何清漣
2014年05月30日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
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《その特徴 自らも他も騙す》
1991年の「中国人権白書」が出て以来、これが11番目の人権白書です。著者は中央対外宣伝辨公室主任、国家新聞辨公室主任の朱穆之です。1989年の天安門事件の後、北京は国際的に孤立し、朱穆之は流石に対外宣伝業務のプロで、「人権はなにも西側の専売特許ではない。わが社会主義中国こそ人権を語る資格がもっとあるので堂々と人権の旗を掲げようではないか」といい、ハッキリ言えば、同じ人権の旗、同じ人権スローガンをかかげ、「中国的特色」の人権理念(中国人の人権とは生存権であり、めしが喰える事だ、というような)を「真珠に魚のメダマを混ぜて売る」ようなことをしてきたわけです。
そしてあとになって、これだけでは飽き足らず、世界各国にも人権問題はあるのだ、ということをアピールするため 姉妹編「米国人権記録」を、米国が毎年出版している「国別人権報告」に対抗させる形で出版し、各国の人権状態を矮小化し、汚名をきせて「人権の擁護者」米国の噓をあばき、その実状は中国と別に変わらないと”証明”し米の中国人権状態への批判は人権の名にかりての中国の内政干渉に過ぎない、というのです。
この白書なるもののインチキなポイントはふたつあります。それは人権分野での「成果」は強調しますが、決して人権問題の生まれる根源について言及しません。中国人の言論の自由は誰が奪い、中国の環境生態の悪化はどうして生まれたか、さらに政府が人民の解放者であると言い募るばかりか、環境汚染から人民を解放する者であると主張します。そして、名ばかりの基層部分の人民の普通選挙の権利については、明白に「名ばかりのニセモノ」である点に目をつぶり、噓八百を並べていることです。
《中国人の言論の自由の権利》
白書は「言論の自由は中国憲法に規定されている市民の基本権利だ」とし、社会の経済発展にともないその手段は日増しに豊富になり、情報取得への要求の満足度は高まり言論の自由空間は不断に拡大し、言論の自由の権利は不断に発展している、とのべて白書が中国人は言論の自由を享受しているという厚かましい恥知らずには唖然とさせられます。
筆者は中国には党の教義のために新聞の自由を踏みにじ党の組織部門が依然としてメディアの責任者の任命権限を握り、メデイアの責任者に自分は役人であってメディア人ではないと常に自覚させている宣伝部が存在することをおわすれのようです。将来順調に出世するためには厳格に自己規制し、自己規制をメディア業の重要な項目とすることが出世の道だということを。
たしかにインターネットの普及は世界各国の民衆が言論の自由の手段を持つことが「日々豊富に」なってはいますが、中国政府は報道の自由のみならず、インターネットの自由、の敵でもあります。中国政府のつくったネット規制の万里の長城は世界に有名です。2007年以来、国境なき記者団が全世界に発表する「インターネットの敵リスト」で中国は5大敵(ベトナム、シリア、イラン、バーレン)の首位です。
同リストはさらに、中国では依然として30人の記者と69人にネット民が情報やニュースの発信を理由に拘禁されており、その数は世界一です。最近でも北京の前記者・高瑜女史が海外で発表した言論を理由に逮捕されて、中央テレビで謝罪を強いられましたし、もっと馬鹿馬鹿しいのは彼女の子供も連座して逮捕されたことです。この種の状況下で白書はなんと中国人は言論の自由の権利を享受しているとは呆れ返った話も極まれりです。
《中国人の民主的権利》
白書は民主の権利もまたシャーシャーと列挙して「2013年中国の選挙法は人々が平等の原則にのっとり、都市部も農村部も人口比例によって全国人民代表が選ばれる」と述べております。この論法は民主制度の要点は人民の普選にあり、(核レベルの議員を選べるというだけでなく、村長町長から大統領までの首長を選べるということ)という点を回避してるだけでなく、わざと人民代表が如何につくられるか、という点をわざと避けています。
つまり誰が候補者の名を挙げる権利を独占しているか、という点を、です。中国で人民代表選挙を体験した人なら誰でも知っています。区の代表からはじまってすべて関連政府部門が候補者を指名します。選ぶ側は(そのおおくが、所属『単位』から仕事として参加させられます)ただその名前の上にマル印をつけるだけで、投票の対象が誰かなどということは往々にして全く知らないのです。
この種の「選挙」などというものは民意とは全く関係ありませんし、有名無実で、中共政府が自分達の仲間に一種の政治的報償として与えるものであって、ただ中共「民主」の外見をまとっているにすぎません。江西省の新余の劉萍は独立して基層の人民代表に立候補しようとしましたが、拒否されたばかりか、異議申し立て人士のリストに載せられ様々な圧力にさらされたあげく、2013年には「国家煽動転覆罪」でぶち込まれました。
この事件は「正式に全面的に都市農村で動揺に人口比率によって全国人民代表が比例選挙で選ばれる」という話のうそっぱちと欺瞞を十分に証明しています。(*劉萍;鉄鋼労働者をやめ2011年、新餘市渝水区で人民代表に立候補しようとした。後逮捕される。)白書はまた「2013年までに中華人民共和国村民委員会選挙規定が公布、実施され無記名投票、公開集計が全面的におこなわれ、秘密投票が普遍的になり公開演説会が広汎におこなわれ全国98%の村で村民自治規定が決められ大衆の村政参加政策決定水準が大幅に向上した」といいます。基層(村や郷)の民主の進展という話でしたらこれは世界一おそいカタツムリのようなものです。
1982年に中国は修正公布した憲法は「村民自治」を提起し、かつ明確に「村民委員会が基層レベルの大衆の自治性の組織」として以来、1998年の村民委員会組織法施行でさらにはっきり民主選挙、民主政策決定、民主管理、民主監督、を基本とする制度の枠組みを明確化しました。それから30年を経て海外の中国研究者達が尽きる事無き想像をめぐらした「基層の民主主義」はどうなったでしょう?
国内の研究者が実地調査した結論は全国の絶対大多数の村、郷の選挙は上級政府のコントロール下にある、ということです。肖唐镖らは「村委員会選挙の郷県政府は、自分が投票せず、立候補しないという以外はあらゆるところに存在する。具体的には規則の制定、解釈、情報の通達、公布、組織と選挙実施の役目などほとんど全能の役割を果たし、つまり立法者は執行者であり、監督者である、と。
数年前の広東省陸豊区の乌坎事件は世界の注目を集めました。村民は村委員会が売り払った土地をめぐって十数回の北京訴え詣でが役に立たなかった結果、2011年9月21日現地政府と直接衝突したのでした。その後数ヶ月をへて、41年間改選されたことのなかった村委員会が村民によって下野させられ、村長と村の共産党書記は逃亡し、村民は自分達で村民臨時代表大会理事会を開催し、真の意味での村民自治をはじめました。
地方政府の強大な圧力に抗して戦いを続けた乌坎村民は血の代償を支払いながらも終始一歩も退かず最終的には政府から譲歩をかちとり、村民の1人一票の許可を得て2012年春、みずからの村民委員会を選出しました。しかし、数年が過ぎたのちのちの今日、人々はこの乌坎村の事件は中国の基層部分に民主時代が来たという話を代表するものではないと知りました。さらに明らかになったのは下からの民主化は上を動かしたりしないということです。村の村民自治を推進した何人かのうち、ある者は庄烈宏のように海外に逃亡し、洪锐潮のように逮捕された人もいました。
乌坎村の41年にわたって改選されなかった「万年村委員会」と村長がいて、村民が自治のために血を流した事件があって、外の世界は白書のお話を信じることができますか?私は大変疑わしいとおもいます。
中国の村民の自治に関してのいろいろな解説の中で、私は国内の少数の学者の現地調査報告は信じても、海外の研究者達のさまざまな「学術モデル」的な研究という思い込み立場からのそれは信じたくありませんね。。事実上、この分野がさかんになって10年で消え去った学術研究とやらは、「中国の人民代表制度が中国の民主化を推進する」とか言ってた研究の類いといっしょで、みな自らも他人も欺く「研究」というレッテルを貼っただけのものにすぎません。(終)
拙訳御免。
原文は;何清涟:言论自由与民主权利何在?—2013年中国人权白皮书解读(1)http://www.voachinese.com/content/he-qing-lian-20140529/1925718.html
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