何清漣
2014年6月2日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
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「白書」の中味で中共の”自殺点”となってしまったのは環境の権利と少数民族の権利の章です。というのは漢民族にとっていまや新鮮な水や空気は得難いものとなり、さらにしょっちゅう環境災害に見舞われていますが、ウィグル・チベット族にとってはこの環境生態悪化のほかに、自分達の故郷や家庭のうえにおおいかぶさる政治的な恐怖感があります。軍政管理は北京のこの地に対する日常の統治手段となっているからです。
《絵に描いた餅の環境権と現実の環境災害》
白書の「環境の権利」の章にはこう書かれています。『2013年、中国は急速な発展に伴う生態環境問題に対し、全力で生態文明の建設を推進した。不断に健全な環境保護体制を建設し、環境管理と生態保護に力を増強し、国民の健康に悪影響を及ぼす目立った環境問題を解決し、環境汚染の違法行為を厳重に処罰し、人民の良好な環境権を保障した』とあります。
しかし、苛酷な環境災害はまさに中国人が毎日、自分の目鼻や身体で体験しています。国家環境保護局が毎年出している控えめの数字の環境状況公報でも、すでに海(湖、川)、陸、空の”立体化汚染”はわかります。白書は例の如くこの汚染の源は誰が作ったのかということには触れません。ただ政府がそれを解決した功績だけを述べます。たとえば「中国は高速発展の環境と生態問題に対応」というのがありますが、この「中国」というのは当然のことながら中国政府の事です
しかし、ではこの「高速発展」は誰が推進したのか?とりわけ、環境を犠牲にした経済発展計画と高度の汚染プロジェクトを許可し、監督主体は誰なのでしょうか?白書は全然ふれていませんが、すべての中国人はこれが中央から地方政府に至る各レベルの共産党政府だと言う事を知っています。つまり、環境を汚染した違法な犯罪の主体は政府そのものなのです。「国民の健康を悪化させた突出下環境問題」というのは、実は政府と汚染企業が共謀してつくりあげたものなのです。
《環境保護の成功って何よ?》
白書は「政府は環境保護面で多くの成果をあげた」としています。白書は「国家環境保護基準は135項目発布され、現在有効な国家環境基準は1499項目ある」とのべています。しかし環境保護基準を達成するには法律の拘束力が必要です。環境保護基準の制定による”成功”などをならべたてるより、中国環境保護部門の立法が多すぎる事を宣伝したほうがマシということなんでしょう。2006年、各級の政府の環境保護立法は当時でも1600以上あり、中国のさまざまな部門の役所でトップでした。ただこれらの法律の大部分は中味がなく、環境局に昇格前の環境署だった時代に、副局長だった潘岳自身が何度も「我国の環境立法は多いが役に立つのは少ない」といい、この名言はのちに「各省中に最多の法律があるが役立つのは多く無い」にアップグレードしました。
中国では環境保護の重点は法律の多さではなく「使える」かどうかなのです。そのキーポイントは政府の管理部門と環境汚染の主体が共謀する利益の接点を断ち切ることでした。しかし、役人の成績査定と予算の体系が二大要素と成って中国の汚染企業は容易に地方政府と共犯関係を結ぶことができたのです。これは以前「中国環境汚染の共犯関係」で話しましたがまず、地方級の党のトップの出世の成績査定体系と関連しています。それは必然的に経済発展(GDP加速)と環境保護では当然、経済発展がまず考慮されます。それが官僚の成績にかかわるからで、GDP成長率を上げさえすれば自分が出世出来る機会も増えるのです。
しかし環境基礎設備と投資はそうではありません。GDP成長に結びつきませんから、役人にとってなんの利益にもなりませんし、逆にマイナスでさえあります。次に基層環境保護行政は汚染企業から上前をはねる寄生的組織に成り下がっています。多くの地方では汚染企業は当局政府の「トップダウン事業」で、トップの意思によって環境保護制度は骨抜きにされるばかりか、いいかげんなものになりさがっており、監督役所の基層部分はとっくに、「罰金を徴収してそれでメシを食う」「喰う為にメシのタネを捜す」ありさまでした。
学問的に言えば「監督者と被監督者が共犯関係を構成するにいたった」とでも言えましょう。習近平、李克强とてこうした実状を知らないわけではなく、今年の人民代表大会では政府命令で役人の考査体系を変革すべきだといいましたが、積年の病弊が一片の文書で改まったりはしません。今年にはいって広東などで爆発してる数件の環境保護事件は、そうした汚染企業を止める事がいかに困難かを物語っています。
白書がいうもう一つの”成功”は612カ所のPM2.5の監視地点設置の話です。もしこれが中国人の環境を知る権利を高めたというならなるほど”成功”といってもいいでしょう。なぜなら2012年に潘石屹が米国駐中国大使館の空気測定器のデータをネット転載したときに、中国外務省は抗議し、これは米国の中国内政干渉だと言ったのですから。いまでは中国政府はやっと国民に自分達がどんな空気を吸っているか知らせる事にしたわけですからね。
《チベット・ウィグル族の絵に描いたモチの権利と現実の悲壮な反抗》
漢族の人々は共通した信仰はありません。儒家の説は五四運動のときに歴史の屑篭に捨てられました。孔子の直系称号を持つ子孫は1949年に台湾へ行ってしまい今の漢族の失うももといえば物質的意味での郷土・家庭です。しかしチベットと新疆ウィグル族は自分達の二重の喪失(侵略にさらされ、文化を絶滅されようとしている)に対して訴え、反抗しているのです。
チベットも新疆も北京当局のすさまじい政治的弾圧を受けていますので、それに対する反対の訴えは国外でしかわかりません。その訴えと北京の白書の言う「少数民族は権利を獲得した」成功とは地獄と天国の差があります。自らの生存状態を訴える声と、その上にたつ統治者のほこる『実績』がこれだけ分裂していれば、どんな愚かな人でもこのふたつの間に深刻な矛盾が水火相容れないほど深刻なものだとわかりますでしょ。
チベットと新疆ウィグルの「穏定」問題がどうであるかはたしかに北京の頭痛のタネです。国際社会とこの地区の漢族に北京がいかにこの土地に関心を寄せ守ろうとしているか、政府は専門担当班を作って別の白書をつくっています。それが「チベット自治区の人権事業の新たな発展」(1998年初版、2006年人民ネットで重版)、「チベットの発展と進歩」白書(2013年10月)です。
この2つの白書のなかで、1959年以前の「旧チベット」は「中世的封建農奴制」があり、「人民派中世の時代で、その政治、宗教でも彼らは厳しい懲罰を受け、マジナイを信じ、ラマ転生を信じ烈火の油の中のような苦しみを受けて」いて日常の暮らしもまたその例外ではなかった」と書いており、中共が例の如く「人民を地獄の苦しみから救出し、現代的生活を与えた解放者」の役割を演じた、としています。
「新疆の歴史と発展の白書」(2010)も似た様なモノですがチベットのような農奴制がなかったため、領土主権と東トルキスタン問題の由来、教育や科学技術、人民の生活と科学水準の進歩などで中味を増量しています。
問題は北京がいかに恣意的に歴史を改竄し、チベット族やウィグル族の暮らしが幸福で有ることを文章で飾り立てても、以下の様な事実は覆い隠し様もないものです。2009年2月からはじまってチベットでは焼身自殺の連鎖が2013年12月まですでにラマ僧侶、尼僧や農民まで少なくとも129人が報道されています。チベットの作家・唯色女史は「近代市場最も偉大で惨烈な政治的抗議の波、と言いました。
新疆ウィグル族の去年からの幾たびにものぼる爆破事件は、「テロ」などと呼ばれていますが、目を開けて事態を直視しようとする人なら誰でもわかるように、これはウィグル人が中共の統治に対するギリギリの追いつめられた反抗なのです。北京はチベット族はなぜ「遅れた政教一致の制度」のほうがマシだと思うのか、中共の「社会主義の暖かい光り」の元にきたがらないのかを説明するすべがありません。新疆の「刀や包丁などを使う」「テロリスト」がなぜ近代火器フル装備の軍警察に歯向かうのか、あきらかに死ぬのを覚悟で、しかもテロリストのレッテルを貼られるのがわかっていてそれでも「テロ攻撃」をするのか、説明できないのです。
文字で書かれたでたらめな言葉では血で描かれた事実を覆い隠す事はできません。「人権白書」がどのように中国人とチベット・ウィグル人の暮らしを美しく描き出そうとしても事実は彼らは家や郷土を失う痛みを体験しつつ有るのです。中共が政権を奪取する以前は、どのように支配王朝が変わっても、大自然はそのままで社会を再建する資源がありましたから中国人は廃墟の上にふたたび、家庭をまたつくることができました。
いまは汚れた水、有毒のスモッグと、深刻に汚染された土地に対して、よしんば中共が歴史の舞台から退いたとしても、中国人にはもう「最初からやりなおす」ことすらできないのです。(終)
拙訳御免。
原文は;何清涟:中国人正在失去家园 – 《2013年中国人权白皮书》解读(2) http://www.voachinese.com/content/he-qing-lian-20140531/1926914.html
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