• 程暁農★中共40年の「改革」で生まれた共産党資本主義  2019年12月20日

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    中国 何清漣
    中国 何清漣

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     ★⑴ 中共の制度改革:共産党と資本主義の”結婚”

     中共の改革は既に40年を経たが、一体どんな制度に変わったのかと言えば、依然謎だ。中共は、政治のレベルでは、独裁専制制度を改革したことはない。しかし、経済レベルでは、天地が覆るような変化を遂げた。大部分の西側の人々は、最初から最後まで中国を理解出来ない。共産主義と資本主義は、水と火のように互いに相容れないものだと信じている。彼らは中共の経済改革が、資本主義と合致するならば、民主も自由も資本主義の経済制度における基礎だから、中共も自由・民主を受け入れるだろうと思っている。

     まさにこれこそが西側ウォッチャーたちの大間違いなのだ。彼らはあまりにも物事を単純化し過ぎて、中共の「改革」の本質を最初から最後まで見誤った。中共が社会主義経済制度を放棄し、資本主義と抱き合ってからもう20年も経った。だが、西側ウォッチャーたちが待ち望んだその結果は、ますます厳しくなった専制主義だった。

     むしろ、元からの共産党国家の専門家の方がよく分かっているようだ。彼らは、社会主義経済制度には生命力がなく、遅かれ早かれ資本主義に帰らざるを得なかったと知っている。1988年、オーストリアの首都ウィーンで社会主義国家改革の討論会が開かれた。これは、中国の学者が、このテーマで参加した唯一の社会主義国家改革の国際討論会だった。

     当時、ハンガリーはまだ制度の転換段階にはなっておらず、依然としてハンガリー社会主義労働者党(つまり共産党)が統治していたが、それでもハンガリーの科学者は、既にあえて率直に自分たちの内心を話すようになっていた。席上、ハンガリーの経済学者は、「いわゆる社会主義というのは、資本主義から資本主義に移行する過渡期のことだ」と風刺的に語っていた。つまり、まず資本主義から社会主義に、しかる後に社会主義から資本主義に戻ると。このハンガリー人の見方は、すぐにソ連と東欧書屋の民主化と市場化によって真実だと証明された。そして、後になって中国も、また社会主義制度を放棄するに至ったのだ。

     このハンガリーの学者は、そう語った後、僅か2、3年で祖国の制度が順調に転換し、市場化、民主化するのが見られてさぞ嬉しかったと思う。同様のことは、欧州中部のポーランドやチェコスロバキアでもみられた。この中欧国家のモデルチェンジは、西側のウォッチャーの判断とも合致した。しかし、中欧モデルは特別な例だった。そして、前ソ連邦に加盟していた共和国や、東欧のその他の国家は、経済制度は全て資本主義制度になったが、政治は元からの共産党にハイジャックされたようなもので、奇形的な制度転換になってしまった。

     中国では経済制度は資本主義に変わったが、政権を握る中共は、資本主義との”結婚”を通じて、スターリン型を共産党資本主義型に変えた。西側学術界では、2012年に初めて、共産党資本主義という新制度形態を提起したのは私だった。それは一時的な制度転換の過渡的モデルなどではなく、一種の社会主義と資本主義以外の人類史上初の政治経済制度だ。2016年にこのテーマで、ワシントンのシンクタンクで講演したこともある。

    ★⑵ 共産党資本主義の誕生と老衰

     中国で、共産党資本主義がいつ誕生したか、中共がどうやってスターリン主義型の社会主義を共産党資本主義型に変えて行ったかという、この中国の改革の最も実質的な問題は、もう歴史の煙の中に消えてしまった。皆、習慣的に、中国は紅色貴族の資本主義だというが、これは比喩であって、はっきりとした構造分析ではない。世界各国の貴族資本主義は、東アジア国家で旺盛だったし、アフリカ諸国では、今だに十分盛んである。しかし、共産党資本主義とそうした発展途上国の貴族資本主義は、はっきりと違ったものだ。

     中共の独創による共産党資本主義制度は、人類の歴史上も、今日の世界でも唯一の存在であって、類似した存在は無い。経済分野では、共産党資本主義は、概ね資本主義経済制度に属する。共産党は、自分たちは、資本主義制度を消滅させ、共産主義を実現すると自称していたが、しかし彼らが発見したのは、資本主義経済制度は、紅色政権の地位をしっかと固めるのに役に立つということだった。だから、いささかの迷いもなく、共産党幹部を資本家にしたのだ。

     かくて、中国には共産党員資本家が主導して、資本主義経済制度を掌握して、コントロールした。そして、元々は資本主義を消滅させるはずの共産党は、資本主義によって助けられ、発展し、また利用して、自らの生命力を延ばしたのだ。政治分野では、共産党資本主義は依然として、一切を共産党が独占し、全面的な高圧的で厳しい社会管理によって、民間のいかなる自由民主主義を追求する言論や行動を根絶やしにしていった。

     現在、共産党資本主義の誕生を分析する訳は、それが20歳になった今、はっきりと老衰現象が見られるからだ。私は別の文章で、この老衰現象の様々な現れと、中共高層部の懊悩を分析した。ここでは、簡単に共産党資本主義がどこから来たかを簡単に紹介する。もし、共産党資本主義がどうして誕生して、どう変わってきたか分からなければ、なぜ、このように早く衰亡しているのかが理解出来ない。中国の未来に関心のある人々に対して、共産党資本主義の衰亡の法則を理解することは、中国の未来の政治制度の転換を考えるにあたって、必ず持っていなければならない鍵なのだ。
     
     共産党資本主義は、スターリン型の社会主義制度を揺りかごに誕生した。なぜ、共産党が資本主義と抱き合う必要があったのか? 答えは、社会主義経済制度の失敗の教訓の中にある。中国の1980年代以後生まれ、1990年代以後生まれの人々は、改革開放後に誕生したために、改革の前の状況を知らない。多くの人々は、中共が改革開放前のソ連型モデルとは一体何かを知らないのだ。

     中共によって放棄されたソ連モデルの話から説き起こして、やっと、なぜ中共が、これまで、資本主義制度の中で、共産党幹部がいかにして資本家になったか、そして共産党資本家たちが、どうやって資本主義経済から利潤を上げ、自分たちの独裁体制統治を強固にしたのかを、ちゃんと説明しない理由が判明する。

     ★⑶ 社会主義経済制度の必然的没落

     スターリン型の共産党国家制度は、「3本足の台」だ。3本足とは、まず一本目がリーダーの個人崇拝にささえられた独裁制度。2本目が、自称「究極の真理」を全社会に、共産党イデオロギーとして強制的に注入すること。3番目は、全面的な交友制度と計画経済を基礎とする専制経済管理制度。

     スターリン型の凋落は、スターリンと毛沢東といった独裁者の死去で、社会主義制度経済の改革から揺らぎ始めた時に、共産党政権が自らを救うための必然的な選択だったのだ。ソ連は、フルシチョフが書記長に就任してから経済政策の調整を行い、中共は1978年から経済改革を開始した。東欧のハンガリー、ユーゴスラビアも中国と似たような経済改革を行った。中共の経済政策は、1997年以前は、すべて社会主義経済制度の調整だったが、そうした調整は、民衆の生活を改善はしたが、社会主義経済制度の苦境を救うことは出来なかったのだ。

     経済管理での専制制度は経済活動の各分野の決定権を全て、各級政府の手中に集める。このためには、膨大な中央政府の経済管理システムの構築が必要でだ。そこには経済権力の全てを握る国家計画委員会(省、地方、県レベルでも、対応する権力を持つ計画委員会)、さらに、工業生産と交通運輸などの責任を負う経済員会や、物資の分配を行う物資管理部門、資金配分を担う財政部門や国有銀行、消費物資を分配する商業部門や労働力の分配を担う労働資源管理部門などの一連の総合管理部門が必要となる。

     このほか、各業界に分かれた専門の管理部門も必要だ。全国の主要企業の大部分は、そういった部門の管轄となり、中央政府部門の決定によって方針が決まり、企業はただ実行だけを請け負う。企業には独立性も無ければ、自主権も無いし、利潤は上部に、資金の使用は上級が決定する。国有企業の改革前の話に「醤油を購入するゼニで、酢は買えない」というのが、こうした高度に集権的な経済管理システムの特徴を言い表している。

     所謂「計画経済」とは、全国が下から上まで、どの部門も生産計画と必要な労働力、資金、材料の計画を立てて、それを一本化して上級に報告し、最後に、国家計画委員会が、中央各省や地方の省や市の生産と人、資金、材料を総合して、計画指標に基づいて修正と批准をへて、正式な命令書を各省や地方の省・市政府に下達する。それは更に分解されてもっと下へと降りていく。

     経済計画の指標はいったん下へ伝えられたら、簡単には変更出来ない。上級政府部門は毎月、毎四半期、毎年、厳格に計画の執行状況を審査して、下級単位の労働実績となる。計画管理の硬直した特徴は、どの生産部門の具体的状況や供給条件の変化を考慮することなく、ただ簡単に前年の計画に基づいて、仕事の割り当てを増やし、次年度の計画を決める。その前提は、一切の状況は、いかなる変化も起きないということだ。そして、企業側は硬直したまま、前年の経済活動を再度繰り返す。調整には限度があり、生産釣果はなんの奨励もされず、損害は罰せられる。労働者は「鉄の鍋の飯」を食い、良い仕事をしても、いいかげんな仕事ぶりも、給料待遇は同じで、賃上げはもっぱら国務院の命令書次第だ。毛沢東が死去する前の15年間は、一切給与は上がらず、1978年、国務院が出した全国企業の4割の労働者の給与値上げは、わずか数元だった。

     毛沢東時代だろうが1980年代の改革だろうが、都市の経済改革を終始、主導したのは各級の政府部門の幹部だった。どの企画も彼らが解放しようとする部分は、経済体制の中で彼らの握っている経済的権力によって、しっかりとコントロールされていた。企業や民間は、やっとのことで自主経営の限定的な空間を与えらえ、市場経済の萌芽が出現した。幹部が経済権力を手放すのは、上級の指示だったが、権力をもって私益を図るのはその頃から習慣となった。

     とはいえ、金額的には限りがあった。当時は農村改革が行われて、農家生産請負い制が進められて、その結果、農業生産では、個人経営が農民を縛り付けていた人民公社制度を突き崩しつつあり、計画経済の農村コントロールは完全に効果を失っていた。1980年大の都市改革は、ただ、企業に部分的な利潤と残業、奨励金を認めただけだったが、労働者の生活水準は上がり、商品供給は改善され、耐久消費財も普及し始めた。

     社会主義の企業公有制度の下では、競争プレッシャーがないので、サラリーや福祉をアップさせても、労働効率は上がらず、ただより多くの人間を軽くキレイな仕事にと向かわせるだけ。その結果、大量の無駄なホワイトカラーが誕生し、企業の仕事はダラけたものになる。ソ連と中国では、こうした現象がみられた。粗雑な管理と低い効率、高い浪費の社会主義経済制度は、長いこと「人々の心をお金で買収」する政策が、必要な支出を賄えなかった。いったん支出が増えれば、続けるのが困難となり、共産党は自らの経済的な基礎を空洞化させ、社会主義経済制度は、終わりへの道を歩んだ。

     ★⑷ 中共統治下の第一代紅色工業資本家

     経済制度の市場かが一体、どうやって専制政治制度と抱き合って共生を果たしたかに関して、西側のチャイナウォッチャーたちは、全然分かっていない。その道理は実は簡単なのだ。共産党資本主義の経済制度と世界各国の資本主義は、基本的には似ていて、企業私有と資本の個人所属なのだ。共産党資本主義が、唯一、西側の資本主義と違う点は、大量の資本と企業を有する資本家たちが、同時に皆、共産党員だということ。その大多数は、かつて、あるいは今も依然として共産党の幹部で、彼らもまた共産党独裁政権の言うままだ。いかにして中共が全面的な公有制社会をすっからかんにするまで、何百、何千万の党員資本家に成り上がったのか? 彼らの私有企業や金融資本はどこから来たのか? 全ての答えは、1997年に始まった国有企業私有化の中に隠されている。

     中共の国営企業の私有化は、破産に瀕した国営企業の大多数が金融危機の窮地から脱出するためだった。1980年〜1990年代中期にかけて、国営企業の絶対多数が、銀行の”輸血”に頼っていた。そして、銀行の国有部門につぎ込む資金は、ますます増え、銀行自体の経営状況もますます悪化した。国有企業の負債はうなぎのぼりで、大量の借金は投資に使われず、職員労働者の給与と福祉に使われた。銀行に返済しようもなかったし、企業に返還させる資金もなかった。1995年全国の国営企業総体での負債は、資産の85%に達した。

    つまりもうすぐ破産で、ますます多くの国有企業が銀行に「空手形」を出すようになって、借金を返すどころか、利払いにも困って、全国の国営企業の銀行に対する利息不払いは千万元を超えた。こうした国営企業の借金が銀行の不良貸付となって、銀行システムの潜在的金融危機も、日に日に露わになった。

     1990年代初めには、すべての銀行の再建の20%が不良だった。1994年全国の銀行業界に、史上初めて深刻な全面的欠損が出て、1996年の銀行システムの不良債権は、再建総額の70%に。銀行システムの崩壊を免れるために、中共は、やむをえず国有銀行の保管する国営企業債権を放棄するという、社会主義の伝統的なやり方を取らざるを得ず、十万以上の国有企業の大多数は、「お荷物」として放り捨てられて、「自然消滅」するに任された。

     こうした決定で、社会の怒りが中共の上に降りかかることを恐れた当局は、国営企業の全面的な私有化(原注;当時は曖昧な改革を意味する「改制」と言われた)の実行を決定し、国営企業の工場長や経営者、または地方の役人を「改制」と人減らしの担当者にした。私有化が引き起こしそうな社会の不満や怒りを、政府からこうした工場長や経営者に向かうようにしたわけだ。

     当然、国営企業の経営者や工場長たちも、むざむざと「身代わりの羊」にされる代わりに、自分たちが国営企業をそっくり丸呑みするのが、黙認されるという”長所”が得られたのだった。こうして、わずか数年間で、大部分の国営企業は、工場長や社長のポケットにすっぽり収まって、中共統治下の第一代紅色工業資本家が誕生となった。制度転換という観点から見た場合、いったん現有の企業の大多数が私有化されたら、社会主義経済制度は、つまり徹底的に解体されたわけで、企業の私有という特徴は、つまり資本主義だということだ。

     ★5:中国モデルとは、資本主義でプロ独裁強化

     中共の「正しい言語」においては、絶対に「資本主義経済制度を建設する」などというあけすけな言い方をしてはならない。その代わりに「改革」と「市場化」と言う。この言い方は、肝心な問題をうまくぼかすせる。つまり、中共の社会主義経済制度は、一体いつ解体されて、これに変わるのはどんな経済制度かという問題のことだ。中共の公式宣伝では、通常、1992年の鄧小平の南巡講話が改革の新たな起点だとされる。

     この起点の本当の意味とは、鄧小平の南巡以後、政策決定力のある高層支配層家族の間では、80年代の”改革派”と、”反改革派”が、以後は、手を携え合って、共産党資本主義制度の道を建設するという意味だ。最後には、双方はお互いに融合して一体となり、共同で今日の中国を支配する紅色資本家となった。彼らの間には、紅二代と官二代の違い(訳注;革命家の一家と、中共政権成立後の官僚家族のこと)があり、互いに嫌い合っていたが、しかし、根本的な利益は一致しており、金持ちに成ろうと言うのなら、「プロレタリアート独裁」を強化する必要があった。

     制度転換という視点から言えば、中共の社会主義経済制度が正式にお陀仏になった、正確な時間は1997年だ。この年から、中共の経済制度は正式に資本主義制度となった。2002年になると、大部分の中、小型国有企業は、私有化されるか、破産後に工場と土地が売りに出され、新たな所有者は基本的に、皆、共産党員資本家だった。

     これと同時に、大型国有企業は次々に、株式上場を行い、その高層管理部門の連中は、自分の会社の上場前に、無償で株式を手にしていた。だから、上場後、株価高騰と同時に、いともやすやすと紅色資本家の元手を手にすることが出来た。私有化以後の企業の経営者としてであろうと、大企業の株主であろうと、こうした紅色経済管理幹部は、孫悟空のように「身を一振りするやいなや」、共産党員資本家に変身出来たのだ。

     こうした連中以外にも、上下様々な官僚の多くの紅二代、官二代はコネと権力で、大儲け出来たのだった。そうして得た莫大なお金を国内に投資したり、海外へ隠したり、不動産を買い占めたりで、かくて、中国にはまたしても大量の共産党金融資本家や不動産資本家が誕生した。

     こうした紅色資本家たちが、共産党資本主義新体制の中で、資本主義を発展させる中心的な力となった。彼らは、富を追求すると十に、体制内の権力を求め、少なくとも共産党の構造の中に、小さな自分たちのネットワークを作り上げた。

     共産主義と資本主義はカタキ同士だなんて誰が言ったか? マルクスのデタラメである。中共という世界最大の共産党が、自らの実践で証明しているではないか。共産党幹部は、自ら資本家になれると。

     彼らは、共産主義のイデオロギーを使って、政権独裁の旗印にして、同時に公有財産を奪い取って、風を呼び雨を呼ぶ.自然を意のままに従えるほどの紅色資本家になったのだ。資本家のお金と共産党の専横のどちらも兼ねているのが今日の中国である。

     今日の中国では、もう「共産党宣言」は単行本としては出版されていない。なぜなら、あの本の観点は、中共から言わせれば「反党文書」なのだから。マルクス・レーニン主義を信奉する共産党は、改革の中で、反マルクス主義の道(すなわち資本主義の道)を歩み、偽マルクス主義政権を強化したのだ。

     国有企業を私有化して、今日で20数年になるのに、中共は依然として、「私有化をやらない」などと宣言している。これは、共産党と資本主義の新体制のイデオロギー上の明らかな対立を隠蔽するためである。何故ならば、私有化は徹底的に、中共のマルクス主義の旗印は羊頭狗肉だと明らかにしてしまうからだ。

     もし、マルクスが墓の中から出て来たら、たった一つの選択肢しかないだろう。つまり、中共の「マルクス主義」の戸籍を剥奪することだ。しかし、もしそんなことが中国で起こったなら、マルクスは、「マルクス主義政権」によって牢屋に入れられるだろう。もし、その監獄があまりにひどいから嫌だというのなら、唯一の選択は、この偽マルクス主義政権に忠誠を誓うことだが、そうなったら、マルクスも、もはや「マルクス」ではなくなってしまう。

     国家の経済の命脈と大量の資産、富の数々を共産党員として握っている紅色資本家は、当然、民主主義を敵視する。彼らにしてみれば、ただ一つ信頼できるのは自分たちを守れる制度、つまり「プロレタリアート独裁」だ。

     つまり、彼らの全社会とその他のメンバーに対する永遠の専制である。彼らははっきりと、社会主義の経済制度はとっくに捨て去った。紅色資本主義者たちの資本主義制度は、プロレタリアート独裁の強化によってこそ、「自分たちの支配する山河が永遠に続く」ことを知っており、それこそが中国モデルの本質だ。中国経済のモデルチェンジとは、共産党独裁をただ固めることではなく、さらに一歩進めて、専制を強化することなのだ。この種の共産党資本主義にとっては、自発的に民主制度的な資本主義に転換するなど、出来ない相談なのである。

     (終わり)

    原文は:程晓农:中共四十年改革成共产党资本主义
     

     

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