近年、『人民』や『愛国民衆』等の集合名詞は増々中国政府側の宣伝に登場するようになった。更に注意に値するのはそれが既に「毛左派」や「憤慨青年」と 社会底辺層による専売特許で「自信満々の立場」をあらわすようになっていることだ。1月13日、作家の李承鵬が北京でサイン会を開いた時、ビンタされ、包 丁を投げつけられた。やった尹(イン)某は「李が国賊で、愛国大衆を侮辱したから」と述べた。私はこの事件で、1793年11月8日のフランス大革命で、 ローラン夫人が断頭台に送られたときの最後の言葉「自由、汝の名でいかほどの罪悪が行われたことか!」を想起しないではいられなかった。
中国ではこの「自由」を「人民」に変えるだけで、二十世紀後半からの中国歴史を語れるからである。最近の例をあげよう。2012年9月中旬の何日も続い た「反日愛国デモ」において、デモ隊の暴行や略奪行為は「人民大衆」の愛国の熱情で、韓徳強が老人を平手打ちしたのも「人民が毛主席を愛する素朴な気持 ち」からでたものとされた。ツィッターや微簿でも多くが「人民」の名でもってエリート達を罵る文章が様々にあった。
最近の「南方周末」の事件で私が南周を支持した文章に対しても「人民代表」と自称する人々から何日も絡まれたものだった。こうした全ては、私のように少 女時代に文革を体験した者には、否応無しにあの時期のインチキな「人民」や「大衆」の名で行われた悪行の数々を思い起こさせるものだ。
直接見たのは湖南省道県と邵陽県の大規模な集団虐殺で、「貧・下層農民」が「人民大衆」の主要な代表とされその政治的地位は労働者階級に次ぐものとさ れ、革命幹部より上だった。こうして直接見聞きした経験で、私はずっと「人民」「大衆」「愛国人民」「革命大衆」などの集合名詞は一体どっからきて、何を 代表するのか、と考えてきた。「人民」という集合名詞はナチスと旧ソ連によって至高至上の意義を与えられ、政治において必要となると即、実体化した言葉 だ。
中国の「人民」なる語の神聖化は、ナチズムの影響を大いに受けている。帝政ロシアの政教一致イデオロギー専政時期に、ロシアのインテリたちは専政権力を 批判するために、社会の各層と政治分野で民衆と隊伍を組んだ。しかしナロードニキのインテリの心の中の『人民大衆』は、厳密に言えば形而上的な存在であ り、ヒューマニズムの理想の体現であったから、「人民」の名が至高の意義をもったのだった。
ゴーリキーは「我が大学」の中で、ロシアのナロードニキのこの種のヒューマンな意味での人民の観念を以下の様に述べている。「彼らは人民を語るのだが、 私はなんで自分が同じものの見方ができないのか不思議だった。彼らによると人民は智慧であり、美徳と善良さの化身で、ほとんどまるごと全部神聖で、高尚で 正直で偉大なものの始まるところであった。しかし、私はそんな人に会ったことがなかった。私があったのは木工であり、波止場人足であり、左官であり、ヤコ ブ、オシフ、グレゴリーだった。この人達がかれらの言う「人民」という存在なのだろうか?彼らは人民を自分達より高貴で、人民の意思に甘んじて従う、とい う。しかし私がは彼らの上に、の博愛精神によって、自由に暮らしをたてていこうとする善良な意思とかが集中して表現されていると感じた。
ロシアナロードニキの影響をうけて「人民」なる言葉は中国でも大いに神聖な後光を与えられた。今日に至まで中国語の中で「人民」、或は同義語の「大衆」 「一般人」といえば依然として極めて強い道徳的な”抑止力”を持っている。「人民に変わってモノを言う」と、途端にある種の道徳的神聖性を持つようにな る。中共のナンバー2だった劉少奇の運命はどうしても「人民」という言葉と一緒に連想してしまう。文革の時期、毛沢東は劉少奇を「大反逆者、大売国奴」呼 ばわりしたのは「人民の名において」だったし、文革後、名誉回復し生誕百年の時には夫人の王光美は「人民によって歴史が書かれた」と。これを聞いて当時わ たしは十数歳の頃批判材料として読まされた筆者不明の詩をおもいだした。
人民って何?/
人民は旗印/
必要な時に担ぎ/
要らない時にしまっちゃう/
人民って何?/
人民は矛盾だ/
敵にたいして矛となり/
防御のときは盾になる/…
しかし、この「人民」なる集合名詞は何を代表しているのか?何もしていない。自分の経験を話そう。
1980年代、長沙から上海にいくとき、列車の中で花火が爆発して大混乱。二十歳ぐらいの青年がどうしても下りられないので窓を蹴破って飛び降りた。駅員 がとっつかまえて「国家の財産を弁償しろ」というと、青年は「国家の財産は全人民のものだろ?」と答え、駅員が「そうだ」というと、「ボクも人民の一人だ よね?」という。駅員はちょっと躊躇して「まあ、そういうことになるだろうな」と答えると青年はノートを一枚破いて、スラスラと声明書を書き上げ「今後、 国家資産の自分の分を放棄することによって、窓ガラスを弁償する」と。で、駅員がそれを読んでいるうちに、彼は群衆にまぎれて逃げてしまった。
この実際あった出来事は「人民」(大衆)なるこの種の集団名詞の呼称がいかにデタラメかわかる。「人民」は分解できないから、誰でも「人民」と称するこ とができる。特に(*政府と)意見が違う人が(*政府に)「代表」されちゃうことを拒絶しにくいのだ。そしてそれは誰も権利を確認する術がない。中共政府 は一環して「中国は全国民の所有制で、人民は国家財産の真正なる主人だ」と宣伝してきたが国営企業制度が変えられるとき、労働者は全くその名義上の財産を 所有する資格などない(*あっさりクビになる)。
そして工場の共産党書記が企業私有化後、当然のように新たな主人におさまってしまうのだ。1982年憲法が「都市の土地は国家所有」と決めたら、「全体の 人民」は過去30年自分達の”所有”だった公共用地ばかりか先祖代々所有していた住宅も失ってしまった。それで、この憲法条文も「人民大衆」の要求が高 まったから、といわれる。
誰でも、テレビの取材をうけて、政府のお役人を褒め上げたらその人は”人民”の尊称で呼ばれる。だが、一旦、政府の住宅強制取り壊しなどで権利を奪われそ うになって反抗しようものなら、たちまち「人民の敵」にされてしまう。政府が人民の名を自由に濫用できるだけじゃない、李承鵬を殴った人も、自分を「愛国 的な人民大衆」だとおもっている。
「人民」「大衆」「全体」といった専制政治に特有の集合名詞の呪縛をお祓いするには、2人の欧州の学者の本が必読である。ひとつはハンナ・アーレントの 『全体主義の起原』で作者は「全体主義は多くの集合名詞と盛大な儀式で自らを神にする」と指摘。この本では群衆と暴民、エリートの結びつきに対して深い理 解がえられる。もしこの本の中の大量のヒトラーの半ユダヤ主義については興味が無い、という場合は台湾の学者・蔡英文の簡約版「極権主義」がある。
もう一冊の必読文件はフランスのギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」で冯克利の中国語訳「烏合の衆」は翻訳の大傑作である。ル・ボンは保守派のエリー トで、伝統的国家主義と新興の全体主義に反対し、英米型の自由主義を高く評価していた。そして、自らパリコミューンと第二帝政の波乱に満ちた歴史を体験 し、その目で仏国民が伝統的な信仰と権威の崩壊後、ほとんど宗教的な革命への熱情にかられ、遂に一群の野蛮で移り気な極端な原始人に戻ってしまい、少数者 の煽動によって民衆が躊躇無く仰天するような暴行を働き、そして「愛国主義」の勲章を欲しがる姿を目撃したのだった。
中国では「人民」なるこの集合名詞が何度も使われる時、この名詞に含まれる神聖さを利用して「人民は間違いを犯さない」と永遠の正しさを強調する。しか しそれが1人の人間、即ち人民の一分子の上に具現化したとき、各種の腐乱、糜爛は覆い隠し様も無く、上層部は独裁、腐敗、ほしいままのどん欲、中層は権力 に脅え諂い、底辺はさらに多種多様な姿に変わる。あるものは有害食品を作り、また人を陥れたりたぶらかしたり騙し、また政府の御用ネット労働者(五毛)と 化す。このような個人個人があつまって「神聖ならぶもののない人民」になるというのは、ただ自らを欺くの挙であるというほかはない。(終)
拙訳御免。(*印 は、爺がつけたものです)
原文は voachineseblog.com/heqinglian/2013/01/in-the-name-of-people/
何清漣氏のこれまでの論評は;Webサイト 清漣居・日文文章 heqinglian.net/japanese/ に収録されています。