何清漣氏@HeQinglian
2013年8月23日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
周到な準備を経た薄熙来の裁判開廷、主役の薄熙来が収賄罪を否認し、それが微簿で逐一公開されたことで内外メディアも様々な観客も「こりゃおもしろそうだ」と元気がでました。薄熙来は去年3月から「座敷牢押し込め」状態でその動向に関する話は世界各国のメディアの重視するところでありました。
薄にとっての唯一のチャンスは所謂「公開裁判」を利用してある程度の弁明をすることでした。この点、中共政治局や常務委員会の関係者は当然予期していました。中共権力者の考えでは、薄熙来は自分の野心が原因で党の政治的動揺を招き、極めて大きな損失を与え極めて大きな罪を犯したのでした。周囲の情勢に阻まれ簡単ではないとしても、権力者側は党内の政治混乱を避ける為に、ゼッタイに権力闘争・路線闘争の痕跡を取り除き、党への被害を最小にするために、最小限の3つの大罪ですら軽い罪にしようとしたのです。(*爺注;p.tl/AVW6参照)
思いがけなかったことは、中央紀律委員会専従班が取り調べの過程で薄熙来に認めさせサインまでさせていた収賄罪の証拠の大部分を薄熙来が法廷で否認してしまったことです。薄熙来が認めたのは唐肖林が3度に渡って贈ったお金だけで、これはそれを認めた所でせいぜい重くても「党籍と職務を剥奪する」だけのものです。これでは中国政治の「お芝居」の中でも史上最も気まずい不細工な一幕です。
薄は2013年3月、勾留されて以後、当局がつけようとした罪名は竜頭蛇尾におわりました。最初は路線闘争、汚職腐敗、刑事犯罪の3つの罪名が予定されていました。が、最後には政治化しそうな「収賄、汚職、職権乱用」の大罪は除いて、完全に政治闘争の痕跡を抹消するしかありませんでした。この原因は完全に党内の各種勢力の圧力によってのことです。
《まわりの有象無象とは違う》
中国政府系メディアは何度も、改革開放以来、薄熙来は汚職収賄で裁判にかけられた4番目の中央政治局員だと強調してきました。この宣伝の意味は、薄熙来の失脚は別になんてことはないこれまでも3つも例があることだ、ということです。しかし、薄熙来がもっていた政治的な力の源泉は他の3人の場合と根本的に違うものだと全世界が承知していました。名簿上ではただの政治局員で、重慶市の共産党書記というのは陈希同の北京市委書記や陈良宇の上海市委書記(*どちらも汚職失脚)より確かに重要な地位ではありません。しかし薄は中共政治のなかで極めて大きな力、表の制度には表れない力の源泉をもっていました。すなわち「太子党」の身分です。この身分と彼の太子党連の人脈が薄熙来の気力の根源にあります。
薄熙来が拘束されてから、一部メディアの報道では習近平は薄熙来の主な支持者で有る陳元、劉源、張海陽といった太子党のメンバーを慰撫するため様々な努力をしたといわれています。薄熙来事件の審理開始前には薄熙来死刑説も流れました。海外メディアはさまざまに推測ごっこをしたとき、新華ネットに7月22日「陳雲は江青の死刑に反対した。党内闘争は殺害してはならない。後世の不為である」という意味深長な文章が掲載されました。
《ちっとも意外ではない》
薄熙来が裁判の機会に自己弁護をするかどうかに関しては、まえからメディアの諸説があり、北京当局はゼッタイこの可能性をオロソカにはしませんでした。政治局員という高い地位にある者を審判するにあたっては一般に予行演習が行われます。陳良宇(*元上海市長、上海市委書記失脚)の弁護士も当時を振り返り「開廷前に厳密な予行演習が行われ、すべての過程は完全に、いつトイレにいくかまで予定のシナリオに書き込まれていた」といいます。
陳良宇だってこれほど厳戒なのだから、当然、薄熙来の裁判に対してはさらに十分周到な用意がされたことでしょう。非公開ならともかく、公開裁判ともなれば薄熙来の強硬な性格や事件の背景からして薄は必ず自己弁護をするだろうし薄熙来と裁判に先だって脚本を決めて裁判劇をうまく演じるというのは実際、極めて難しい事だったでありましょう。一方、薄熙来は当然、北京当局のこの種の「悪人を除きたいが、まわりへの影響を考えてためらうこと」を百も承知だったでしょう。一家伝来の中共官僚制度での経験と自らもさんざん苦労してやって来た経験からも、当然「まず当局の条件をのんで、事件を裁判させ、出廷の機会に奴らの脚本をはなれ、言いたい事を言う」という自分の策略をもって挑んだのでした。第一段階の裁判は事実上薄熙来の勝利です。
《北京はどうする?》
予定されていた通りの裁判結果をそのまま実行するかどうか、が現在の事件の焦点です。薄熙来事件をあらためて政治犯罪とするのはほとんど不可能です。なぜならこの事件をここまで引き延ばして来たのはその理由はただひとつ、「ゼッタイに路線闘争や権力闘争の痕跡を残さず、政治化させないこと」だからです。裁判で思惑と違った経緯になったとしても、北京当局はこの既定の方針を変えるわけにはいきません。
あらたに証拠を集めて、薄熙来を「罪に服させる」ことは方法の一つです。所謂「改めてでてきた新証拠」は中央紀律委員会の書類綴りの中にいくらでもありますから、それをもってきて「捜査立案」すればいいだけのことです。問題はそうした資料が有るということは、その資料を使うわけにはいかない理由も必ずある、ということです。例えば薄熙来が「重慶モデル」に巨額の資金を使って2011年度末までに重慶市のすべての融資プラットフォームの残額が4620億元になり債務が山の様になってその使途が「汚職」の罪に問うというのはできないことではありません。しかし、そんなことをしたら必然的にもう一人の太子党の重要人物である陳元に触れざるを得ません。
なぜなら陳元は重慶モデルの支持者として自分が主管していた国家開発銀行から重慶の融資プラットフォームに融資した金額は1100億以上で重慶の全融資プラの借金の4分の1にもなります。全国政治協商会議の副主席の地位や、金砖国家開発銀行のトップの地位を慰撫手段としてあたえてやっと68歳の陳を国家開発銀行頭取をやめさせたのですから、そんなことをもう一度薄熙来のために波乱をおこしてまでできるはずもありません。
北京当局にとっては「被告は犯罪事実を認めた」という路線はダメになりました。残るもう一つの道は例えば「被告はいろいろうまいことをいいつのって抗弁したが、調査の結果犯罪事実は確かである」としてしまうような方法です。この方法ですと、いろいろ薄熙来支持者の不満や懐疑を引き起こすではありましょうが、しかしさっさと終わらせて頁を閉じてしまうことができます。
ただこの方法のまずいところは薄熙来の政治的地位と身分と長年執政にあたってきたのに、最後にこれっぽっちの小さな金額の汚職だった、というのでは現在ややもすれば億元単位にものぼる、何百というマンションをもっていた汚職役人にくらべたら紅色革命大好き書記の薄熙来が実は汚職腐敗役人だったということの証明ができないばかりか、逆に薄熙来は相対的に「清潔な役人だった」という話になってしまうのです。
腐敗の罪をもって政敵をやっつける手法は江沢民が発明しましたがこの方法はとっくに効用の限界まですり減っております。最初江沢民はこれで陈希同(*北京市長、失脚)を監獄送りにして北京の大政敵を倒し、「腐敗打倒」の美名もゲット。続いて胡錦濤もこの方法で陈良宇(*元上海市長、上海市委書記。失脚)をやっつけましたが効果は逓減し、人々は「反腐敗」というのは上海の政敵を倒す、というのが本音だと知るにいたりました。薄熙来事件に至っては、その失脚の理由は重慶で執政となって「唱紅打黒」運動を起こし重慶モデルとして政治的威信を高めて無理矢理常務委員会入りを狙って、党内の最高権威に関する既定のゲームのルールに違反したからです。
今になって北京の執政者ががどうでもいいような腐敗の罪名で中共の権力闘争の本質を覆い隠そうとしても、ただ様々な批判と疑念を持たれるだけでありましょう。(終)
拙訳御免(*は爺のつけた御参考の注です)
原文は「薄熙来翻供的底气何在?」p.tl/A52m
何清漣氏のこれまでの論評の拙訳は;Webサイト 清漣居・日文文章 heqinglian.net/japanese/ に収録されています。