• ★元山西省書記・駱恵寧の香港中連弁主任就任の狙いは?2020年1月14日

    by  • January 15, 2020 • 日文文章 • 0 Comments

    青海省と山西省の党委員会書記を歴任した65歳の駱恵寧(luò huì níng らく・けいねい)が、退職間近だったのに、この度、中国政府の香港出先機関、香港連絡弁公室(中連弁)主任に任命されました。これに対しては様々な憶測が飛び交っており、「無派閥だから」とか「習近平が適任者を見つけられず、忠誠度で選んだ」とか言われています。駱恵寧は、香港とは全く接点がありませんから、これが長所で、利害関係の外に居られるという意見もあれば、香港に経験がなければ何も分からないからダメだとか、香港人の気持ちを全く分からない、とかです。ですから、私はツイッターでちょっと書いた話を、もっとはっきり書いてみましょう。そこがはっきりすれば、今回の人事の狙いが何か分かると思います。

     2019年2月に香港政府は、正式に「逃亡犯条例の改正案」「刑事相互条例」を提出し、従来の逃亡犯条例から、「香港警察が逮捕した犯人は、香港、中国大陸、澳門、台湾間の犯罪人引き渡しに適用出来ない」という部分を削除することにしました。

     この法律の解決しようとする目標を見ると、中共中央紀律委員会が、全世界で犯罪人を追求できるようにしようというものでした。香港が、中国の資本逃避(キャピタルフライト)の中継点であり、中国の紅色貴族の一家と、彼らのために働くマネーロンダリングを行う汚れ役(白手袋と呼ばれる)たちの中継点だという事実は否定すべくもありません。

     多くの紅色家族と関係のある富豪ビジネスマンたちは、習近平の反腐敗キャンペーン開始以来、四季飯店(フォーシーズンズ・ホテル香港)に隠れ住み(原注;とりわけその中の「望北楼」がお気に入りでした)ました。「香港四季飯店の富豪たち」記事では、このホテルのリアルな機能、中国大陸の大富豪と汚職役人の臨時避難所であり、各種の情報交換所であり、借金踏み倒しで逃げ出すにもとても便利だったという機能がリアルに描かれています。

     ★香港の「実業家と官僚の共同統治」のおしまい

     しかし、この法律改正はタイミングが悪すぎました。大陸と香港の矛盾は、ずっと長年エスカレートしていました。2014年末には、数万人の民衆が自由な選挙を要求して運動し、オキュパイセントラル運動、雨傘運動とも言われました。それは一応、運動としては終わったのですが、地面の下にはまだ火が燃え続けて居ました。

     そして、2015年10月から12月にかけて、香港では、中国本土政府への批判的な本を扱っていた銅鑼湾書店の関係者が誘拐される事件が起きました。2017年1月の旧暦大晦日には、「スーパー白手袋」と言われた大富豪実業家の蕭建華が四季飯店から、誘拐されて大陸に連れ去られたのです。

     中共から見れば、銅鑼湾書店の関係者は、デマを撒き散らす奴らであり、蕭建華は、腐敗事件の容疑者です。しかし、香港人から見れば、こうした行為は、香港の、一国二制度の「二制度」、つまり大陸との一番大事な違いである法治に抵触する行為でした。その上、香港では、常に誰かが捕まって大陸に連れて行かれる「失踪」が相次ぎましたから、ほとんど全ての香港人には、心配する理由がありました。

     大陸に投資する実業家は、いつか贈賄で捕まるかもしれませんし、記者や学者は、ある種の言論が原因で大陸に「失踪」させられるかもしれません。香港には、民主的な活動を行う人々や議員が、もともといますから、犯罪容疑者の中国大陸引き渡しに反対する何十万人の抗議活動が起きました。運動はたちまち、普通選挙要求へと変わり、最後には5項目要求(訳注1)になり、「光復香港」といった香港独立のスローガンも、しょっちゅう目につくようになりました。

     北京は、ずっとこうした反対運動が続くのは、資金や物資輸送が必要だから、背後に必ず各種の勢力、とりわけ「望北楼」に関係する勢力が糸を引いているに違いない、香港実業界にも、陰から援助している人物がいるはずだと睨んでいました。北京の「香港の第2次復帰」(訳注2)計画では、香港の官僚と地元実業家による「共同統治」を終わらせるのは、二番目の大任務です。「望北楼」と「逃亡犯条例の改正案」の関係を誰も言わなかった訳ではありません。「反送中」運動が始まってから10日余り経ったとき、中国では「客を送ったり迎えたり — 香港望北楼と送犯条例」という文章が出たのですが、誰も注意しませんでした。ロイターは去年12月21日に、中国の匿名官僚からのニュースとして、ちゅおう紀律委員会が「逃亡犯条例の改正案」の黒幕だと報じ、私もツイッター上で、もう一度、このニュースに注目するように言いました。

     曽慶紅ラインの整理

     駱恵寧は、役人としては比較的目立たないキャリアの人です。政治の道に入ったのは、1980年代からで、あの時代の平民の子が政治に関わるあらゆる特徴を備えています。知識青年として全国普通高等学校招生入学考試 (大学入試センター試験)が1977年に復活してから、政治に関わりました。出身家庭が政治家一家でもなく、これという後ろ盾があるわけでもなく、一歩一歩、役人の世界を頑張って、任地は、ほとんど全てが中国の貧しい厄介ごとの多い地方の省です。履歴から見ても、彼の出世は、全部、仕事をちゃんとやる能力で勝ち取ってきたものです。

     1998年に中国の長江沿岸では、重大な水害が発生し、その時、巣湖地方委員会書記だった駱恵寧は、水害防止工事を担当し、堤防崩壊の危険を食い止めました。2003年4月には駱恵寧は、中共青海省の副書記となり、2010年には青海省長になって、4月の青海玉樹地震の後、地震災害復興工作指導小組組長を兼任、災害地域の救済と復旧にあたりました。2016年6月には、中共山西省書記になり、山西省の官僚界の地震(訳注3)後の経済と、官界再建にあたりました。政府側の話で言えば、これは地元政治環境の再建です。2019年6月21日から23日にかけて、山西省を習近平が視察し、案内した駱恵寧が太原などを案内し、このときの成績がよかったことから、習近平が年が同じぐらいの駱恵寧を気に入ったのが今回の任命の理由と思われます。

     駱恵寧の先祖の出身地は浙江省義鳥です。江蘇省と浙江省は明、清以来の科挙合格者で有名な土地で、宦官の故郷です。浙江省人は性格が温和で、仕事ぶりは、穏やかで細かく、官吏としてもこの特徴がある。習近平がこの、乱を鎮めるのにたけた能吏を、香港政治に起用したのは、明らかに彼が、大ナタを振るって快刀乱麻に香港を治めることを期待したのではなく、ゆっくりと丁寧に、香港で長年続いた「実業家と香港官僚の共同政治」という利益関係の入り乱れた関係と、曽慶紅グループが長年仕切っていたのを正すためでしょう。どんな対策を取るかは、状況を全面的に把握してから決めることでしょう。
     
     駱恵寧は、香港に利益に関わる人脈は一切無いことは、人の目によって「長所」にも「短所」にも映ります。どちらの見方にも道理がありますが、忘れてならないことは、一定の条件の下では、適切な対応次第で、長所が欠点になることも、またその反対にもなるということです。

     ★乱れを治めるに、柔をもって剛を溶かす

     廖承志(党中央委員・第5期全人代常務委員会副委員長)の子で、香港澳門の統一戦線工作責任者だった廖暉が退職する前は、香港は廖氏親子の地盤でした。曽慶紅がその跡を継ぎ、素早く曽一派の地盤に変えました。いわゆる「香港特殊論」は、香港人の目から見れば、一国二制度です。しかし、北京の目には、それは「知港派」が中共として香港を治めるといことです。曽慶紅系と、中共のトップの心が一つならこれはうまくいきます。しかし、習近平がトップになってから、反腐敗キャンペーンを開始して、党、政、軍警の各派の利権に、大きく手を入れたため、一部の利益集団は根こそぎにされてしまうほどでした。習近平と江沢民・曽慶紅一派との権力争いは、未だに終わってはいません。

     習近平が中国国内の反腐敗キャンペーンを始めた時、香港の望北楼は、中国の法の外にありましたが、蕭建華を捕まえて、最後には7カ月に及ぶ「反送中」運動がおこり(原注;中共から見れば「香港の乱」)ました。この運動には、中核となる組織や人物がおらず、主催団体もなく、民間人が自発的に参加し組織していると言われましたが、しかし闘争経験に富む中共は、そんなたわ言を信じるほど幼稚ではなく、1月8日には、香港保安局の李家超が公開の場で、香港のプロテスターは外国で訓練を受けて居た、と発言しています。

     ただ、そいうは言っても、本当に黒幕を探し出して確かな証拠を示すのは、このネット時代、そう簡単ではないでしょう。デモ隊の勇武派の若者を捕まえて聞いたところで、おそらく何も分からないでしょう。ネットを通じての工作では、物資輸送から何から皆、ネットを通じて行われます。こうしたことを分かるのはちっとも難しくなく、たくさん見聞きすれば済む話です。難しいのは、利益が複雑な関係の中から、どうやってきちんと物事を整理して、香港の事態を安定化させる適切な対策を打ち出すかです。これには、そうした利害関係のしがらみと無関係の香港の外から人を引っ張ってきて、香港問題を処理させる必要があります。

     駱恵寧の長所は、乱れを治めることにたけた能吏だということです。山西省の政治腐敗、政府御用達実業家たちのしがらみの複雑さと広がりは、中国の内陸部の省の中でも、3本の指に数えられたでしょう。

     習近平の下での大規模な腐敗防止キャンペーンの一環として腐敗防止の取り組みで2014年9月に省委員会書記になった王儒林は、成績を上げられず、2016年6月30日に解任され、後を引き継いだのが駱恵寧でした。そして、実際に3年以内に、無茶苦茶だった山西省の官界を正常化したのでした。

     これは重慶に乗り込んだ薄熙来が党委書記として、大騒ぎを引き起こして混乱を招いたのに比べれば、見事な実績と言えましょう。その後任の楼陽生現中共山西省委书记の駱恵寧に対する人物評価は、「「经验丰富、做事严谨、待人宽厚,善于把方向、谋大事,善于创造性开展工作,善于抓班子、带队伍,勇于担当」。官僚界に通じた人なら、みなこれが、全部お世辞ばかりでないとわかります。並みのお世辞であれば「做事严谨、待人宽厚」などは普通言いません。駱恵寧の「柔らかく、こわばりを溶かし解決する」腕前は、今の香港ではぴったりです。

     例えば、駱恵寧は香港赴任以後、記者会見で、歴任の中連弁主任が、ビルの外でメディアと会見していたのを、外は風が強いから、と職員にホール内に席を設けさせました。こうした心遣いは、香港メディアの記者の敵意を、その場でかなり和らげたでしょう。

     人間性は通じ合うものですが、香港の中連弁と国務院香港マカオ事務弁公室は、皆、中共の官僚で、性格や役所の陋習も似たようなもの。香港の実業界、政界が北京とコミュニケーションをはかる時、役に立つのは中国人としての共通の一般性です。さて、彼がどう処理していくかが注目されましょう。

    ★香港独立は無理だが、「両制度」は話し合える

     以上の分析で、私は香港人は、これまでとは違った相対的に柔軟性のある中国(中共)の香港統治方式に相対することになるかもしれないと思います。駱恵寧は、必ずや失敗するであろうと断言するのは、時期尚早です。しかし、彼が積極的に香港の反対派の要求を受け入れると思うのも、過ぎた望みです。香港で普通選挙が実現出来るかと言えば、それは彼の許可出来ることではありません。でも、香港人は次の一歩の目標は、調整する必要があるでしょう。「光復香港」を任務とする「香港独立派」は、当然、中共が受け入れられるものではありませんが、「一国二制度」なら、交渉の余地はあるでしょう。

     香港の「勇武派」は、確かに香港のために、「空間」を勝ち取りました。香港人は勇武派の戦いに賛成はしていると思いますが、必ずしも、香港を「石も玉も共に砕いてしまえ」という結果を望んでいるとは思いません。

     今後、香港の政界と民主は陣営が、どうゲームを進めていくか、今回のきっかけをうまく利用するには技巧が必要ですし、さらにより広い視野が必要だと思います。(終わり)

    訳注1;逃亡犯条例改正案の完全撤回、普通選挙の実現、独立調査委員会の設置、逮捕されたデモ参加者の逮捕取り下げ、民主化デモを暴亂とした認定の取り消し

    訳注2;習近平の考える香港の中共統治強化。「一国二制度」の「一国」の強化。鄧小平時代の「順調に復帰を図る」から、「国家主権、安全と利益の発展」に変わった。2017年7月1日の香港主権移譲20周年記念談話で輪郭が明らかになった。

    訳注3;2014年、失脚した党中央書記処書記、元党中央統一戦線部長令計劃の地元だった山西省では大半の重要な官僚が大量に失脚した。

     原文は;何清漣:​駱惠寧主理西環治港 重點何在 

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