★香港問題の由来とウィンウィンへの道は 2019年8月23日
by minya-takeuchi • August 24, 2019 • 日文文章 • 0 Comments
中両文収録「何清漣 2017中国」Amazonで発売。「2018」編集中;2015、2016Amazon改訳版を電子ブックで。Kindle Unlimited なら無料です。
この文章は、8月18日の香港平和大デモ(訳注;主催者発表で170万人が、警察の許可の無いまま、平和的に行進)する前に書いたのですが、きっと皆さんから攻撃されるでしょう。私も好んでこういうことを言いたいわけではないのですが、どうか賢明な読者諸氏にお願いしたいのは読み終えてから考えて欲しいのです。香港人が何カ月も汗と、そして血まで流して街頭デモを続けたのですから、収穫が何かあるべきで、それも双方の戦いの最良の結果が有るに越したことはないのです。
★香港が落ち目になり「4匹の龍」の地位を失った始まり
香港の「反送中」運動(2019年逃亡犯条例改正案の反対運動)は、法案廃止を目指したものですが、とてもそれにとどまりません。それは香港人の積年の喪失感と苦悩、オキュパイセントラル運動の挫折を経験の合わさった、一大爆発です。
1980年代の香港経済がテイクオフして繁栄したのを見たことのある人しか、香港人の苦悩と痛みがどこから来たかを理解出来ないでしょう。「4匹の龍」は、かつては世界中が感嘆したアジアの神話でしたし、改革開放がようやく始まったばかりの中国から見たら、香港、台湾、韓国、シンガポールは、まさに現代の豊かさの象徴そのものであり、中国が学ぶお手本でした。
しかし、グローバル資本が、1990年から中国に移転しはじめ、世界500強の企業が、次々に中国大陸に拠点を設けるに従って、「4匹の龍」、とりわけ香港の地位は日増しに衰微していきました。原因は単純で、香港の繁栄は、中国の毛沢東時代の鎖国政策によるものだったからです。当時中国は、香港を外部世界とのかけ橋として、貿易の中継地点とし、外部情報の交換所にしていたのです。
ですから、2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に正式加盟した後は、金融分野と、その他のちょっとした代替えの効かない機能以外は、香港の重要性はどんどん失われました。今の香港の青年の世代は、大部分がミレニアル世代(2000年前後生まれ)です。2001年と1997年(香港返還;1997年7月1日)の差は、たった4年ですが、全ての論評は1997年が香港の没落が始まった時点だとしています。
客観的に言えば、「4匹の小龍」の繁栄を喪失したのは香港だけではありません。どの国も、経済が下向きになり、就職が難しくなりました。ただ政治方面での問題は、それぞれ国によって異なります。台湾は中国大陸からの浸透と統一の圧力。香港では、青年は失業率と社会的に上に登るルートが閉ざされ、家賃が高騰するなどあらゆる内、外部からの圧力の全てが、最後には北京(大陸)への怨嗟となりました。韓国は、完全に経済的なもので、韓国青年たちは出口を探し当てられず、反政府運動が唯一のはけ口となりました。
★青年の失業現象は全世界的
香港メディアの言論空間は狭められ、報道の自由は日増しに失われていますが、これは北京と香港の大資本が共謀した結果です。(これは今年、「紅色浸透 — 世界にひろがつ中国メディアの真相」という本に書きました=日本語未翻訳)。香港の法治は蝕まれているのは、北京と保守派の共謀した結果なのです。
ただ一つだけ、香港の昔からの問題は、香港の家賃はずっと高値のままで、現在の香港の住居費は世界第二位だという点。香港に居を構えるのは大変困難で、中産階級が一生かかってもアパート一つ手に入れるのは難しく、「鉄網の中の住人」(籠民=アパートを更に鉄の網で仕切った牢屋のような蚕棚ベッドの空間に住む人々)は20万人にもなります。
世界に目を向けると、少なからぬ国家の政府は、失業率の高さや社会上昇ルートの閉塞などの社会問題で、自国の青年たちを苦しめており、人口急増地域の発展途上国は特にひどい状態です。
しかし、具体的な原因は、各国政府の政治体制によって大変違いがあります。これが各国の青年たちの抗議する方向がまったく違う理由です。中東や北アフリカの青年たちは、「アラブの春」を起こしましたが、その結果は「春が炎の中で燃え尽きた」(ニューヨーク・タイムズ紙の記者ロバート・F・ワースのA Rage for Order: The Middle East in Turmoil, from Tahrir Square to ISIS”. Amazon. Retrieved 29 November 2016.)が描いたように、革命前よりもっと悲惨なことになってしまいました。欧米の青年たちは、ですから、資本主義を否定し、社会主義に向かいました。
ただ、抗議の方向には、極めて大きな違いがあって、欧州は、既に最高レベルの福祉社会であり民主社会主義でしたから、反対運動は方向を失い、憂さ晴らし的な街頭騒乱となりました。典型的なものがフランスの「黄色いベスト運動」です。長く続いているこの運動の抗議活動に、マクロン仏大統領は、2019年の新年の演説で、「仕事を少なくして、多くの金をよこせ、減税をやって支出を増やせというのは無理だし、自分たちの生活習慣を変えようとしないで、もっと綺麗な空気を吸わせろというのも無理だ」と言いました。
これまでずっと社会主義を拒否し、西側では「例外」と言われて来た米国でも、青年たちの中では、現在、半数近くが社会主義を認めています。彼らは学費ローンと就職のプレッシャーで、米国民主党の硬い支持層となり、現在、20数名の民主党大統領選候補者は、この社会主義を認める人々の支持を獲得してホワイトハウスを目指しています。
★香港青年の失業と生活の苦境のうちの大陸的な要素
香港の問題の原因は、香港人は外部の人々よりはっきり分かっています。香港の「反送中」抗議の期間に、多維ニュースが多くの親北京派メンバーを取材しましたが、彼らは香港の青年世代の恨みつらみの原因をはっきりと理解しています。デモと2019年逃亡犯条例改正案の反対運動だけでは、なぜこんなに大規模な騒ぎになったのか、説明出来ないという点で一致していました。その背後には、もっと大きなテーマ、つまり「反中」と「反香港特区政府」が存在するからです。
陳志剛香港政治協青年連絡会副主席は、多維ニュースの取材に対して、二つの総括をしています。
一つは、中国大陸からの続々と香港にやってくる移民の問題。毎日、百人以上、家族呼び寄せでやってくるのです。これを香港人から見ると、こうした人々が自分たちの「資源」を奪いにくると映ります。香港人の暮らしに影響し、仕事先を奪うものだと見えるのです。二つには、香港人は、中国大陸の価値観やイデオロギーを受け付けません。遅れた、無教養な、みっともないものだと思っています。
そして多くの人々が、昔ながらの問題を指摘しています。不動産が高すぎて、香港人が一生がんばっても、小さなマンションすら買えないことです。ネット上では、香港の劣悪な、蚕棚住居や棺桶住居、籠の鳥住居が山ほど写真があり、見ると絶望感に陥ります。香港の政治的な前途がどうあろうと、こうした不動産市場は、深刻な社会問題を生む源泉です。
★普通選挙がすべての問題を解決するわけではないが
香港社会の政治行政水準は、英国統治時代にはかなりの水準でしたし、各種の人材も完全に、高度な自治を行う力があります。青年の失業率の高止まりや家賃のべらぼうなこと、劣悪な居住環境といった香港の問題は、大陸だって実は同じです。私は深圳に長年暮らして、大陸の土地財政や不動産開発のやり方は、基本的に香港のコピーだったということはよく知っています。北京などの大都市の「蟻族」と香港の「籠民」はそっくりで、ちょっとましなだけです。北京は自国の不動産の高騰した価格や失業問題を解決できませんし、蟻族の問題もそうです。ですから、当然、こうした香港の積年の問題を解決する力はありません。
香港人の強烈な抗議に対して、北京が高圧的な政策を取れば、ただ香港人の恨み辛みと、反抗の意志を一層強めるだけです。中国には、「手を緩める時に緩め、堪忍するときにする」(该放手时须放手,得饶人处且饶人)という言葉がありますが、これが北京にとって一番ぴったりでしょう。
北京は、もっと前に、香港人がずっと要求して来た普通選挙実施を許すべきでした。だから、香港社会の全ての恨みつらみが皆、香港と北京の関係の上に集中したのです。国家の長期的利益という点からだけ見ても、ウィンウィンの選択は、香港に普通選挙と自治を許すことです。
普通選挙が香港社会の全ての問題を解決出来るかといえば、誰もそんな保証は出来ません。しかし、香港人が今より広い自由空間を手に入れたなら、香港の政治システムや社会政策をどう作っていくか選択することができますし、当然、自治とは自分たちの責任だということも分かります。
こうした責任を自覚した香港人が香港を治めるモデルは、中央政府から見れば、今までのように易々と香港をコントロールすることは出来なくなりますが、少なくとも香港と大陸の被る損害は最小に食い止めることが出来、自分たちが香港社会の恨み辛みの標的にななったり、世界から批判される対象になることからも免れます。(終わり)
原文は;香港问题的由来及双赢之道