何清漣氏 @HeQinglian ブログ;江泽民的政治遗产:政治问题非政治化处理
の全文日訳(拙訳御免):Takeuchi Jun @Minya_J
江沢民は1989年、64天安門事件のあと、余命いくばくもない鄧小平の命を受け、13年間、中共総書記の任にあった。
【江沢民の”政治功績”が早くも消滅】
自分の13年の治績のどう評価するか?江はその仕事を人任せにするつもりは無かったようで、江はシティバンクのロバート・ローレンス・クンに伝記を書かせた。
③この伝記は『彼は中国を変えた・江沢民伝』として出版された。この書名から見るに江は自己を中国を新時代に導き、世界の舞台に上げたリーダーとして描く事を望んでいたようだ。
④私はこの本を読んだことはないが、つまるところ、江沢民の”政治業績”は主として;政治的には”3つの代表論”政治・経済・インテリのエリートの結びつきに政治的正当性をあたえ、中共統治の基礎を再構築を試み、
⑤経済的には中国人の悲願であったWTO加盟を果たし、中国を”世界の工場”の商品を5大陸に売り込み、中国の国際イメージは各種の活動を通じ、08年の北京五輪開催を勝ち取った。
⑥中国政府の外交政策が、「韜晦作戦」から、『平和的台頭」へ変化したというのなら、この「台頭」はそれはまさに江沢民の時期から始まった。
⑦しかし、江沢民は自分の上述の政治業績が溶解して無くなるのを自分の目で見る事になった。北京五輪招致は成功したが、後継者達は厳戒態勢の下での大盤振る舞いのパーティにしてしまい、豪奢さのとともに中国社会の矛盾を世界に見せた。
⑧中国を世界の工場に(正確に言えば、世界の加工場に)した輝きは7、8年しか続かず、自国および世界への作用としては、かっての大英帝国の”世界の工場”にはおよぶべくもない。
⑨「平和的台頭」のスローガンは5、6年言われただけで2010年、中共はまたこっそりその旗を降ろし、また鄧小平の「韜晦作戦」に戻ってしまった。
⑩江沢民は法輪功取り締まりを主張し、西側の一部の国で過酷な刑罰、反人類的行動、ジェノサイドなどで告発されている。江の統治期間にすでに深刻な制度腐敗、社会の分配の不公平、環境汚染がはじまったことは、拙著「中国現代化の陥穽」に詳細に分析したとおりである。
⑪所謂”政治遺産”とは前任者が創設し、後任がその政治制度や経済政策、思想など守る事である。仔細に検討した結果、私は江沢民時代の華やかな”政治実績”は彼がつくった「政治的異分子攻撃の原則ー政治問題を非政治化して処理する」だけだと知った。
⑫これは中共政治で重要な役割をもっておいる。「政治問題の非政治的処理」は江沢民が1998年、上海巡視で正式に打ち出した。以後、中国の異議申し立て人士に対しての準則になっている。江はなぜ、このような政策を必要としたのか?
⑬それは鄧小平時代に思想言論方面で「批判することはすればするほど素晴らしい」的な状況が出現したからだ。作者の名前が不明でもその作品が中共政府を批判したものならたちまち洛陽の紙価を高らしめ、有名になった。
⑭元々、思想理論界の地位のある人物が中共の批判の的になると、たちまちインテリ界のリーダーになる。こうした「自由化分子の名声狙い」を防止するために、江らは知恵を絞って、この巧みな方法を編み出した。
「名声狙い」という言葉は中共中央宣伝部が各マスコミにテレックスで流したのを見た事が有る。マスコミ各社にちょうど私の文章を掲載禁止したころの事だった。
この「政治問題を非政治化して処理」の原則は二つの側面がある。第一は、法律制度。具体的には「国家安全危害罪」、「国家機密漏洩罪」「政府転覆陰謀罪」によって各種の”思想犯”や政治犯、護憲人士をやっつけるためである。
毛沢東時代に使われた「反革命罪」が政治的異分子とみなされた人々を弾圧するのに使われ、すくなからぬ血なまぐさい冤罪を生み出した。毛の死後、”反革命罪”は国際的にも国内的にも嫌われさっぱり人気がなくなった。
で、この「反革命罪」は1989年以前の胡耀邦、赵紫阳が総書記の時期にはもう使われなくなった。しかし、江沢民の時代になって”反革命罪”は装いも新たに社会に再び登場したのだった。
1993年2月にできた《中华人民共和国国家安全法》がそれで、また97年の刑法改正で”反革命罪”は”あからさまな政治的色彩を弱めて国家安全危険罪”となったのである。
”反革命罪”にくらべると”国家安全危険罪”は名は替わったが中味は同じだ。’刑法'(1997)を例にとると、もともと”反革命罪”にいれられてはあったが実際は刑事犯に属する、”集団脱獄”や”銃弾薬の製造、奪取”等をなどを刑事罰に移した。
その他の”反革命罪”下の罪名をおしなべて”国家安全危険罪”に秩序立てて並べた変えただけである。”国家安全危険罪”は近年、当局が政治犯や思想犯を迫害する主要な罪名になり、当局が勝手に市民の権利を剥奪する一番便利な恥知らずの名目になっている。
つまり、江沢民統治時期の中共政府は毛沢東時代の”反革命処罰条例”の包装を変え”国家安全法”と”刑法”に”国家の安全に危害を加える”という項目にして、国際イメージを改善しようという策略に過ぎなかった。
その本質は毛沢東時代の反革命処罰条例などの法規・政令と本質的には全く同じで、ともに中国人民の基本的政治権利を厳しく剥奪するものである。
「政治問題を非政治化して処理」の原則の2つめ側面はコントロールである。政治犯や思想犯をやっつけるのに政治的理由で罪を着せるのではなく、その弱点を探し出して、例えば経済方面や刑事方面の罪名を着せるのである。もし弱点がなければ作り出すまでのことだ。
筆者の例だと「中国現代化の陥穽」を出版した後、張高麗が丁度深圳市の共産党書記兼市長になって、直ちに私の職場だった深圳法制時報の責任者に「何清漣の経済関係を洗い出せ」とはっきり指令を発したものだ。
「何清漣はながらくこの会社につとめていたのだし、主任も歴任してるから、『袖の下』を受け取らなかったはずがない」「それを探し出して暴露し、腐敗を理由に政治的に抹殺せよ」とあからさまな指示だった。
深圳法制時報社は仕方なく主任、副主任3人で調査グループを作り、私の仕事に関連する10部門を逐一調査したが、その結果は張高麗をはなはだ失望させるものだった。
市環境局は「何清漣は我々の環境保護の仕事ぶりをいつも批判している。まさか私らが賄賂を贈って彼女に批判記事を書いて貰っている、とでも?いくらなんでもそんなに自分たちは高尚じゃありませんよ」と回答した。
深圳市の社会保安局では「何清漣はお金や賛助金を要求した事はないが、貴社の他の記者は強要しました。必要なら名簿を提供すしますよ」と回答。こうして調査の結果、私に袖の下を渡した証拠が見つからず、それっきりになったのだった。
罪をでっちあげるために当局はさらに罠をしかけ、知人によって餌を提供させ、深圳の「アヒル倶楽部」(訳注*なんかセックス関係の組織らしい)取材に招待されたとか色々あったが、こちらが警戒したので何事もなかった。
ネットで調べただけでも、ここ数年、中共によって各種の非政治的罪名で逮捕されたり、労働教育に処せられた人は以下のとおりである。魏泉宝;98年広州市公安局により買春罪で3年労働教育。戴学武2000年6月上海公安局にひったくり容疑で拘留。
刘水;04年深圳公安局で無実の買春容疑で入獄。著名な護憲人士の彭明も1999年同罪で逮捕、1年半の判決。後に海外に逃れ連邦党をつくったが04年に雲南に誘い出されてニセ札所持容疑で逮捕されて05年1月武漢第二中級法院で無期懲役に処せられた。
2011年には著名な芸術家の艾未未の行動能力と組織能力を破壊するためみ、中共当局はさらに”脱税罪”の汚名と2000万元以上の罰金を課し、さらに住居を監視中である。
【中共政府のブラック化のカギと成る一歩】
中共政府は”政治問題の非政治的処理”の原則によって異議を申し立てる人士を弾圧する政策をとったが、これは必然的に政権を堕落させる。2005年私は「権威統治下の中国の現状と前途」でこう指摘した。
失敗国家の4つの特徴とは、公共権力の私物化。政治暴力の合法化。政府の行為のギャング化。国家の軍隊の私物化であると。で、現在中国はすでに最初の3つの条件を達成した。今日の中国の状況は私の予測どおり、である。
今年の胡錦濤・温家宝らの政治エリートによる、”薄熙来打倒事件”では「路線闘争」の泥沼になるのを避けるために、中共は遂に”政治問題の非政治化処理”の「高度な手法」を異議人士だけでなく、内部の権力闘争に使った。
明らかに権力の奪い合い闘争だったのを中共は上手くやったつもりで「殺人事件」の方向で処理している。3月中旬以来、北京は薄熙来夫婦は殺人、汚職腐敗、性的紊乱の極悪人だ、と。さまざまなルートで海外の中国語メディアに流し続けている。
しかし、この政治的罪名の刑事犯罪化の過程では中共の高度な腐敗と中国トップ層の内部抗争の恐怖、ギャング団的凶悪さなどがあからさまにミエミエに世界のメディアの眼前に暴露されてしまった。
つまり、中共政権のギャング化の過程で江沢民の編み出した「政治問題の非政治化」の原則はカギとなる役割を果たした。これが江沢民の13年にわたる光り輝くおおきな政治遺産なのだ。
まず人民を痛めつけ命を奪い、最後には自己の内部の人間までも同様に処する。それは中共内部の深刻な分化と、その統治力を弱化させる切っ掛けとなったのだ。(終)原文は
http://www.aboluowang.com/comment/data/2012/0501/article_23238.html
——阿波罗网网盖棺论定江泽民征文:江泽民的政治遗产:政治问题非政治化处理 08:49 AM May 3rd via web