• 程暁農★「囚人のジレンマ」の中の「国家ガバナンス」 2019年11月5日

    by  • November 6, 2019 • 日文文章 • 0 Comments

    中国 何清漣
    中国 何清漣

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    中共が最近開いたばかりの第四回党中央委員会全体会議(19期四中全会)は、開催前には海外で色々な憶測が盛んに行われたが、終わってみれば中共が公開した情報は、それ以上に何がなんだかさっぱり分からないものだった。「社会主義的な政治現代化」とか「国家ガバナンス」といった無内容なスローガンは、一体何なのだ? 新たなイデオロギーの宣伝なのか、現実の苦境を抜け出すためなのか?中共の官製メディアは、なんと「囚人のジレンマ」という言葉を使った。「囚人のジレンマ」の中で、官界の改善を図るというのが、どうやら「官僚のサボタージュ」をなんとかするため、「社会主義政治の現代化」を提起したのが真実の意図らしいのだが…。

    ★1 中共の正式な会議って何なのか?

    中共は専制政党で、中央委員会全体会議というのは政策を研究、検討したりする場ではないし、人事変更を討議する場所でもない。政策決定と人事変更は、全て最高レベルで先に決定されており、会議では、手を上げて賛成するだけで通過させる場である。

    こうした会議の本当の役割は、下級にしっかりと最高レベルが決めた政策に、態度を表明をさせることにある。通常は、上層が、政策や人事を決定した後で初めて招集され、会議の具体的な手順は、報告を聞き、グループに分かれて討論し、その精神を理解し、支持する態度を表明するのだ。

    内容に関しては2種類あって、外部に公開しないテーマ(原注;今回の場合だと米・中貿易戦争とか香港問題)と、社会に公開する議題(原注;今回なら「国家ガバナンス」)がある。

    カナダのビクトリア大学の呉国光教授は、13回中国共産党中央委員会全体会議(13大)に出席したことがあり、私は、1986年の全国人民代表大会に参加したことがある。党代表大会と全国人民代表大会に出る代表というのは、かなり重複しており、両方の会の開かれ方はにたようなものだ。

    その重要な点といえば、大会での発言は極めて少ないように、ただ、グループ討論では、逆に発言しなければならない。というのは、発言は参加者が、おとなしく服従するかどうかのテストで、発言内容は、自分たちの政治姿勢の具体的表明だからだ。参加したメンバーの発言内容は、会議の概要報告として記録整理されて、印刷されて代表たちが読む簡単な報告書になる。

    この目的は、代表たちに、上層部の精神をどう理解すべきかを分からせるためだ。このほかに、一般代表には公開されなブリーフが作られ、これはトップレベル用だ。その内容は、代表たちが会場の内外で各種の正式な、あるいは私的な議論で、高層レベルがいつも会議内外の様々な情勢を、ちゃんと知るためのものだ。

    四中全会は党代表大会や全国人大に比べれば小規模だが、会議の運営はにたようなもので、こうした会議では参加者は勝手に話などせず、上層部の意図を推測して服従するだけ、口を挟む余地などない。厳しいコントロールの下で、基本的には会議が制御不能になったり、造反したりされることはない。

    どの代表も会議に参加するのは、党内の地位を表しており、彼らが会議に参加する具体的な任務というのは、上の言いつけを守って集団として参加し、会議を開いたという儀式を完成させるだけなのだ。毎回、人民代表大会全国大会の動員に際しての会議で常に言われるのは、「良い会議」、つまりおとなしく指示に従っていうことを聞き、討論して、碌でもない発言をしないようにすることだ。

    史上、ただ一度だけ中央全会のブリーフィングが公開されたことがあるが、これは第9期(1969年 – 1973年)2中全会(1970年廬山会議70年8月23日〜9月6日)のもの。公開された理由は、「林彪と陳伯達の反党集団」を批判するためだった。中共の高層政治に興味のある人は、当時、この2人を批判する資料から、こうした会議の運営とコントロールの仕方を知ることが出来る。

    なぜ、権力闘争が、今回の全体会議のトーンにならなかったのか?それは、権力闘争というのは、通常、中央委員と装飾の代打の闘争ではなく、トップ層の間での政治闘争だからだ。

    中共内部の下級は、ただ闇の中で騒いでるだけで、公開の会場で外部とつながって、会場で総書記や党の主席に対して反旗をひるがえすなどということは、大臣級の官僚があえてやることではないし、また出来ることでもない。ハイレベルでの権力闘争というのは、会の前に起こるものであり、ある種のバランスが取れてから初めて正式な会議が招集されるのだ。

    中国共産党全国代表大会(中央全会)期間にハイレベルが直接、重大問題で、角突き合わせて論争になったのは、たった一度しかない。1978年の11期中央委員会第3回全体会議(11期3中全会。1978年 12月18日〜22日、毛沢東路線から鄧小平路線への転換点)だ。この前提は、華国鋒党主席が「文革」否定の案、老幹部が権力奪取しようとするのを押さえつけるができず、華国鋒を彼らが支持しなかったことだ。

    11期3中全会は、本来は高層レベルでは計画になかった。当時、召集されたのは中央工作会議で、華国鋒と鄧小平の元々のつもりでは、農業、経済計画を話し合うだけで、別に党大会を開く予定はなかった。しかし、8組に分かれて討論が始まった時、中共元老の陳雲が小組会議で、文革に関する歴史問題を発言し、その発言が、会議のブリーフで印刷されて人々に伝わり、多くの共鳴を引き起こしたのだった。

    胡耀邦は、小組の席で「文革期間中、毛沢東が老幹部に与えた各種の冤罪は正されなければならない」という発言は、多くの老幹部から次々に支持された。こうした老幹部の発言は、華国鋒と鄧小平が設定していた会議の枠組みを越えてしまい、会議はコントロールを失って、文革批判から、「毛沢東の言うことは何でも正しい派」の極左思想への批判大会になった。

    この後、緊急に開かれた11期3中全会では、鄧小平と陳雲が協力しあい、鄧・陳が勝利して、華国鋒と汪東興が失脚した。こうした会場での権力闘争は、以後、今日に至るまで起きてはいないようだ。

    ★2 なぜ、中共の官僚世界に「囚人のジレンマ」が登場?

    今回の四中全会の重要な背景には、実際、中共の政治的苦境があり、政府側はこれを「囚人のジレンマ」と言ったものだ。中共の対外宣伝メディアの「多維ニュースネット」は、数日前に、おおっぴらに「官界に『囚人のジレンマ』が存在すると認め、なおかつ、四中全会は、寛解の「囚人のジレンマ」を打破するためのものだったというのだ。

    この「官界の囚人のジレンマ」というのは何かというと、官製メディアによれば、表面的には官僚たちも、土地財政と銀行借金によって作られた不動産バブルの継続は無理と認めているようだが、しかし、誰もそこから脱出しようとしないで、まだそれを続けながらうまい汁を吸うことを願っており、中共上層部が、そこから抜け出そうとするのに対して、極めて不満だということだ。中共官製メディアは、この局面を「金融 — 不動産」型の囚人のジレンマ、と呼んでいるのだ。

    「囚人のジレンマ」とは、ゲームの理論のゼロサムゲームでの代表的な例だ。個人の最良の選択が、全体の最良の選択にはならないという内容で、例えば囚人が、減刑と引き換えに自供するという理性的な選択は、共犯の悪事を暴露して、当局に有利になってしまう。逆に、囚人が皆、口を閉ざして自供しなければ当局は証拠を固めることができず、結果として、皆軽い判決になる。しかし、囚人たちは互いに連絡を取り合うことができないので、誰かが自分を当局に売るのではないかと、損をしたくないので結局自供してしまい、最後には、相応の刑罰を受けることになる、というわけだ。

    官界になぜ「囚人のジレンマ」が出現したのか? 官製メディアの情報から見ると、役人の集団的サボタージュは、内心の反腐敗キャンペーンに対する不満にとどまらず、今や、経済行政の土台を揺るがしているようだ。

    不動産バブルはもう金融危機を誘発して、中共政権を揺るがせるほどにまでなっており、中共のトップらは、各地方政府にもう「土地財政」でGDPをひっぱることには、「ブレーキ」をかけざるを得なくなっている。これは汚職腐敗役人が、腐敗にありつき、出世するための仕組みだったのだが、それが「狙い撃ち」されているのだ。しかし、各級の役人たちは、不動産バブルから撤退しようものなら、誰かがその後を継ぐだけだから、撤退した奴が損をする、とみている。

    独裁体制下では、簡単にこうした「囚人のジレンマ」が発生するのは、中共がこれまでこのゲームの概念を使ってこなかったからだ。毛沢東時代には、各地方は、毛沢東の「大躍進」の大号令に呼応して、最期には経済が崩壊して、何千万人も死んだのがいい例だ。

    1996年にそれが起きた時は、中国の大部分の企業はまだ国営企業だったから、こうした企業の損害が深刻でも、地方政府は依然として、地元銀行に、こうした銀行にずっと貸し出しを続けさせていた。理由は「安定と団結」の維持のためだった。こうした「安定団結借款」は、最期には金融システムをまるまる破産の淵まで追いやり、最期に朱鎔基が、国営企業の全面的私有化(原注;政府は「制度改革」と称した)、国営企業幹部に大部分の国有企業資産を「自分のもの」にさせて、共産党資本主義を生み出した。

    2019年の「囚人のジレンマ」との違いは、現在ではそれぞれのクラスの役人たちは、前回の国営企業幹部が「囚人のジレンマ」から抜けだした時は、高層レベルから、大儲けするチャンスを与えられたが、今回は、そんな結構な出口は見当たらないどころか、今後ずっとそんなチャンスはないことだ。だから、彼らとて、敢えて高層レベルに異は唱えないものの、そこら中でサボりまくるという現象が起きてしまい、みんな、江沢民、胡錦濤時代( 1989年〜2012年)を懐かしんでいる。

    ★3 習近平はなぜ「国家ガバナンス」などと言い出した?

    江・胡時代の中共官界の正式な運営機構は、いくつかの部分があるが、その一つは、GDPテストで、つまりGDP成長率が、役人の成績だった。その2は、個人のコネで腐敗した上司に賄賂を贈って出世できた。下から上までそえぞれに「バック」を探し、賄賂を贈って出世したり、自分の身の安全を図った。三番目には、「土地財政」によるインセンティブで、これは地方財政の集金エネルギーにも、役人個人の銭儲けにも原動力となった。それぞれのクラスの役人は、こうしたシステムの中では水を得た魚のようだったから、今、江・胡時代がなんとも懐かしいわけだ。

    習近平が権力を握ってから、こうした状況は変化し、役人の「腐敗」と金融業界の「金融投機」と銀行の「不動産転がし」など、江・胡時代のうまい汁へのパイプは次第に閉鎖されていった。習近平の同期は、腐敗が中共の骨がらみにまでなっており、もう限界だったからだ。しかし、各クラスの役人の大多数は、習近平の路線を快く思っていない。

    今年の5月に、私は「中共官场新“气象”(中共官界の新ムード)」で分析したが、反腐敗を手段としたプレッシャーには、役人たちは恐怖を感じてはいるが、長年、習い制となった欲張りココロはそう簡単にはなくならず、仕方がなく、首をすくめていただけだ。

    江・胡時代のGDP成長率出世体制、個人のコネによる腐敗官僚の出世システム、土地財政によるインセンティブはどれも、弱められていますが、今後は、もっと厳しくなりそう。これは、自然、役人たちの腹の中の不満を、いよいよ高める。官製メディアは最近、「金融 — 不動産」型の「囚人のジレンマ」にこんな比喩を使っていた。

    ;もし中国経済を企業に例えれば、中共の高層レベルは、企業のCEO、高利潤のへの業務調整は、同時に株主(銀行)と、部門の長たち(地方官僚)の不満を招いた。で、株主たちは増資をしたがらず、部門の長たちは賢く保身をはかって、面従腹背、サボっってばかり。その結果、企業の業績は連年、右下がり。

    市場経済のルールなら、「株主」が集団投票でCEOを交代させるわけだが、中共のCEOは交代などさせらない。それだけではなく、反腐敗後の、高層レベルの独裁は、すでに地方官僚や利益集団を凌駕しているので、「株主」も「部門の長」も、ただ、おとなしくいうことを聞くだけだ。

    しかし、習近平の困難は、反腐敗キャンペーンによる政治的高圧プレッシャーは、役人たちのサボリを解決出来ないことにある。だから、今回の四中全会で、「国家ガバナンス」問題を提起したのだ。

    いわゆる「国家ガバナンス」の核心とは「官僚ガバナンス」だ。世界各国のk官僚界には、ふたつの「ガバナンス」がある。一つは、民主国家の選挙、法治、と公務員の倫理だ。もう一つは、専制国家の政治的な高圧に腐敗の”ニンジン”である。最初の道は、中共の四中全会では、もう完全にふさがってしまっている。後の道も、習近平によって半分はふさがってしまった。反腐敗キャンペーンによって、役人たちのインセンティブもなくなってしまったのだ。

    中共が四中全会で提起した「国家ガバナンス」の重点は、「各級役人の積極的な激励システムを新たに生み出す」ことによって、、地方政府と更にその下の役人たちの成績考課を新たに打ち立てて、出世のチャンスとして奨励すること」で、その上に「社会主義政治の現代化」という帽子を被せたわけだ。

    実は、官界に「囚人のジレンマ」が出現した、そのこと自体が、専制システムがうまくいかなくなっていることを示している。というのは、専制制度は、政治的なプレッシャーをつくりだし、役人や民衆をおとなしくさせる力は持っているが、毛沢東時代の個人崇拝を除いては、役人たちに自分を励ますに足る方法はなく、独裁政権のために、必死になって頑張って死んでも悔いがない、などと思わせるすべはないのだ。

    役人たちを一生懸命に働かせるには、「棍棒とニンジン」が必要で、政治的な高圧は棍棒、腐敗がニンジンだ。しかし、現在の「国家ガバナンス」は、ニンジンをなくして、「棍棒」だけを一日中振り回して、ロバ達に臼をひかせようというもの。人類社会ではこれまでに、こんな「政治の現代化」が存在したことはない。

    中共の難題は、民衆の積み重なる恨みのような簡単なものではなく、「官僚界のガバナンス」というのが出現したらしい。これは、専制政治システム運営の中に、本当の困難が登場したメルクマールで、こうした苦境は、早晩、経済の上に、さらに一歩進んだ形で現れることだろう。(終わり)

    原文は;四中全会:“囚徒困境”中的“国家治理”

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