• ★「第二次香港回帰」は中国と香港の悪夢  2019年9月3日

    by  • September 10, 2019 • 日文文章 • 0 Comments

     香港でデモを繰り広げるプロテスターの頑張りと犠牲的精神は、中国の外側で大いなる支持と尊敬を勝ち得ましたが、同時に「どうしようもない」感も漂います。2014年香港のオキュパイ・セントラル運動が起きてから、北京が「第二次香港回帰」(2次回帰)計画を練ってきたのを思い出し、調べて見ましたが、やっぱりそうでした。

     ★適切な時期に「骨がらみの毒を治療」

     8月31日の抗議行動前に、北京は、香港問題解決に向け、「まずは暴動を止め混乱を鎮める」、続いて「第二次香港回帰」を果たすというサインを対外的に出していました。

     多維ニュース(中共系)は、8月27日に「香港の混乱収拾は香港問題の終わりではない」で、香港の「混乱収拾」と同時に、長期的な目でみた「骨がらみの毒を徹底的に取り除く」必要を主張。この「毒」とは、現在の状況では、当然、断固として戦いを続ける香港の若者たちを意味します。

     デモ側は、ずっと今回の抗議行動では「リーダー不在」と言い続けていますが、香港警察はスパイを放って、デモ隊の中から、誰がリーダーかを調べ、民主派の立法議員と活動家らが1千人ほどの中心となる人間たちがおり、現在、その多くを逮捕したと認めています。

     8月30日、ロイターは独自ダネとして、北京は、香港のデモ隊が要求した5項目要求を拒絶し、とりわけ、警察が過度の武器使用をしたかに関しての調査をしてはまかりならぬと命令したと報じました。

     中国政府は、これはフェイクニュースだと否定しましたが、なんと9月2日、ロイターは再び林鄭月娥(キャリー・ラム)特別行政区行政長官が、先週、実業界の有力者との会合での録音音声を暴露。ラム長官は「もし選択肢があるなら、さっさと辞職していた。香港危機は自分の能力を越えている」と語っていたのです。

     これは、中国政治のタブーを犯しています。趙紫陽は、1989年の天安門事件の前夜、ソ連共産党のゴルバチョフ書記長と会談した際に、鄧小平が中国では実際には一番権力者であると語り、「党の掟に背いた」とみなされたのでした。林鄭月娥がこの談話の公開を願ったのは、婉曲に自分の気持ちと態度を表明したのだと思われます。

     北京は今、「暴動を止める」適切なタイミングを待っています。8月31日、フランスのルモンド記者が現場で奇妙な光景を見ています。香港警察は、まずデモ隊に立法会と政府本部という象徴的な建物に近づくことを許したあと、催涙弾を警察側を守っている注水式プラスチックバリケードに対して、催涙弾を発射し、一部のデモ隊に、警察が設置した注水式プラスチックバリケードを越えさせま、警察側がわざと注水式プラスチックバリケードに放火させようとしたのでした。

     この記者は、当然、中共がデモ隊に対して使う毛沢東の秘技を知りません。1959年2月18日、毛沢東は「チベット武装反乱状況の簡単な説明」で(劉少奇、周恩来、陳毅、鄧小平、彭徳懐らに向けて)批判したのは、「チベットが乱れれば乱れるほど良い。軍隊を鍛えられるし、群衆も鍛えらる。そして将来、反乱を鎮圧し改革を行うための十分な理由も得られる」と言いました。

     8月31日以後、中共は香港のデモ隊に対する宣伝を文章と絵やムビーを山ほど使ってスタートさせ、香港の”暴徒”が放火する様子や、警察に襲いかかる様子などずらりとそろえて見せましたが、警察側の催涙弾や染色水放水、ゴム弾発射などは絶対見せません。自国内の国民に対しては、全く香港報道とちがった「香港暴乱」のシナリオで見せています。

     こうしたことは、はっきりとある結果を指し示しています。中国当局は、やがて強硬な措置をとって、この3ヶ月におよぶ反抗にピリオドを打とうとしていることです。この終局は、天安門事件型の虐殺で終わらせるのではなく、別の方式です。つまり8.31香港警察の行動は、その予行演習でしょう。

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     ★中共内部の方針は、「香港を憎む教育」

     まず「暴動状態をストップ」させたら、次は「それまでのツケを払わせる」で、これが「骨がらみの毒を徹底的に取り除く」です。なにが「毒」なのか? 中国当局の目には、自分たちの独裁政府を認めず、大っぴらに反対している香港人は、皆、毒の範疇入りです。

     香港で反逃犯条例改正案運動が起こってから、中国国内のネット上に、中国国防大学戦略教研部の教授、徐焔の談話が流れました。要点は、「香港社会の基盤は、中国で一番悪い。台湾より悪い。香港の住民ときたら3分の1は英国教育を受けた地元民、3分の1は1949年から50年にかけて、共産党の粛清闘争で追い出され、逃げていった、共産党に恨み骨髄の奴ら。3分の1は、三年連続大災害の大飢饉から逃げ出した連中だ」です。

     こうした憎しみむきだしの言葉は、中国国外で聞くとむちゃくちゃに聞こえますが、私は、「オキュパイ・セントラル運動」が起きた後、中共が「第二次香港回帰」を、国内世論動員する際に、文革時期に階級闘争を使って中国国内に「階級の敵」を作り出したのと同じやり方でやろうとしているのだと思っています。

     ★習近平の2017年香港71講話

     香港の抗議がこんなに強烈では、香港で一国2制度を継続することは無理じゃないか、という見方が、ずっとあります。 習近平の2017年7月1日の香港主権移譲20周年記念談話を読めば、「第二次香港回帰」という指導思想は、この時にはもう系統化されていたことが分かります。

     習近平がこうした考えになったのは、彼の政治思想が、独裁政治かで作られたものだからです。習近平の父の周仲勛は自ら香港に逃げたことがあって、比較的よく香港を理解していました。しかし、習近平はほとんど広東で長く過ごしたことはありません。国家指導者になった後、二回だけ香港に行ったことがありますが、一度は、2008年7月以前、国家副主席として。もう一度は、2017年7月でした。

     習近平の第1回香港訪問以前に、既に大陸と香港の争いは、今に至るまでずっと燃え続けてきました。香港特別行政区基本法の23条(国家反逆罪)反対闘争に始まり、教科書問題、大陸からの運び屋問題、政治改革論議、オキュパイセントラル運動、旺角騒乱、立法議会宣誓問題、香港の民意研究計画による香港市民身分調査、大陸の過激派と香港独立派の出現などは、すべて香港人の心が、ますます大陸の政府から離れていることを証明しています。

     こうした現象は、もし香港を理解していたらば、これは自由な生活に慣れた香港人の、専制政治に対する不満と拒否だと分かるでしょう。しかし、中共は「大統一」という考え方に凝り固まっていて、強権によって社会をコントロールしようとしますから、必然的に、こうした態度は祖国への叛意であり、中央集権への挑戦だと考えます。

     こうした専制思想の作用によって、「第二次香港回帰」政策は、次第に形づくられました。2014年に起きた雨傘運動は、中共の香港全面管理の決心を更に強めさせたのですが、ただ当時は、習近平は党内の権力を集中掌握するのに忙しく、重点は軍隊の改組、掌握でしたkら、香港のことは、しばらくほおっておくしかなかったのでした。

     2017年7月1日に、習近平は香港に、主権移譲20周年記念式典に参加し、視察した折に、比較的率直な談話を発表しています。香港の「政治的な風潮の氾濫」を批判したほかに、大変あけすけにこう言いました。

     「一国2制度の実践は、新たな問題にぶつかっている。香港の国家主権、安全、利益の発展の制度は不十分だ。国家の歴史、民族文化の宣伝教育は強化しなければならず、香港の青年は国家を愛すべきである。社会の一部の重大な政治、法律問題において共通認識が欠けている、などは、香港政策のボトムラインが、鄧小平時代の「順調に復帰を図る」から、「国家主権、安全と利益の発展」に変わったのでした。

     この講話で、習近平はある種の脅し文句を並べました。「『蘇州を過ぎたらもう船をつける場所はない』(チャンスは逃したらおしまい)という喩えがあるが、皆、チャンスを掴んで、建設と発展に集中し、発展しなければならない」と言いました。この言葉の隠された意味は、「もう騒ぎを起こすな。これ以上、中央政府をわずらわせたらチャンスはないものと思え」ということです。

     ★「第二次祖国復帰」は植民地化一掃

     新華社が発表したこの「七一講話」を分析しても、7月2日の社説「香港の第二次香港回帰を完成させよ」ほどはっきりしません。この記事だと、「一国」から「2制度」無原則的な譲歩が原因で、「時代にあった必要な脱植民地化から正義への転換過程が必要だったのに行われてこなかった」と言います。これには三つのレベルがあって

     一には、「硬い」部分の立法レベルで、23条立法が適時に推進されなかったために、国家安全治安治理部分で香港に空白が生じ、香港の核心的価値体系の中に、反分裂主義的な内容がまだ入っていない。

     二には、「軟かい」部分の教育レベルで、「一国」への認識を推進するのが不十分かつ、手段が下手だったために、成功しておらず、どころか逆になっている。
     
     三には、制度上適時に、植民地時代の政府と実業界が共同統治するモデルを正しいものに出来ておらず、反対に、香港の政治行政の家庭では、故意も無意識的にもこのモデルが強化されて、香港の官僚と実業界が、中央が香港に与える利益と経済発展の成果の絶対大部分を独占しており、ある意味では「香港人が治める香港」とは、「官僚と実業界が治める香港」になってしまった。その結果、富める者はますます豊かになり、貧しい者はますます貧しくなって、社会矛盾が不断に激化し、大陸と香港の関係と中央政府が、「生贄の羊」となって憂さ晴らしのマトになってしまった。

     この三つのうち、多少道理があるのは三番目だけで、これは香港返還前に、香港メディアによって「資本者階級と資本主義を消滅させるのが任務だと称する中共が、香港に来た途端に資本家とばかり仲良くなった」と大いに批判を浴びていた部分です。

     中国政府の「第二次香港回帰」の記述の多くは、多維ネットニュースより遅れました。多維ネットニュースの特殊性(訳注;政府系対外宣伝メディア)から見て、私は「第二次香港回帰」は、とっくに準備されていたが、ただ天安門事件弾圧後の悪影響や、オキュパイ・セントラル運動の処理経験から、「二次回帰」は「茹でガエル」方式を採用して、ゆっくり時間をかけて継続するつもりだった。「反逃犯条例改正案」は、そのうちの法律体系を変えるものの一つだったと思っています。

     ★香港の一国二制度こそ、大陸に残された救命非常口

     こうした「二次回帰」の実現は、香港にとっても大陸にとっても真っ暗な悪夢です。北京はどうか忘れないで欲しいのですが、中共統治は「改革開放」で大変身出来たとき、真っ先にそれを助けてくれたのは、かつてのイギリスの植民統治下にあった香港であり、香港人が同朋意識から率先して、大陸に投資し、中国に改革解放の成功への第一歩をふみださせたということを。

     当時、ソ連解体で危機に瀕したのち、ロシアの学者は皆、香港と台湾の中国人こそが、中国本土の繁栄を助けたとみています。ですから、自分たちの利益から考えても、香港というこの一国二制度の地を残しておくことは、中国にひとつの非常口を残しておくに等しいのです。

     北京の香港に対する理解は、昔から浅いものでした。中英共同声明にサインした時、も香港は「马照跑、舞照跳」(訳注;馬は今までどおり跳ねる=中国返還後50年間、香港は今のままの状態が続く)でオッケーだろ、というもの。2001年に中国が、世界貿易機関(WTO)に加入してからも、香港旅行を発展させ、香港人に新たな経済的な儲け口をあたえておけばそれでOK、でした。

     ただ北京が思い至らなかったのは、大陸人は長期にわたる専制政治に慣らされて現在のような哀れな状態になってしまっていますが、自由を経験したことのある香港人は、そんな大陸の専制独裁政治の圧政や馴化は、まっぴらだという点です。香港人が現在、世界に向けて送っているサインは、大変はっきりしています。

     香港の現在のモデル「一国2制度」を維持したいのです。国家主権が尊重される状況下で、引き続き、香港モデルを続けたいのです。香港人が、まだ中央政府に一縷の望みを抱いているからこそ、その矛先をまだ、傀儡に等しい林鄭月娥長官の方に向けているのです。

     王岐山が8月29日から31日、広東を視察した時、世界は、これは習近平が、国務院香港マカオ事務弁公室以外の意見を聞きたがっているのでは、という憶測が広がりました。これも、北京にまだ僅かな希望を持っているからであり、習近平主席が賢明なる香港問題の処理を期待し、「二次復帰」が、このアジアの真珠をぶちこわさないで欲しいと願っているからです。(終わり)

    原文は;何清涟:“二次回归”是陆港的共同噩梦

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