何清漣氏
2013年12月04日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
様々な期待と想像の中で習近平の執政が1年になります。その政治の本性が日を逐って明らかになってきました。これは多くの外国の中国に幻想を抱いている人々が直面しなければならない事実です。
《習近平の政治の夢に関して》
現在、習近平の一年余の執政の実績に対しては一点しか共通した評価はありません。すなわち彼が強権的な人物だということです。その政治の向かう所に対する評価は2つに別れます。国内では阿諛追従。「専政」とか「独裁」と言った類いの言葉はタブーです。全ての評価は二つのキーワードで習近平と毛沢東や鄧小平に関係しています。
国際社会は西側の想像する政治改革にこだわって困惑し、自分達の幻想を無理矢理、習近平の様々な動きに当てはめてあたかも自分達で作り出した改革派の習近平というイメージ、すなわち中国はきっと民主の方向に向かう、ただ時間の早い遅いがあるだけ、といった見方に固執することによってなんとか国際社会の中国観につじつまをあわせようとしています。現実の習近平が全く政治改革の意向などなくても、習近平の権力の座が安定さえしたら、一切の障害をのりこえて彼は政治体制の改革をおこなうだろうとかです。この種の観点は中国の内外に等しくありますが、ただこういう人々はどんどん少なくなって来ているだけです。
習近平は世界に向かって、自分は依然として中共が一貫して堅持してきた中国的特色のある社会主義の道を歩む、とはっきり示しています。前任者の江沢民や胡錦濤と比べて、彼の政治的自信は更に強固で政治手腕はさらに強圧強力です。
この稿では、内政、経済、外交、民意およびその受ける限定、私の習近平時代に対する権威政治的な理解を明らかにします。いくつかの観点は既に述べてきましたので、本文は要点をまとめてそのフレームワークのなかで明らかにしていきましょう。
《内政編ー権威体制の確立》
まず内政では胡錦濤時代の最後の2年は3つの政治的問題を残しました。
❶;党内権力闘争の激烈さ。政治局常任委は「9の竜」によって統治。
❷;紅二代が父親世代を批判し政治に関わろうとした。
❸;民間の政治参加の声の高まり。
それは婉曲に中共権力の制限と、一党専政の終息が在野政治の共通認識になりつつありました。3つの要素があいまって中共政権は風前の灯ではないにしても、かなり見通しの暗い状態ではありました。
この三大問題を解決するのに、習近平は執政以来最速の政治業績をみせました。その処理方法は内外で違っています。前者の2つの問題は党内の、”家庭内問題”で十八節3全中前後に基本的にはすっかり終えていました。国家安全委員会をつくって権力を一身に集中し経済改革指導グループの中の李克强の一を決めないうちにです。あっという間に胡温等第四代が決めた「ツートップ」を総書記1人だけのワントップにし、鄧小平時代に確立された集団指導モデルを終息させてしまったのです。
民間の護権運動や微簿など各種の方式の政治参加についてはいささかの容赦もなく強権弾圧の手法をとり、胡錦濤時代にはずっと元気に活躍していた許志永よ王巧権を逮捕して牢屋にほうりこみました。江沢民時代の政治反対者への弾圧はまだ国際社会の非難を和らげる為に政治問題を”非政治化”して、企業関係なら違法資金収拾とか脱税などの名目で罪に落として処理するやり方でした。しかし王巧権はもうそのような経済罪の名目はつかわずに この二年間採用されてきた「公共の秩序を乱した容疑罪」でした。これだけでもハッキリ、習近平は外国人の余計なおせっかいをすこしも怖れず、民間の政治参加を撲滅する決心でいることがあきらかです。
党内の派閥を片付け、住民の政治参加の芽を摘んで、紅二代には「いい思いのできる時代」が継続する夢を与え、さらに自分の父親の「生誕100年祭」でその家族の中心人物を招き、ともに「父祖の作った国を享受」することを示し、これによって胡温時代にばか騒ぎをしていた紅色貴族の子弟は続々と服従を誓いました。体制に依拠する全ての種類の人間達は胡温晩期のようにビクビクして共産党の天下がひっくりかえるかもしれない、などという心配はしなくなりました。
習近平は3中全会を通じて、国家安全委員会と経済改革指導小組の制度を設置し、党、政治、軍事、警察の大権を一身に集め、新しい権威政治モデルを確立したのです。
習近平の新権威主義の傾向をたどると、2009年劉亜洲がシンガポールに軍官視察団を派遣しました。シンガポール国立大の薄智跃によると、任務は「十八回大会後の中国の解決の道をさがす」ことでした。2010年夏、習は李光耀(リークアンユー)と北戴河で人知れず会談して、以後、李は習近平に好意的な論評を多くしましたが、2人の権威主義者が互いに認め合ったことがわかります。
多くの人が中国は大きく、国際関係は複雑でシンガポールの様な都市国家の政治権威体制に学ぶのは無理とおもっています。実際は習近平は権威体制の頂点の設計の特徴だけが必要だったのです。都市や広大な農村の問題は依然として居住委員会や村の委員会といった基礎組織に頼ることができますから。北京五輪を主導した時、五輪の安全確保モデルのひとつの重要な点は居住委員会に社会治安にかかわらせたことでした。
《経済編;地方財政の枯渇問題の解決》
経済上では習近平は胡温からボロ屋を引き継ぎました。外資は相次いで撤退し、環境生態は急激に悪化、すくなからぬ業界が破産か不況どん底。ただ不動産だけが”ひとり光り輝いて”地方政府は債務の泥沼に沈んでいました。
この局面に李克强は多くの手管を考えましたがやはり妙手はなく、上海の自由貿易区も予期した吸引効果はありませんでした。十八回大会で確立した「改革60条」の多くは過去の政策の焼き直しで言い方をかえただけか、いい方すら変えてないものもたくさんあり、効果の程は期待できませんでした。しかし、習近平は地方財源の元に関しては大変な事をやるように促しました。地方政府の為の不動産徴税です。これは地方税システムの重大な改変です。
これができたのはまさに習近平が樹立した政治権威によってなのです。政府統計では現在中国の住宅は2.2~2.5億戸あり、まず3分の1から徴税しても相当なモノで地方財政の救いの神になる可能性があります。胡温晩期に不動産税は論議に上がっていましたが、官僚群の頑強な抵抗でずっとできなかったのでした。3全中会では不動産税のことが一発で決まって、さらに各地が自由にやれることになりました。
多くの人々が不動産税の重要さに気がついていません。江沢民・朱鎔基の時代からはじまって地方財政収入の来元はずっと地方政府の苦悩の種でした。胡温時期になって起債がこの財政困難を緩和する常の方式になりました。
つまり不動産税を地方財政の柱にするというのは中国の地方財政構造の重要な転換なのです。今から予見できることは数年内に各地方政府は自分の財政情況によって、収税対象を確定して各地の事情に応じて自由自在に収奪範囲を決めるでしょう。中西部地区の都市住民のボロ家でさえ徴税の範囲に含まれるかどうかは、現地の政府の財政飢餓状態と、役人の社会安定に対する評価によってきまるでしょう。地方税の源泉の問題を解決したのは習近平が統治集団の気持ちを凝縮し執政能力を強化した重要な動きです。
就職先問題、社会分配の不公平、社会保障、環境の質など民生に関係ある問題につては、毎年話され、解決できない問題で「改革60条」に入れられましたが、これまでどおり効果は期待できないでしょう。いくつかの問題は中国経済の欠陥です。例えば資源の対外依存度の高さ。胡温時期からはじまって環境の取り返しのつかない悪化、資源のますますの欠乏、石油、鉱物、食料、清潔な飲料水等の資源の需要はますます極大になって、国際市場価格だけでなく国内産業の生存や物価変動にまで影響を与えます。
しかし中国社会には以下の様な特徴があります。ある方面の問題が未だ深刻化する時には改善を望む声は比較的高い。しかしもうどうしようもなくなると、却って話題でなくなってしまうのです。例えば環境や有害食品問題がそうです。これは「ゆでカエル」効果です。また宣伝部が長年世論を導いて来た結果でもあります。ですから、今から予見出来る事は、国土をどうやって生態環境を改善するかは民族の生存の根本問題ですが、今後、中国人の関心をもつ国家の大事という点では、釣魚島や遺伝子変換食品のもたらす危害に遠く及ばないことでしょう。(終)
拙訳御免。
原文は新权威主义梦想成真(一)p.tl/dlBF