• 程暁農★「困難は克服しても、 順境で転ぶ」中共経済 2020年3月24日

    by  • March 26, 2020 • 日文文章 • 0 Comments

     中国が世界経済のグローバル化に加わってから30年。 その学習過程は、 「段階ごとに試験に落第して、 追試でなんとか」だ。 根本的な原因は、 制度的な呪縛とパラノイア的思考のなせるわざだ。 

     興味深いのは、 中共は苦境にある時は、 グローバリズムに対して積極的になり、 国際ルールを尊重すると言う。 しかし、 いったん経済情勢が比較的順調だと、 騙せるなら騙し、 隙があれば違反し、 好き勝手のやり放題になる。 これが「困難は克服しても、 順境で転ぶ」という意味だ。 

     ★中国の経済グローバル化の揺れ動く道のり

     3月15日に、 劉裘蒂女史(雑誌「中国の今」の発行者)の「疫病の衝撃下のグローバルチェーン再構成」は、 中国でも注目を集めた。 この警戒すべき予言に満ちた記事についてはここでは深く分析しない。 

     と言うのはグローバル供給チェーンの再構成は、 避けることのできないプロセスで、 新型コロナのショックは、 その過程の進行を早めただけだからです。 

     ましてや、 グローバル供給チェーンの再建がどうなるのかは、 まだしばらく観察してみないとわかりません。 しかし、 この記事が提起した方向性の判断には、 重要な意味があります。 つまり、 経済グローバリズクは、 それ自体が転換点を迎えており、 中国はその衝撃の中心にいるということです。 

     この問題に関しては、 私も去年6月に、 ★“世界工厂”的衰落 – SBS で書いた。 今から見ると、 もっと深く考えるに値する問題がありました。 なぜ全世界の供給チェーンが再建されるときに、 中国がまず一番先に災難に遭うのかと言うことです。 

     それはただ中国の経済的実力が強すぎるからなのか?それは違う中国に集中するのに有利なことであって、 中国離れすることではなない。 本当の問題というのは、 中国の経済グローバル化に対する基本戦略に、 一連のバイアス、 あるいは失敗があるからだ。 

     中国が乗った経済グローバリズムの特急列車は、 大揺れの旅だった。 その30年間に、 乗車、 下車、 また乗車を繰り返した。 そして、 「乗客」から「運転士」になろうとして果たせぬまま、 今や「一等車の乗客」から「二等車乗客」になってしまうのではないかと恐れている。 

     「乗車した」と言ったのは、 1980年代に、 趙紫陽が経済グローバリズムのもたらす機会に気がついて、 中国が「乗車」したいと思ったことを指す。 プラットホームで売り子であることをやめたいと思ったのだ。 しかし、 これは、 天安門事件で失脚してしまった。 

     「下車」は天安門事件後に、 江沢民が陳雲にくっついて、 社会主義高優勢と計画経済の昔の道に戻ったことだ。 本来なら「乗車」のチャンスだったが、 逆に降りてしまった。 「再乗車」とは、 1990年代中期に、 国有企業が次々に潰れかかった時に、 計画経済を維持できなくなって、 朱鎔基が世界貿易機関(WTO)になんとかして加わろうとしたことである。 

     続いては、 しばらく「二等車」に座っていたが、 自動的に「一等車」に移れたので、 野心がふくらんで「勃興論」が起こって、 ただの乗客」に甘んじるのを我慢できず、 自分が「特急列車の機関士」になろうとした。 

     しかし、 去年からの米・中貿易交渉は、 「運転士」になるのは、 きっぱり拒絶されたことを意味する。 今や、 中国への発注書がどんどん流出していることが証明している。 「顧客」こそが本当の「運転士」なのだ。 注文を維持できなければ、 地位は下降を免れない。 そこで、 「一等乗客」から「二等乗客」への格下げを心配し始まった。 

     この30年間の歴史では、 中共は、 毎回、 変化が起こってから受動的な反応だった。 自分から積極的に経済のグローバル化の潮流に対応しようとしたことはない。 この受動的な姿勢は、 「毎回、 どの段階でも試験に合格できず、 いつも追試頼り」なのだ。 なぜ、 いつも判断を間違えて失敗するのか?その根本原因は、 制度の呪縛とバイアスにある。 

     制度の束縛とは、 社会主義の旧式な経済制度の束縛だけではない。 中共の政治制度が本来持っている、 米国に挑戦しようという意識を指す。 バイアスとは、 経済グローバリズムに対して、 いつも、 国際ルールをかいくぐり、 なんとか制度上の穴を見つけて、 そこを突いていこうとする、 目的のためには手段を選ばない姿勢を指す。 

     ★本当はしたくなかった改革開放、 藁をもすがる思いが…

     中共の歴代指導者で、 1989年の天安門事件で失脚した趙紫陽は最も早くから鋭くも経済グローバリズムの大きな流れに気がついていた。 早くも1987年後半には、 外資を利用して「大胆に前に大きく」下降輸出戦略をとるべきだと提案していた。 

     しかし、 中国共産党第13回全国代表大会後に、 本人は総書記になったので、 経済政策に手を出しにくかった。 李鵬が総理になったが、 完全に経済音痴だったので、 国務院の経済政策は、 副総理の姚依林の手中にあった。 

     しかし、 姚依林は中共の「大老」たる陳雲の懐刀であって、 どちらも計画経済と交友制度の堅い信奉者だった。 だから、 趙紫陽が提案しても、 あらゆる抵抗に出会った。 

     天安門事件以後、 趙紫陽のこうした主張は、 彼の罪状だとされてしまい、 党内のハイレベル連中の批判の理由の一つとされた。 そして、 外向き経済の路線に向かっていた広東省の経済発展モデルは大きな圧力を受けることになった。 

     しかし、 1992年の鄧小平の南巡で、 この趙紫陽の主張は改革開放に取り入れられ、 沿海地区が海外向けの工業を拡大することは、 奨励されることになって、 経済政策は変わり始めたのだ。 

     しかし、 鄧小平は、 経済グローバリズムへの認識は欠けていた。 彼はただ、 「タダ乗り」して、 経済発展を加速させたいと願っただけで、 別に沿海地区の多くの外資企業の役割を理解していなかった。 

     しかし、 実際は、 当時、 多くの外国企業が中国を、 グローバルなプロセスに引き込みつつあった。 外国企業は、 中国に生産ラインを作り、 事実上これは、 多国籍企業がグローバルな生産を行う連環の一つになっていたのだ。 しかし、 経済グローバル化の大環境とその動きを理解していなかった中共のハイレベル連中の認識は、 常に一歩遅れたものとなった。 

     1990年代の前半、 香港や台湾のビジネスマンが大陸への投資をはじめ、 中国に経済グローバリズムへの「タダ乗り」のチャンスを与えた。 しかし、 中国共産党は外資を利用して技術や輸出の機会を得ようとするだけだった。 計画経済の優位性と企業の公有化を信じ、 ソ連東欧の民主化の波の中で、 社会主義的な地位を保持したいと考え、 体制の主要構造を変えることには消極的であった。 

     しかし、 人の願い通り天は動かない。 1996年の後半から国有企業と国有企業を支援するための融資を受けている銀行システムの両方が絶望的な状況にあった。 資産の清算後に国有資産監督局は、 40万の国有企業のうちの35%が長い間、 債務を返せず、 「空っぽの殻だけ」になっていることを発見。 残りの国有企業の大半も困難な状況にあり、 銀行は、 金融危機で、 破産の危機に瀕していた。 

     金融システムを維持するために、 政府は銀行を利用して国有企業を保護するという伝統的な慣行を放棄せざるを得なかった。 全国の国有企業で賃金カット、 レイオフ、 倒産の波が押し寄せ、 1997年第1四半期末にはレイオフの結果、 900万人の国有職員が失業。 さらに1096万人の準失業者が出ており、 これは都市部の被雇用者人口の8分の1に相当する。 

     当時の政府の試算では、 8万社を超える国有工業企業のうち、 15%が今後5年間で倒産し、 商業・建設企業の倒産数と合わせて失業者数は3千万人を超える可能性があるとされていた。  改革が始まったその瞬間に、 中国共産党は初めて未曾有の制度的ジレンマに遭遇したのだった。 

     1997年以降、 朱鎔基の指導の下、 国有企業は大規模な解雇を伴う民営化、 すなわち「リストラ」を余儀なくされた。 中国共産党の自助努力のはずだったこの本格的な民営化は、 思いがけず経済のグローバル化に加わる道を切り開いた。 

     もともと中国は、 企業の完全国有化+計画経済の国であり、 市場経済でなければならないというWTOの決めた入会ルールとは全く相容れない国であった。 

     しかし、 中国では、 国有企業の民営化後、 計画経済は自然に崩壊し、 数年後には社会主義経済体制を代表する中核機関である国家計画委員会さえも廃止され、 中国共産党は資本主義の道を歩むことになったのだった。 

     まだ政治的には依然として独裁的ではあるが、 共産党支配を救うためには、 社会主義経済システムの構造を捨て、 資本主義の道を歩まなければならなかった。  当時の中国共産党は、 これが大きなチャンスになるとは予想しておらず、 それ以降、 経済のグローバル化と不可解な絆を形成していた。 

     ★「大きな犠牲」は「特急一等車」の切符に変わった

     この論評のタイトル「困難は易しく」は中国の経済グローバル化への道の特徴の一つが「難しいとみられていたが簡単だった」という意味だ。 つまり全面私有化という「絶命の立場から藁をもすがった」完全民営化が中国共産党に、 なんとグローバリゼーションの「特別列車の切符」を簡単にもたらしたのだった。 

     つまり、 中共は1997年に国有企業を基本的に民営化しなければならなかった。 国有企業が生き残れなくなったからだけでなく、 重荷だった財政や銀行を破綻させてしまったからだ。 しかし、 当局の「お荷物を捨てる」というこの行為は、 逆に、 経済グローバル化の「特急列車乗る」ことと交換されたのだった。 

     当時、 中共の国有企業の民営化は、 「乗車」のための道を切り開く意図があったのか、 あるいは、 最初から「乗車」の犠牲だったのか。  論理的にはそうした可能性はあるのだが、 実証分析の結果、 中共が私有化を推進したのは、 実は国有企業の苦境のためで、 別に「乗車」する道を切り開くと行った戦略はなかったことが判明している。 

     言い換えれば、 「グローバリゼーションに乗っかる」ことができるということは、 経済のグローバル化を認識した上で、 計画的・計画的・積極的な選択をしたのではなく、 予想外の収穫だったのだ。 

     中国共産党が社会主義経済体制を放棄したのは、 体制の窮状によって進路変更を余儀なくされたからだった。 まさにこの変更こそが、 中国共産党に新たな息吹を与えたのだ。 突然、 中共は自分たちが「切符を買って乗る」資格があることを知り、 中国は世界貿易機関(WTO)加盟を申請したのである。 

     「切符を売る」側にあったのは米国でだった。 米国が応じなければ中国はWTOに加盟できないし、 ましてや米国市場に大規模に参入することはできない。  しかし、 この時、 アメリカの政界、 学界、 財界の支持は、 中国加入支持で一致していたので、 中国は「切符を買って」経済のグローバル化に参加することに成功した。 

     かくて中国は、 「ヒッチハイク」でななくて、 正々堂々と「列車の乗客」になった。 そればかりではなく、 さらに大きな喜びが待っていた。 買ったのは「二等切符」だったのだが、 米国が中国のために、 「グリーン席」を与えてくれたので、 堂々とグリーン乗客になれたわけだ。 

     この「グリーン席」とは、 世界中の企業が、 大市場の米国などへの中国商品の参入を容易にするために、 中国に工場を置こうと競争することだった。 かくて「世界の工場」建設は急速に進み、 中国はあっという間に、 経済グローバリゼーションの中でのビッグプレーヤーになれたのだった。 

     一方で、 中国の経済グローバリゼーションへの依存度は「独立自主、 自力更生」の閉鎖的な状態に戻ることができないほど深くなっていた。 また、 一方では、 中国共産党は経済グローバリゼーションの「旨味」しか見ていなかった。 

     中国が直面している課題は、 民主主義体制をとる発展途上国の課題とは、 明らかに異なるものだった。 そして、 経済グローバリゼーションの進化過程に対する理解は十分ではなかった。 

     だから、 最後には、 経済グローバル化と衝突したのだ。 中国が現在、 困難に直面している国際的・国内的問題とは、 経済のグローバル化を、 中共支配を強化するための道具として利用しようとしていることに起因するものなのだ。 

     ★「世界の指導者」から「注文を繋ぎ止め」に

     昨年の米・中経済貿易交渉では、 中国の台頭と「世界の工場」としての確固たる地位をもって、 中国は、 もはや米国に主導されて大国競争をしているのではない」「中国は冷戦時代のソ連の役割を徐々に果たしつつある」「我々は、 欧米政治思想を中心とした国際秩序とは全く異なる国際秩序を推進する」と大胆に主張した。 

     この認識に基づき、 中共は、 米・中経済貿易交渉の前段階では、 「世界貿易システムの中で、 独自の『強い』『厳しい』イメージを確立する」とした。 しかし、 2020年1月15日までに、 双方は、 第一段階の協定に署名し、 中国側は米国の要求の一部に応じた。 

     この調印からまだ2カ月しか経っていないが、 経済グローバル化の中で、 中国は大量の受注を失うという新たな展開を迎えている。  もちろん、 今年の突然の武漢肺炎の流行にも直結しているが、 それだけではない。 

     もし、 これがたまたま起きた事件であれば、 「世界の工場」かへの外国の注文も遅らせればいいだけの話で、 すぐに注文がキャンセルされることはない。 だが、 注文キャンセルとは、 多国籍企業が、 発注を別の国に振り向ける計画を持っているということなのだ。 

     米・中貿易戦争以前、 多国籍企業の多くは、 中国という”バスケット “に全ての “卵 “を入れた。 そして、 中国では “卵を作り “、 中国から “卵を買ってきて “自国市場に供給した。 アメリカの企業だけでなく、 ヨーロッパ、 日本、 アジアの企業もそうだった。 

     しかし、 問題は、 国家間の貿易摩擦のリスクだけではない。 今回の新型コロナ伝染病のように多国籍企業の通常業務を混乱させ、 損失や倒産にまで至るほどの予期せぬ事態の影響も十分に受けてしまう。 

     だから、 米・中貿易戦争の深遠な教訓は、 中国だけの「かご」にすべての「卵」を入れることは、 リスクがあまりにも大きいということである。 だから、 今回の疫病流行の発生前に、 すでに多くの多国籍企業は、 いくつかの “バスケット “に “卵 “を置くことを始めていた。 

     つまり、 同じ製品の単一注文のビジネス戦略を変更し、 同一製品の多国間生産を手配していたのだ。 中国の輸出企業の多くが機能不全に陥っている現在の状況は、 これらの多国籍企業の発注移転速度を加速させるだろう。 

     ウォール・ストリート・ジャーナルによると、 中国商務部はこのほど、 7千社以上の外国貿易企業を対象にした調査で、 90%以上の企業が、 バイヤーによる注文のキャンセル、 受取拒否、 支払い拒否などのリスクに直面。 商品の配送や外国為替の回収などを余儀なくされる状況にあることを明らかにしたと発表した。 

     今、 中国政府は、 大言壮語と強硬な態度では「世界工場」の地位を守ることができないことを知った。 顧客を大事にして、 顧客の考えを変えていかなければ、 「世界の工場」は「世界の空っぽの工場」になってしまうのだ。 

     中国の経済グローバル化路線には、 「順調な時が危ない」というもう一つの特徴があるようだ。  「順調な時が危ない」とは、 物事が順調に進んでいるときには、 中国共産党はしばしば自己満足に陥り、 自分勝手に振るまい、 再び困難に直面するまで自制しないことを意味する。 

     「困難は易し」も「順調な時が危ない」も、 経済のグローバル化の過程で、 適切な事前判断力の欠如が、 基本的な傾向を反映している。 グローバル化の過程で、 基本的に正しい判断ができず、 「試験の各段階ごとに落第」して、 ギリギリまで追い詰められて、 やっとエゴを押さえ込んで、 「追試」を繰り返すのだ。 

     中国が経済グローバル化に加わってから30年間、 同じような意思決定でミスが繰り返されてきた。 その根本原因は制度的制約と偏執的な思考にある。 経済のグローバル化は、 全世界の製造業の配置を一国化から多国化へ向かわせている。 しかし、 中共は、 常に世界の普遍的な価値観に抵抗し、 既存の制度構造と国際的なルールを誘導したり、 影響を与えたりしようと試みてきた。 

     伝染病の世界的な広がりは一時的なものに過ぎないかもしれないし、 世界経済への影響は結局のところ恒久的なものではないかもしれない。 

     そして、 この伝染病流行が過ぎ去ったあと、 中共は経済のグローバル化の「軌道修正」という長期的な影響に依然として直面しなければならないだろう。 (終わり)

     原文は;程暁農【观点】中国的经济全球化之路:艰则易,顺则难

    中国 何清漣
    中国 何清漣

    中国2018 中国2017 中国2016 中国2015

    これまでの何清漣さんの論評の、翻訳はこちら。過去のものはウィンドウズやMacのサファリでは、句読点が中央配置になります。Macのchromeがおすすめです。なお、「拙速」でやってますので誤字、脱字ご勘弁。(電子本の方は校閲して直してあります。多分w) なお、お気付きの点がございましたらお知らせください。ツイッター → @Minya_J。

    中国 何清漣
    Print Friendly, PDF & Email

    Leave a Reply

    Your email address will not be published. Required fields are marked *