• ★香港特区政府と実業界の「共同統治」の終焉。北京の「第二次回帰」策  2019年9月18日

    by  • September 17, 2019 • 日文文章 • 0 Comments

     9月16日は、香港の「反送中」運動(2019年逃亡犯条例改正案の反対運動)が始まって100日目でした。中共がどうやって香港問題を解決しようとするかは、既に大変はっきりしています。「香港特区政府と実業界の「香港共同統治」の終焉と、北京による「第二次香港回帰」策の発動です。これはそれぞれのルートから放たれた幾つかのサインによって証明出来ます。

     9月13日のロイターの特ダネは、「北京が100社の中国国営企業を深圳に集め、香港に投資を強制させ深く香港をコントロールせよと要求したというニュースでした。9月17日には、中国国内の各ネットにこのニュースと関連論評が登場し、香港の親中左派政党の民主建港協進連盟は、特区政府に930万平米の農地を持つ香港の4大不動産会社(訳注;恒基兆業、CKハチソン、新鴻基地産発展、新世界発展)に農地を回収し家屋建設を求める「土地条例撤回」を考慮するように求めました。李嘉誠は9月13日に、人民日報が名指しで批判しています。この三つのニュースは、皆、北京による「第二次香港回帰」計画の「香港特区政府と実業界の香港共同統治の終結と、中共による香港経済の全面的掌握」を、指し示しています。

     ★北京は「香港の実業家はもはや味方ではない」

     ロイターのニュースの見出しは「中国は、国有企業に聞き的な香港への投資拡大を奨励」(China prods state firms to boost investment in crisis-hit Hong Kong)です。記事は、最近、中国政府が100社の中国の大型国営企業の経営者層に参加を求め、不動産業や旅行業を含む主要な香港のビジネスに対する、これまで以上の投資を要求し、地元民のために就職機会を作り出し、金融市場を安定させ、香港が直面する極めて深刻な政治危機を、政府が解決するのを助けるように求めた、というもの。その中でも、一番、肝心な言葉は、ある高級代表が言った「香港の実業界のエリートは大したことは出来ない。彼らのうちの大多数は、皆、我々の仲間ではない」(“The business elites in Hong Kong are certainly not doing enough. Most of them are just not one of us”)です。

     この言葉の意味するところは、香港実業界のビジネスエリートは、中国政府が与えてやった特権的なレントシーキング(不正な金儲け)や様々なおこぼれの旨味に頼って、大陸と香港の市場を通じて政商結託によって美味しい思いをしてきたが、それはもうおしまいだ、ということです。香港にあったとしても、こうした富商たちの不動産業の財産は、国営企業によって接収管理されるということです。

     今のところ、まだ国営企業がどうやって投資を増やして行くか、その方法はまだはっきりしませんが、原則はもう決まっています。

     中国国有企業は、香港企業の株式を所有するだけでなく、企業を支配し、政策決定権を掌握するように求められており、香港の富豪は、株券を譲渡し、国有企業に決定権を与えよ、というのが可能なやり方でしょう。北京の目からみると、「反送中」運動の中での行動がよろしくない企業は、真っ先に、買い取りの対象にされるでしょう。

     私は★「第二次香港回帰」は中国と香港の悪夢 ( 2019年9月3日)で、香港政府と実業界の「香港共同統治」モデルの終結は、北京の「第二次香港回帰」の重要な一環だと申し上げました。

     中央政府と中共中央委員会統一戦線工作部と、香港の実業界エリートの間に亀裂が生まれたのは、「反送中」運動によって始まったことではありません。2014年の香港のオキュパイ・セントラル運動(雨傘革命)が起きた時、香港実業界の少なからぬ大物が政府を支持する態度を見せなかったことからでした。「中国日報」はこれに対して、10月25日に英文記事「Roundup: Hong Kong tycoons reluctant to take side amid Occupy turmoil」(香港の大君たちは旗色を鮮明にせず)で、香港富豪の李嘉誠の態度が曖昧だと批判。恒基兆業地産(ヘンダーソンランド)の創業者である李兆基、ケリー・プロパティーズの郭鹤年、九龍倉集団の吴光正らは、香港警察のやり方や香港特区政府を支持せず沈黙しました。

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    何清漣氏の2015~2017までのエッセイ改訳版

     ★「香港実業家は、金儲けばかりして政治的義務を果たさない」

     中国の改革開放以来、香港のビジネス界は確かに、中共政府の陰で、レントシーキングで大変、美味しい思いをしてきました。研究では、1978年から1997年は、香港ビジネスと政治の大事な鍵となる20年でした。主権の英国から中国への変換以外に、更にいくつもの、脱工業化、英国資本の撤退、地元ビジネスの集団化、混合型ビジネスの出現、政治機構の組み替えから、政治そのものの再定義などを含む、入り混じった変化がおこり、これらは経済構造の組み替えを生みました。

     製造業は急速にサービス業にとって代わり、後者には、銀行、不動産、旅行業、物流などが含まれます。この過程で形成さらたのが、大型の財閥型企業集団で、典型的な例が、李嘉誠ファミリーの「長江ホールディングズ」とその旗下の多くの様々な業界の企業と持ち株会社は、50カ国に及びます。研究者は、李嘉誠は1950年代にプラスチック製造業から身を起こし、その産業が本当にグループ企業化し始まったのは1979年で、その都市、英国の企業から和記黄浦を買取、それが李氏の帝国の基盤になり、以後、北京と親密な政商関係を結び、北京の支持を得て、いっそう大きく発展したと見ています。

     他の財閥も似たようなものです。こうした財閥グループと北京政府の密接な関係から、大陸と香港の地元経済は急速に融合を遂げ、そこには香港資本の大陸進出や、大陸資本の香港流入、多国籍企業の活動が生まれました。香港と大陸資本は、ますます合併が進み、共生関係を生み出し、中国大陸と香港の間で大量のビジネスプロジェクトとネットワークが形成されました。

     1997年に香港が中国復帰した時に、香港の10大華人ファミリー(李嘉诚家族、李兆基家族、郭得胜家族、吴光正家族、郑裕彤家族らを含む)が、香港株式市場の45%の資産を握っていました。こうした莫大な富は、財閥に政治面でも重要な影響力を与えることになり、こうした人々は、皆、みな北京に赴いて、皇帝からご”褒美の役人の服”を賜り、全国人民代表大会や政治協商会議の常務委員になるなどの栄誉を与えられ、香港においても極めて大きな政治的影響力を持ったのでした。

     しかし、世の中、良いことばかりではありません。中国資本が香港に流れ込み、香港のお金分野の勢力図が変わりました。1997年以後の20年間、香港の地元資本の輝かしい地位は次第に、大陸資本、とりわけ大陸の国有企業の資本の陰に追いやられたのです。

     2016年末には、香港の時価最高の20上場企業の半分は、騰訊、中国移動、中国建設銀行、中海油、中国工商銀行、中信集団、中銀香港、平安保険、中国海外発展などを含む半数が大陸資本になりました。香港地元資本とみなされたのは、長実(李嘉誠)、新鴻基地産(郭炳聯)、恒生銀行と香港交易所 だけでした。

     1997年に香港株式市場の45%が地元の10社にもたれていたのに比べると巨大な変化で、香港ビジネス界は圧迫されました。とりわけ、1997年以後、中国と香港企業が互いに株を持ち合うのが当たり前になって、私人企業と国有企業の境界線が曖昧になり、新たな金剛型の商業モデルが生まれました。こうした混合型のビジネスモデルは、ことなった経済原理で運営され、単純に利益の最大化を目指すのではなく、政治的な義務をはたさなければならず、北京の香港治安維持の役割も担当させられるのでした。

     ★李嘉誠はなぜ「人民日報」に批判されるのか?

     中共政府から見ると、北京の政治に助けてもらって大商業帝国を築き上げた李嘉誠は、すくなくとも三度、北京政府の顔に「泥を塗った」ことになります。

     第一は、2011年から平然と大陸投資を引き上げて、ずっと中国資産を売り払った。2011年から中国では土地を購入せず、2012年以後は香港でも不動産購入せず、撤退規模は1千億単位で、完全に足を洗ったと言われる。当時、中国世論は、李嘉誠の逃亡に大いに不満で、皆、李嘉誠のビジネス王国がどうして出来たかに言及。李嘉誠は香港ビジネスマンとして、北京の最高権力に最も近いところにいたビジネスの巨頭で、香港実業界のトップとして、中国の歴代指導者から、謁見の栄誉を受けていた。鄧小平は1978年と1990年の2度にわたり李にあって「加護」した。李嘉誠は香港にいながら、大陸とツーカーで、その特権ぶりは、どんな太子党のメンバーも敵わなかった。

     当時の「李嘉誠を逃すな」という一文は、はっきり「李嘉誠のこの20年間の中国で得た富は、単なるビジネスでの儲けなどではなく…不動産の利益も、市場経済からばかり得たのではない。だから逃げ出したければ逃げ出せばいいというようなものではない」と書いています。

     また「歴代中国指導者は李嘉誠に何を要求したのか」という一文では、さらにはっきりと、「李嘉誠の資本は、中国政府が政策と特殊待遇を与えて育ててきた表向きは外国資本でも実は中国国内資本なのだから、国と運命を共にすべきだ。今、国家経済の困難な時に、李一家は財産を抱えて国外に逃げようというのは、党の恩を忘れた怪しからぬ行為だ」と述べています。

     第二には、2014年のオキュパイ・セントラル運動の際、李嘉誠は北京と香港政府支持をしなかった。

     第三は、今年の「反送中」運動が起きてから、3度の発言はどれも政府を支持せず、まず「黄台瓜辞」の詩(訳注;なった瓜を皆食べてしまったら蔓しか残らないという、皇太子を次々に殺した武則天の暴虐を風刺した詩)の広告を出して、暗に北京政府が香港に過酷だと批判し、続いて「若い人は大局を見よう、為政者は未来の主人公に寛容に」という日和見的な言論を弄した。
     
     こうした昔の”罪”や今の”罪”のおかげで、李嘉誠は、人民日報など官製メディアの批判対象になり、批判の記事には「巧言令色少なし哉仁」(訳注;論語。口先の上手い奴はロクなもんじゃない」)といった言葉も使われ、おそらく香港の金持実業家たちは、これを読んで心底震え上がったでしょう。

     最後にまとめますと、2014年のオキュパイ・セントラル運動後、北京はずっと「茹でガエル方式」で、ゆっくりと「第二次香港回帰」を実行するプランを温めてきました。それが、香港特区政府と実業界の「香港共同統治」の終焉を繰り上げたのは、一つには、「反送中」運動で、香港実業界の李嘉誠のようなエリートが、抗議デモ側に同情的な態度を見せたために、堪忍袋の緒を切らしたからです。今までの香港特区政府と実業界の「香港共同統治」では、貧富の差が日増しに広がり、社会矛盾が激化して、それが本当の香港の混乱の源だ。それなのに、中共中央政府が、香港の財閥の「身代わりの犠牲羊」になってたまるかと思うようになった。

     二つ目は、キャセイパシフィックの従業員が、「反送中」運動で会社の支持を得たと言ったこと。北京はカンカンになって、英国資本の会社にいるから、北京政府に敢えて楯突こうというのか? ならば、きっぱり国営企業のものにして、従業員の飯の種を支配して、逆らう奴には飯を食わせないようにしてやる、となったのです。

     黄之鋒ら、香港のプロテスターの代表は、米国が「香港人権と民主法案」を議会が認め、香港の特別関税区の地位を取り消すことを願っています。香港経済がそれによって急激に衰え、失業率が上昇しても構わないと。

     一方、北京は「第二次香港回帰」計画推進を加速させ、中国の国営企業に、全面的に香港の経済を掌握させようとしています。どちらが実現しても香港には災難ですし、もし両方とも実現したら、香港は、もはや「東方の真珠」ではなくなることでしょう。(終わり)

     原文;何清涟:官商共治终结 香港“二次回归”启动

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