何清漣氏@HeQinglian ブログ;
@Minya_J Takeuchi Jun 翻訳
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最近北朝鮮は米中両国の警告を無視し第三次の核実験を行った。国際社会から見るとこれは疑いも無く中共の新指導者習近平への最初の挑戦である。北京の反応の高姿勢からみても世論は北京の北への影響力はどれほどあるか、について疑問を感じ始めているようだ。
毛沢東時代の”兄弟国家へのコントロール”モデルはもう古い
中国政府は”史上初めて”北朝鮮大使を呼びつけて核に反対の意見を伝えたほか、さらに2度目の声明まで発表した。中国外交部の今年2月12日の声明と 09年5月25日の声明を比べると、今年の文中から「中国側は不断の努力を継続する」というフレーズが削除されているのがわかる。
この削除の意味は「中国は今後、朝鮮の核問題について、北朝鮮の確乎たる同盟国としての役割を担って特別訓導するような責任を負わないし、今後、朝鮮半島の非核化問題では米国等と新たな戦略的協力関係を作るかもしれない」という意味だ。
これについての私の分析はこうだ;習近平が後継してまだ時間があまり経っておらず、国内の各種の政治関係ー特に軍部とのーを調整するのに多忙すぎて、北 朝鮮との関係調整はまだ日程にもあがっていない、ということ。だから、今のところ軍に対し、半世紀にわたり守って来たー北朝鮮を”緩衝地帯”として利用す るー戦略を放棄せよと要求するなどということは、実は習近平にとっては考えてもいないのである。
中国と北朝鮮間の本当の問題は北京が今後、北に対する外交戦略をどうするかという所にある。しかし短期間では、北京は江沢民以来の外交モデルを大きく戦 略レベルで変えずに、米国とは大国外交をしつつ、周辺外交、資源外交に固守する。ただ北朝鮮に関しては最初からこのような外交モデル外の存在なのだ。この 両者の関係はかっての毛沢東体制下の”社会主義兄弟国家”モデル、即ち、”経済援助プラス利用価値”なのである。
表面的にみると、”経済援助プラス利用価値”の外交は資源外交に一見、似てはいるが、本質において両者には違いがある。つまり、北京とアフリカ諸国間の 歴史的な関係は北朝鮮ほど古く無いからまさに”資源外交”なのだ。こうした国の支配層が金銭をほしがり、中国はまず資源、次に国連の子分というわけ。しか しこれらの政治利用は一時的な浅い政治協力にすぎない。往々にしてアフリカ某国が国連人権委員会のメンバーになれば北京から大金が貰えて、投票が終わると それっきりだ。北京もこれらの国を本当に自分の”手駒”とはおもっていない。
しかし、北朝鮮は違う。毛沢東時代から、一貫して北京の重要な手駒なのだ。時期によってその存在価値は変化し、冷戦時期は中国独裁政治が共産主義の防衛 線を形成する重要な防壁だった。中国の”平和的勃興”の10年では、北京とともに米国に対抗する重要な駒だった。北朝鮮が中国の黙許下で様々な破壊活動を 続ける事は中国が世界の大舞台の真ん中にデビューするのを、背後でこっそり手伝うという黒子的存在であった。
例えばある論者は「北朝鮮がこのようなトラブルメーカーでなければ、西側指導者は果たしてこれ程頻繁に中国の指導者の重要性を思い出したろうか?(彼ら がそうしてくれなければ)急速に大国への展望を開きたい中国の指導者にはガッカリだったろう」と指摘している。今日でも北朝鮮は依然として北京が東北アジ アで力を保持するのに重要なバランサーである。金正日が死んでから、北京は金正恩政権に各方面で積極的に好意を示し、北京は依然として北と”兄弟外交”関 係を保持したいと明らかにしてきた。
米、日、韓が口々に北への援助に反対した時も、中国は2012年2月下旬から北に対して大規模な無償援助を行い、それは食料、建材などをふくむ総額6億人民元に達するもので、『史上最大規模』と言われた。
日増しに弱まる”兄弟関係”
「北朝鮮が北京にケチをつけてばかりいて、”兄貴分”として眼中に置いてない」は事実ではない。「中国の朝鮮経済援助の内幕」にはっきり言及しているように「90年代から今日までの苦難に中国は”無私の援助”は巨大なものであった。
また北京側が長年の”手駒”と手を切りたがっている、というのも評論家たちの希望的観測にすぎない。習近平が後継者に内定してからはずっと政治局内で北 朝鮮関係を担当し、07年08年2度北朝鮮を訪問しており、今日まで彼がこの”兄弟”に文句をいった形跡はない。つまり、中国国内政治に大きな変化がおき ないかぎり中国の第五代指導者は北朝鮮政策に根本的な変化をもたらすことはない、ということだ。
中北の関係の難しさは、国際関係がすでに毛沢東時代と大きく変わっているのに、この関係は依然として”社会主義兄弟国”モデルのままだからだ。このモデ ルの紐帯をつなぎとめているのは第一に政治戦略の利益で、第二に共同価値への信念である。そこから出てくる第三の紐帯が「親分子分」の関係の気前のいい経 済援助、なのである。例えば中ソ紛争前、「平等の関係」といいつつ実は親分子分の関係だった社会主義国家間外交のようなものだ。
しかし、一旦「第一の紐帯」が緩んだり、国際関係が変化すると、双方は価値観に元ずく親密な関係を維持するのが難しくなる。中国は毛時代からずっと”社 会主義兄弟国家”を家来として、中国の言いなりになることを期待して来た。 北京が何かするときは”兄弟達”にはおしえないが(例、キッシンジャー訪 問)、”兄弟”の他国が自分で独立の意志を表明すると’悪い子”になるというわけだ。これがべトナムやアルバニアとの関係悪化に至った真の原因である。
中国では少なからぬ人々が北朝鮮を恩知らずだと責めているのは事実で、中国の立場からみれば確かにそう言える。ただ毛沢東とかってのソ連の関係を思い出 せば、こうした両国関係が常時仲良し状態であるというのはなかなか難しいとすぐわかるだろう。中共が旗揚げしてから延安に至る時代、国共内戦時期、中共国 家成立から核武装まで、すべてソ連という「大兄貴分』の心血をそそいだ物資の援助を受けながら、50年代後期、毛沢東は十分強くなったと思ってあっさりソ 連の言う事をきかなくなった。
1958年に中ソ関係を悪化させる2つの重大事件がおきた。ひとつは中国が突然台湾の金門島に砲撃開始。当時中ソは同盟条約に調印しており、もし金門島 の砲撃戦に米国が介入したら条約に基づきソ連は毛沢東を助けて世界大戦を開始しする羽目になった。このような国家の運命に関わる一大事なのに毛沢東はなん とソ連に全く通報しておらず、ソ連は中国に対し強い不信感をもった。
もうひとつの事件は中国が台湾から最新式の空対空サイドワインダーミサイルを鹵獲した。その赤外線ホーミング装置は最新の進んだ技術を使っていた。で、 ソ連はそのミサイルを調べたがった。ソ連は中国に核兵器やミサイルの軍事機密のあらましを提供していたので、当然中国はこの要求に応えるかとおもわれた が、中国側は「あんたのものはおれのもの、おれのものはオレのもの」という姿勢でソ連側に見せも渡しもしなかったのだ。
この上に他の要素も重なり、ソ連は1959年、対中軍事技術の援助を中止した。この後のことは全世界が知っての通り、1963年に毛沢東自ら文章を書き、ソ連を修正主義と批判してソ連の価値観との決別をつげた。
北朝鮮と中国の間にはとっくに共同の価値観は失われている。残る唯一の「きづな」は利益のみである。利益は常に変化する。双方の利益が永遠に一致するこ となどありえない。まさにこの一番の利益のある方向へ、という枠組みの中で北は自らの利益の最大化を考え核による恫喝路線を選んだのだ。
というわけで今回の北の核実験に北京が怒っていることは信じられるのだが、しかし、それは「頭が痛かったら頭痛薬を飲み、足がいたかったら足に薬を塗 る」程度のも。中共は今後も場当たり的に対応して行くだろうが、まだ両国の関係を新たに見直すという局面にまでは至って居ないのだ。(終)《中国人权双周 刊》第98期 2013年2月8日—2月21日
原文は biweekly.hrichina.org/article/4975 拙速翻訳御免。ご教示歓迎。
御参考に原文を下に採録しておきます。