• ★北京は、江沢民時代の香港政策を捨てた★ 2019年11月14日

    by  • November 15, 2019 • 日文文章 • 0 Comments

    中国 何清漣
    中国 何清漣

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     香港情勢を分析するには、毎日、各種のニュースに目を通すだけではなく、更に重要なことは、中共の政治言語を熟知し、その言葉の持つ真の意味を理解することです。

     第四回党中央委員会全体会議(19期四中全会)が終わった後に発表された公報では、香港政策に関しては、ほんのちょっとしか触れられていませんでしたが、しかし、そこには「国家の安全」という言葉が強調されていました。この言葉には、この問題を知る上で十分な意味がこめられているのです。

     香港民主党の胡志偉主席は、そのきなくささを嗅ぎ分け「苹果日報」(11月7日)に、四中全会で明らかになった情報を指摘しました。それは「中央政府が全面的にガバナンスに乗り出し、香港に対する黒い手を伸ばし、香港は権威主義政治から独裁政治へ」「今日の新疆は、明日の香港だというのは、もはや流言ではなく、香港の未来は暗い」と書きました。

     あの、「火をつけられた反デモの市民」事件は、北京が待ちかねていた強制的にデモを鎮圧する時が、ついにやってきたのです。中国当局は、香港の暴力破壊活動はまさに「テロの深淵」に向かっており、当面の急務は暴乱の阻止、秩序の回復だと宣言しました。もし中国が多少は、気にかけている国際的な干渉がなければ、香港中文大学の防衛戦はひょっとすると、この度の「反逃亡犯引き渡し闘争」の、「最後の戦い」の場になるやもしれません。

     ★一度だけ「鉾を収める」チャンスがあったが…

     中国政府は、いかなる異議も許しませんが、地域によって異なる「ガバナンス」戦略を取ります。香港は、かつて英国の植民地で、中国文化と西洋文化が雑居し、世界のトップクラスの多国籍企業は、皆業務を行なっている場であり、国際都市であり、利益があります。チベットや新疆より、特殊性がありますから、北京のやり方も違い、中国の行政範囲内では、唯一、集会の自由と、デモの自由が存在する場所です。ですから、香港問題では、「徹底的に戦え」と「程よいところで収めよう」という2種類の意見があったのです。今後、今回の運動を総括するにしても、この2種の、あるいはもっと多くの見方があるでしょう。

     現実的にいえば、今年の6がつから今に至るまで、香港人には、一回だけ、短期間、「程よいところで収める」チャンスがありました。6月13日の香港200万人デモの後、北京は確かに、情勢が厳しいのを見て、低姿勢で平穏に事態を収めようと思ったようです。

     そのメルクマールは、中国の駐英大使の劉暁明が、BBCのインタビューに答えてはっきりと「中共中央は香港の『逃亡犯条例改正案』を指示したことはない。逃亡犯条例改正案は香港政府が自発的に提起した」と述べたこと。二つには「香港の香港特別行政区政府における首席高官の張建宗政務司司長が6月13日にNowニュースの取材に、香港政府の高官層は、金鐘の暴動事件とゴム弾発射の決定には関わっていない。これは警察が現場の状況で決めたのだ、と強調したことです。香港の反対派は、「暫定的棚上げ」を撤回ではないとして、5項目要求を出し、一つも欠けてはならないと主張したことで、北京は、「第2次香港回帰」の方針を出し、ゆっくり実施しようとしました。

     北京は十分、香港の反対運動を鎮圧出来る力を持っていますが、それでもやらないのは、当然、「やるチャンス」を待っているからです。このところ中国では、大きな行事だった建国70周年とか、19期四中全会などが終わって、西側国家は自国の問題で手一杯でもう一致して行動するなど出来ませんし、中共に何か文句を言ったところで全然効果はありません。そこに、とうとう「中国支持派が火をつけられた事件」が起こりました。中国中央テレビは、これに対して「暴徒たちにはもうたくさんだ。言うべきことは言い、勧めたし、警告もした。暴乱を止めるには、今や固い決心で強く執行することだ。情勢が混乱し、無茶苦茶な状態で香港がダメになるのを、国家は絶対に許さない」と論評しました。

     「中国支持派が火をつけられた事件」については、二つの見方があり、香港の反対派や支持者は陰謀論で、これは中共のやらせだというもので、ナチスの国会放火事件と同様のものだと言います。香港政府と北京は、反対デモ隊の仕業だと皆しています。ニューヨーク・タイムズ紙やBBC、VOAなど、香港に特派員を擁するメディアは、後者の見方をしています。

     しかし、現在の情勢の下では、誰がやろうと結果はにたようなものなのです。北京は「暴力制止」の機を伺っていました。なぜ、機会を待っていなければ(あるいは、理由を作り上げる_いけなかったのか?といえば、中共は、こうした事件を処理するには、毛沢東流の、「事をなすには、理と利とチャンスが必要だ」を受け継いているからです。1959年にチベットで、北京の統治に対して反乱が起きた時、毛沢東は、最初、じっと我慢してひたすら自体の発展を注視し続け、サラ事件が暴発してのち、ただちに「ついに、政治的にこちらが動く時が来た」として、「反乱鎮圧」を命じました。(1959年のチベット蜂起は、デモ隊がラサで独立宣言し、砲撃を受け、ダライ・ラマ14世の亡命の契機になった。死者8万人といわれる。wiki)

     「中国支持派が火をつけられた事件」は、ラサ事件と同様、北京が「じっと待っていた」同様の、「暴動制止の政治的主導権」を北京に与えたのです。

     ★江沢民の「河水井戸水混じらず論」が中共メディアで批判された

     「一国二制度は、五十年間変わらない」というのが鄧小平時代の基本でした。鄧小平の後、北京の主人は3代かわりましたが、胡錦濤は「無茶はしない」で、余計な事をするよりはしない方が良いで、香港政策の基本法は江沢民と、香港を主管していた曽慶紅の決めた構図でした。

     江沢民の香港ガバナンスと言えば、香港人は「河水井水論」(訳注;井水不犯河水=井戸の水は川の水を妨害しない→互いに他人の領分を侵さない)をあげます。しかし、11月10日、北京に本部を置く多維ネットは「香港は「何を強固に堅持し、完備させ発展させるべきか」なる一文を発表し、大ぴらに江沢民が決めた香港ガバナンスを批判しました。

    ;「甚だしきは、中央まで『一国二制度に対して間違った認識を持って、『井戸の水は河水を妨害しない』といった認識を持って、両地域の隔たりを強め、両制度の間の緊張を高め、『一国』という大前提をボカしてしまった。こうした消極的な『一国二制度』の下で、中央は、放任し我関せずの態度をとった。香港側も、中央からの統治行為を、香港内部のことに対する干渉と受け取ったが、こうした状況は、必ずや改められなければならない」と。

     「井戸水河水論」は中共の江沢民元主席の話です。香港回帰の命運は、ずっと香港人が心配して来た大問題で、英国は主権変換前に、当然、これに対して関心を持っていました。1989年12月6日、江沢民中共総書記は、英国の特使である首相顧問のコリダーと香港問題を討議した際に、「一国二制度問題では、私はかつて多くの香港の実業界工業界、香港特別行政区基本法起草委員会の人々に、『井戸の水は河水を妨害しない』ということわざを引用した。これは全部言えば『井戸の水は河水を妨害しない。河水は井戸の水を犯さない』なのである」と。2010年10月、国務院香港マカオ主任の王光亜は、香港メディアに対して、「二つの地は、一国二制度、井戸の水は河水を妨害しない、で行くべきだ」と言いました。香港と中国では大きさが違いますから、これは当然、小さい井戸が香港だと理解されました。

     実際には、井戸水は河水を犯す力はありません。江沢民と王光亜の発言は、一つの態度であって、香港の実業家が大挙して中国に投資しても、「河の水」の味は変えられませんし、最大の影響は、税収に貢献して経済的な影響があるのを除けば、香港人が深圳あたりにお妾さんを置いて、数万の「どっちでもない」人口を増やす事ぐらいです。

     しかし、中国という大河は、井戸に流れ込み、香港の政治生態やメディアの文化生態を変えることができます。こうした心配は、香港人がまだ自由に発言できた時には、ずっと、様々なルートで聞かれました。香港人の林貢欽はBBCで「香港ウォッチ、井戸水と河水のもつれ合い」は、もっぱらこの香港人の、大陸からの浸透を心配したものです。
     
     ★反送中運動がなければ、中共は「2次回帰」を放棄したか?

     今回の討論で話されない問題は、「もし反対者がもっと我慢すれば、香港は、ちょっとは良くなったか?」です。これは事実を見ればわかります。情勢が多少、緩和され、北京は引き続き『茹でガエル』方式を続けたでしょうが、「2次回帰」計画そのものを止めることはなく、あゆみが少し遅く無っっただけでしょう。

     「河の水」が絶え間なく「井戸の水」に流れ込んで来たので、香港人の危機感は、日増しに強まり、だからこそ2014年のオキュパイセントラル運動になったのでした。今回の反送中運動が起きてからは、香港側には、香港独立の考えが生まれ、北京はこれに対して、「香港人による香港統治」をやらせようという方向ではなく、一国制度を強化して、「2国」の方を弱めねばと、”反省”したのでした。北京の「2次回帰」計画については、私は★「第二次香港回帰」は中国と香港の悪夢  2019年9月3日★と★香港特区政府と実業界の「共同統治」の終焉。北京の「第二次回帰」策  2019年9月18日に書いておきました。運動発生後、数カ月、北京の対香港政策を検討してきた北京は、ついに元総書記に対して、批判を表明し、今後は、「河水は井戸水を犯さず」ではなく、「河の水でダブダブにして、一国一制度を強行する」ことに決めたのです。北京が今後の終局を収拾するとすれば「反テロ」を基本とするでしょうし、その被害たるや軽いものではないでしょう。(終わり)

     原文は;北京治港策大变 江泽民“河水井水论”挨批(北京は香港ガバナンスを大きく変えて、江沢民の「河水井戸水論」を批判)

    何清漣氏の香港関係論評は
    香港教育の「本土復帰」は心配の最たるものです  2019年10月23日★
    香港問題の由来とウィンウィンへの道は   2019年8月23日 
    北京の香港問題軟化の理由 2019年06月15日★

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