• 程暁農★共産党資本主義は自ら陥穽に落ちた  2019年12月30日

    by  • January 3, 2020 • 日文文章 • 0 Comments

     江沢民・胡錦濤時代(1989〜2013)の官僚機構運営は、「お金の神様」頼りで回っていた。習近平の「反腐敗キャンペーン」が始まってからは、官僚らが全面的にサボるようになってしまい、今度は「経済督戦隊」が登場した。「病が重くなるとやたらに医者にかか. る」(訳注1;「溺れる者はわらをもつかむ」)だ。経済の不振は、過去20年の盲目的発展の寿命が短かったという事実の反映だが、「経済督戦隊」の登場は、共産党資本主義体制の下にある官僚機構の運営が「老いるよりさきに弱ってしまった」だ。

    中国 何清漣

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     ★1 共産党資本主義の「生命力」は腐敗から生まれた

     10日前に、私は「★中共40年の「改革」で生まれた共産党資本主義 」(2019年12月20日)で、改革時代の中共が、いかにしてスターリン型モデルから、共産党資本主義制度に変化したのかを分析した。同時に、この制度は、20歳になったとたんに、はっきりと老衰の兆しが見えることも指摘しておいた。今、もう一歩進めて、共産党資本主義の「生命力」が一体どこから生まれて、いかにして共産党資本主義を「老いるよりさきに弱ってしまった」かを分析してみよう。

     中共の対外宣伝メディアの多維ニュースネットは、2019年3月29日に「中南海と官僚システムの休みなき戦争」を掲載した。えらく意味深長なタイトルで、江沢民・胡錦濤時代の中共官僚機構と、中共指導者の間にあった「調和した関係」は、もう昔のようではなくなった、ということだ。この記事は、「政権の安定と、全官僚の行政環境は、唇と歯の様に支え合っていた」と言う。そこからは、今、当局の官僚を見る疑いの目と不協和音ぶりが、はっきりと見て取れる。

     官製メディアは、以前「もし中国経済を一つの会社に譬えるならば、中共は、会社の代表取締役でありCEOである。より高利潤を得るための政策調整は、同時に株主(銀行)と各部門のマネジャー(地方官僚)の不評を買い、株主たちは増資を嫌い、マネジャー達は保身のために”賢く”立ち回って、面従腹背、消極的サボタージュを行うので、その結果、企業業績も、年を追って下降する」と書いていた。

     中共の改革以後の制度は、かつて一度は、相当な「活力」ぶりを見せた。外資導入、不動産開発推進によって、短期的経済繁栄を作り出したものだ。あの時、中共は、もう国を繁栄させ崛起させる道はこれだ!と思い込み、あまつさえ、この中国式モデルこそが、世界の経済発展の模範だとまで信じ込んで有頂天になった。

     しかし、中共指導層が分かっていなかったのは、共産党資本主義制度の危機は、その独特の「生命力」の中に隠れていたことだった。つまり、上から下まで各級の官僚が狂ったように、”腐敗エネルギー”に火をつけて「経済発展」した結果、その腐敗が必然的に、最後には共産党資本主義制度そのものをどん詰まりに追い込んだのだ。

     多くの人々が、中共の官僚機構の腐敗や、「上が悪いことをすれば下もそうなる」現状は承知しだが、中共の改革開放の制度の運営という視点から、深く考えるまでには至らないでいる。20世紀末の、中国の学者は、かつて「腐敗は、改革の潤滑剤だ」と宣伝したことさえあった。これは当然、改革の中でいたるところに現れた腐敗を覆い隠そうとしたもの。実際のところ、腐敗は中共の「改革」の潤滑剤ではなく、共産党資本主義制度の下での、官僚界を動かせる「唯一の燃料」だったのだ。

     ★2 中共集権体制の官僚駆使動力の変遷 — 恐怖から欲望へ

     共産党集権体制は、上意下達の党のシステムに頼っている。だから、官僚がシステムを動かすキーとなる働きをするので、いかに、官僚達を、トップレベルの意志通り、懸命に働かせ、政策を実行させられるかが、この集権体制の運営ぶりを決定する。この分析が必要な理由は、本文の後半でお話しする「経済督戦隊」の話と関連するからだ。

     毛沢東時代に、官僚達を働かせる主要な要因は、一つは毛沢東に対する盲目的崇拝で、無条件服従。もう一つは、より重要で、政治的パージへの恐怖だった。政治の強い圧力の下で、あえて上級に逆らおうものなら、残酷な政治攻撃を受けてボロボロにされてしまった。だから、遅れをとって批判されるのを恐れた訳で、これが毛沢東の号令が天下無敵だった原因だ。官僚達は、ただ遅れを取るまいと、逆らったりサボったりはしなかった。

     しかし、1980年代になると、この駆動システムは働かなくなった。役人達が積極的に改革開放のために働くかどうかは、改革開放の基礎の上に自分が意欲を持てるかどうかにかかかっていた。趙紫陽は、経済の改革政策推進のために、脅迫や行政命令に頼らず、道理を説いた。だから、官僚界と国有企業では、様々な態度が生まれた。「やりたいと思ったらやれ、やりたくなければ、側で待って見ておれ」だった。あの頃、改革政策に対しては、積極的でも必ずしも抜擢されたりしなかったし、消極的だからと言って、必ず罰せられたということもなかった。だから1980年代には、官僚界にも「改革の狂ったような渦潮」は起きなかった。

     そして、1990年代の後半ともなると、共産党資本主義制度が基本的に形成され、官僚達を駆り立てるのは、もはや彼らの自発意思ではなく、ましてやパージへの恐怖でもなくなった。それは「物欲」に変わったのだった。トップレベルの言う「活用」「開放」「改制(私有化)」等の政策は、官僚達にとって、金儲けの正門を開けるの許可同然だった。GDP成長に有利でさえあれば、官僚達は、何でも考え、何でもやったが、すべて大目に見てもらえたのだ。こうして、ユルさと腐敗によって改革開放は進められた、これが江沢民・胡錦濤時代の「隠れた国策」だった。官僚達の財産への欲望を使って、専制体制のために働かせたわけで、共産党資本主義にしか出来ないやり方だ。これが「中国モデル」が一時的に繁栄した本質なのだ。

     外国資本の導入でも、不動産開発でも、専制国家は民主国家に比べて断然”優位”だ。速効性がある。専制体制では、上意下達の垂直式で、外資導入や不動産政策を行えるから、速いし、効率も良い。外国企業への地方の政策は、ゴムのように伸び縮みするし、土地は政府のもの(国有)で、その背後の意味は、「しっかり稼ぐ」官僚達は権力でもって、財源をどんどん得られるというわけだ。

     同時に、官僚たちの腐敗も、国民の監視などないし、司法システムで保護してもらえるとあって、贈収賄は「改革開放」の”新常態”となった。こうなったら、外資導入も不動産開発も、もう、トップレベルからのプレッシャーなぞなくても進んで行くし、経済発展は官僚達の自発的推進力を手に入れる。官僚達は、個人の財産欲をみたすために、どんな努力だってやってのける。当然、強制取り壊しなど、おてのものだ。

     こうして、”発展(汚職と悪銭稼ぎ)”は。江沢民、胡錦濤時代の官僚世界の「軍旗」となって、その腐敗ぶりは狂ったような盲目的経済発展となり、10年の輸出ブームと10年の不動産景気を作り出した。が、必然的に。繁栄期間を短命にしてしまった。最後に、輸出に狂奔したが、これは米国のリーマンショックで一度下火になって、また、今回の米・中貿易交渉によって、最終的な壁に突き当たった。不動産の熱狂は、不動産バブルの危険を生み出して、バッタリ熄んでしまった。だから、経済繁栄は、経済は落ち目なった。

     ★3 欲張り官僚の資産逃避が中共の経済基盤を揺るがす

     単純な経済下降なら、共産党資本主義体制の構造を、すぐに揺るがすことなどない。しかし、官僚たちが必然的に資産の対外逃避を計るとなると、直接、中共の経済基盤を揺るがす。汚職官僚に言わせれば、自分たちには安心感が欠ける。一番怖いのは、年中権力闘争を行なっている同僚で、その嫉妬がなにより恐ろしい。たった一通の匿名の手紙で、捕まりかねないのだから心配だ。

     これには1990年代、官界で流行した言葉に「半分吐き出し、三割上納」というのがある。その意味は、上級の官僚は、自分の下僚がどのぐらいネコババしたか、大体見当がつく。保護して欲しければ、下級の官僚は、3段階上の上役官僚達に、半分を賄賂に贈っておけば、同僚の誰かともめたとしても、基本的には安全ということだ。

     更に「道を邪魔する奴と、ケチはやっつけろ」がある。「邪魔する奴」は、自分では金儲けしようとしないが、同僚からは「話の分からない奴」と見られて、「お金への道」の邪魔になる人物だから、チャンスを見て叩き潰せ、となる。ケチな奴は、「半分吐き出し」をしない人間で、これはトラブルになっても誰も助けようとはしない。

     つまるところ、中国はもう開放されたのだ、新しいチャンスは、時運に乗ずればいくらでもある。そして、官僚達は、実は一番安全に資産を隠匿できる場所といえば、身の回りではなく海外だと気がついた。多くの国内の人間がオフショア金融センターに、会社を設立登記し、パスポートを申請し、口座を開き、資産を逃避させる企業サービスは周到なもので、こうしてバージン諸島、ケイマン群島、サモア、モーリタニア、バルバドス、バミューダ、バハマ諸島、ブルネイ、マーシャル群島などの小さな島嶼国家が、汚職官僚たちの”天国”になった。

     自分たちが出国できなくとも、資産を中央紀律委員会が手を出せないところに移転した。こうして「お金儲け」した後、資財を海外に持ち出すのは、大物から下っ端までに共通する「趣味」と「追求」となった。少なからぬ官僚は、お金や財産を送り出すとともに、自分たちの子供を出国させ、自分も外国の居住権、更にはパスポートまで手に入れ、先進国で不動産購入し、退職したら外国で「幸せな引退生活」が待っている。

     紅色エリートには、普遍的に移民する傾向がある。少なくとも、香港の永久居住権ぐらいは持っている。それは二つの結果を生んだ。一つはエリートの「異民族化」だ。つまり、汚職役人の移民が猛烈に増えた。もう一つは、彼らの存在が中国国内の「占領軍」的になった。自分たちが金儲けしたこの国の未来のことなど、どうなろうと関心を持たないで、「足抜けしたら、後は野となれ山となれ」なのだ。いつでも”撤退”が可能なら、汚職役人達は、更にやりたい放題で、容赦なく徹底的に金儲けに走る。国外に金を持ち出すのだって、どんどん大胆になった。

     しかし、中共の権力者にしてみれば、官僚達が巨額の財富に群がって、競い合って資産を海外に移転させることは、紅色政権の経済的基礎を掘り崩し、外貨準備高を直撃する。2014年6月に、中共の外貨保有高は最高を記録し、4兆ドル近かった。しかし、続く2年半のうちに、それが3兆ドルに下がってしまい、これが中共政府に外貨準備高の警戒線となった。短期間に1億米ドルもの外貨準備が流出してしまったのだ。これは、官僚達が中国国内の反腐敗キャンペーンに危険を感じて、急いで資産を海外に移した結果だった。この集団的行動は、権力を握る中共のトップに、直接「異民族化」が、自分たち紅色エリートの政権への脅威だと感じさせるまでに至った。

     ★4 反腐敗キャンペーンは官僚駆動力を失った

     習近平政権が、反腐敗キャンペーンを始めたのには、様々な理由が重なる。上述の現象もその一つだ。しかし、習近平が予期しなかったのは、反腐敗キャンペーンが、共産党資本主義体制下にある官僚運営の駆動力を動揺させてしまったことだ。

     江沢民、胡錦濤時代の官界は”発展”という名の金儲けに勤しんできたから、官僚達のやる気の源泉は枯れることはなかった。鍵となったのは、「腐敗への寛容さ」だった。しかし、習近平時代の反腐敗キャンペーンときたら、数々のルールを設け、中央紀律委員会は大ナタをふるって汚職役人をやっつけ、その上、パスポートまで管理され、外貨の持ち出しも制限された。あっという間に官僚達は、お金の入る道筋も、お金を持ち出す道筋も断たれてしまった。どころか、今後、外国に行って、安逸に老後を幸せに過ごそうという退路すら断たれてしまったのだ。これで、共産党資本主義体制を維持してきた”活力”は失われ、官僚達は消極的なサボタージュを始めた。「命令は中南海から出ていかない(誰もやろうとしない)」というのは、トップレベルですら、認めざるを得なくなった現実なのだ。

     専制体制が経済を推進させる主な方法は、各クラスの官僚達が、トップレベルの政策の手足となって、それぞれが経済成長のチャンスを作りだすことを考えるわけだ。江沢民・胡錦濤時代には、それぞれが様々な能力を発揮して、後の評価はともかく、少なくとも短期的な効果を発揮した。中国経済が成長し、放漫な”新常態”になっても、依然として各級政府の努力

     しかし、トップレベルの思惑と反して、経済衰微と同時に出現したのは、官僚達の”新行動方式”だった。これには三つの大きな特徴がある。「静観」、「怠惰」、「適当」だ。「静観」とは、経済が悪化してもビクともしないで、笑って、上がどうやるかお手並み拝見、という態度だ。「怠惰」とは、頑張らないで「あまり仕事をしなければ、怒られること少ない」クビにはならんという居直りだ。「適当」とは、単純に上からの指令を、形だけやって、経済社会に良い効果があるかどうかは気にしない。上の要求通りにやったんだから、どうでもいい、よしんばやり過ぎても、気にかけない。

     中共のハイレベルにとっては、この官僚達の”新行動方式”は、政治的危険となる。それは、経済を回復する意図をダメにするばかりか、更には官界にこうした”新行動方式”があるということは、官僚達に「二心」があると言うことだからだ。江沢民、胡錦濤時代の「上下心を合わせて、蓄財に励む」が、「上下心がバラバラで、ごね得を図る」だ。

     江沢民、胡錦濤時代には、官界の官僚にとってはハネムーンで、「国中みんな、竜のもの。9匹の竜が水を支配し、1匹1池、各自の神通、権力を財産に変え、上下で分配、互いに幸せ、各自が取り放題、誰もが汚職役人、財産取り放題、全世界は仰天」だった。ソ連や鄧小平時代には、官界の汚職といっても、特権、現金、貴金属、骨董、芸術品の収賄程度だった。しかし、いったん共産党資本主義体制が出来上がってからは、腐敗も全面化し、量もレベルも飛躍した。官僚達が企業や金融資産、不動産を持ち、そのうえ国内の財産を国際投資に回せるようになったからだ。

     いったん、官僚達が腐敗を通じて資本家になってしまえば、彼らの私腹をこやそうという欲望は「無限大」になる。もはや、業績を上げて出世だけが目標ではなくなり、出世は、安全を図る目的になる。こうした政治経済環境の下で、抜擢されたデタラメな官僚達は、終日のんべんだらりと日を過ごすはずもない。反対に、彼らが経済活動に精を出すのは、自分の政治的業績だけでなく、私服を肥やす道のためなのだ。

     現在の官僚たちの「二心」はどこから生まれたか?それは官界にみなぎるハイレベルへの反腐敗キャンペーンへの極度の不満からだ。だから、陰で上をそしり、消極的なサボタージュが現れた。不満は、江沢民・胡錦濤時代を懐かしむ気持ちを生む。かつてのハイレベルがやった「腐敗と交換の協力」の懐かしさよ、と。

     しかし、こうした腐敗熱愛の気持ちを表明することはできない。その不満は、まず安全感の喪失となり、網を逃れた官僚達は、一日中ビクビクして過ごす。次にその財への道も塞がれ、女や酒に溺れる快楽も失った。そして最後に、退路すら断たれて、海外の不動産、金融資産、自由自在な海外での晩年生活が、全て叶わぬ夢になってしまった。

     長年、心血をそそいだのに水の泡。紅灯記(革命現代京劇)ではないが「♫憎い気持ちが心に芽生え〜」と歌った李鉄梅のようなもんだ。当然、二心を持つようになる。しかし、官僚達は、政治的な民主主義に心を向けることはない。民主化は、反腐敗と同様、彼らの死を招くことをよく知っているからだ。彼らが本当に期待しているのは、現在のようなハイレベルと官界の関係がさっさと終わりを告げて欲しいといことだ。

     ★5 「経済督戦隊」 — 最後の役立たず出動

     官製メディアによると、中国のハイレベルは、今、江沢民・胡錦濤時代のGDP増の功績による昇進システム、コネと腐敗による出世、土地財政の旨味によるモチベーションアップのやり方は、今後打ち切ろうと思っているらしい。その代わりに、紀律検査委員会や監察部門によって組織された「督戦隊」が、官僚の背後に陣取る。そして、習ニンジンで、激励、懲戒、容赦などで、改革の実を上げようというのだ。

     「経済督戦隊」は北京の最新発明だ。共産党国家の歴史上でも、新イノベーションである。これは、共産党資本主義体制がこの20年間やってきた、官僚達が欲に駆られて、頑張って官界を動かしていくというシステムが働かなくなったことの現れでもある。毛沢東時代には、個人崇拝と恐怖政治によって動いていたシステムは、もう再現しようがない。ならば、これまでとは違ったやり方で出来ないか? 最近になって当局は、役人達の給与を増やしたが、ニンジンのカスみたいなもので、腐敗によって得られる財に比べたら、スズメの涙、効果は薄い。「経済督戦隊」は、結局ムチを大いに振るって、官僚に経済政策を頑張れと叱咤するしかない。

     スターリンや毛沢東の時代には、督戦隊なぞ必要なかったし、政治的なプレッシャーだけで官僚達は唯々諾々と従った。督戦隊なぞなくても、遅れようものなら自分たちがパージされてしまうから、彼らは争って上の意思に従って任務に突進していった。

     しかし、現在、経済督戦隊は、難題に直面している。経済の基本問題は、「戦場で敵を殺す」のとはわけが違う。官僚達は、向上心もなければ、頑張ろうともしないで、逆に一万もの「実現出来ない客観的な理由」を考え出してくる。督戦隊は、数百万人のサボタージュ官僚を、いかにムチでひっぱたいても「政治的実績」は生まれてこない。

     専制体制が経済を握るには二通りの道しかない。毛沢東流か、江沢民・胡錦濤時代のやり方かだ。前者はもう捨て去ったし、2度と使えない。後者は「お金の神様」にすがって「督戦」しようとするわけだが、もう今では効果がなくなった。今や、中央紀律委員会が、「お金の神様」の代わりになろうというのだが、所詮は「監督」出来るだけで、経済官僚達に取って代わるわけにはいかないのだ。
     
     中央紀律委員会の督戦隊は、ただ各省・自治区・直轄市レベル、および国務院省庁レベルを管理出来るだけだ。それ以下の庁局級、県処級、郷科級といったクラスの督戦隊は、それぞれのクラスで自分たちが組織して、「もう一級下」を管理する。つまり怠け者の中層官僚が、怠け者の下級官僚を”督戦”するわけだ。お互いの心中はお互いしっかりわかり合った仲である。当然、ただやり過ごすだけの話だ。

     ましてや、督戦というのは一時的な措置であって、長期的な制度にはなじまない。もし、毎日、督戦し、毎月、督戦し、毎年督戦したならば、結局、兵隊達はクタクタになるし、督戦隊だって”督戦疲れ”してしまう。督戦隊から言わせれば、一番難しいのは、法執行の物差しで、戦場なら逃げようとする兵隊は銃殺すれば済む話だが、経済ではどんなケースが「敵前逃亡」で、「戦場紀律」とは何か?。経済状況が好ましくなく、いいアイデアが出ない、となれば、「死刑」にすべきなのか? つまりは、この「急病」に対しての、むちゃくちゃな治療法なのだ。

     経済の衰微は、もともと過去20年の盲目的発展による「短い命」だったのだ。それなのに「経済督戦隊」なぞ持ち出しても、その意味するところは、共産党資本主義体制の下の官界の運営機関が「老いるよりさきに弱ってしまった」ということなのだ。(終わり)

     原文は:程晓农:共产党资本主义步入自设陷阱

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