貴に疑問を呈したり、讃えることを拒否したるするとたちまちフォロワーがどっと湧いてきて、デマを流し、侮辱したり悪罵を浴びせたり、首を切り落とし、皮を剥いでやると脅したり、とてもまともに聞くに耐えないような話をあびせかけたものでした。私は子供の頃文革を体験して、自分の目でこうした「自分の敵は殺しても良い」などと考える集団屠殺者たちの「大衆革命」を見ました。社会上層にはい上がる道が塞がれた階級社会、共産革命を体験した社会、群衆が暴力傾向と権力崇拝が生み出した権力幻想を持つ盲目的大衆は、権力者が指導しさえすれば、すぐ全社会を破壊するのに参加したいという情熱に溢れているのです。

     ★左傾化する世界、中国の左は暴力と血

     現在、中国当局はまだ正式には、社会底辺層の権力幻想にタッチしてはいません。しかし、金持ちには打撃を与えています。(脱税に重罰を与え、海外に隠匿している金持ちに徴税)、どちらも毛左派に喜ばれています。例えばこの間の壁新聞の、見出しや書き出しには、はっきりと、「文革は人類の文明の灯台で、受け入れなければ、受け入れさせられることになるだろう、とありました。内容は私有制批判です。中国では、事実上、中共が全国唯一の第地主(土地国有制度)で、最大の資本所持者(銀行、大企業の国有制)、各種の民営資本は、全国経済の3分の1前後しか占めていませんが、それでも毛左派は故意にターゲットを私有制批判に置いています。

     左翼にのドグマは「資本主義は発展の始まりから、自らを解体する力を育ててきた」です。(*「ブルジョアジーはなによりもまず自分自身の墓掘り人を生産する」(「共産党宣言」)

     その主体はプルードンの組合主義や、議会闘争をへて社会改良をめざしたエドゥアルト・ベルンシュタインの改良主義が修正主義の代表なら、破壊力ではマルクスの共産主義が一番です。マルクスの共産主義(社会主義)学説は、旧ソ連、中国、東欧諸国の社会主義の実践で実現し、前者は欧州各国の社会民主主義政党の議会路線で現実となりました。その道は、政府が高い税収によって、全国民福祉制度を作るというものでした。この種の制度は、金持ちと中高層の高税収によって高福祉を支え、底辺民衆の革命の権利を”購入”しようというものです。ソ連と中国は、金持ちから剥奪し、有産階級を消滅させ、一切の資源と私有財産を国有化して暴力的に”共産”にしたのに比べれば、一種の温和な緩い共産化と言えるでしょう。ただこの種の共産化も現在、ボトルネックにぶつかっていますが、これは別稿で論じなければなりますまい。

     中国に話を戻すと、社会分配の不公平では、すでに世界のトップクラスで、社会の上層へのパイプはしっかり詰まっています。大学生は卒業即失業が大変当たり前になっており、社会の恨みつらみの情緒は、すべての成功者に向けられています。”文革”に必要な社会情緒はすでに準備されています。当局が、ちょっと火をつければ、社会底辺層はおおせのとおり、すぐさま造反にかかるでしょうし、その権力幻想はたちまち、参加への情熱に変じるでしょう。

     こうした状況下で、最もひどい目に遭うのは、政治的に身を守る術を欠いている中産階級です。数年前に、中国のメディア界の人に、「暴君と暴民は、どっちが怖い?」と質問したことがあります。答えは、「両方怖い。現実の圧迫感から言えば、暴君が目下のところの脅威だ。しかし、長期的にみれば暴民は暴君よりもっと怖い」でした。

     ”文革”はまさに暴君毛沢東と暴民(様々な造反派)の結合したものなのです。(終わり)

     原文は;原载 台湾上报,2018年11月21日 何清漣專欄:中國朝野對「文革」的念想 

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