何清漣
2014年06月15日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
http://twishort.com/QYAfc
習近平・李克强執政以来、政治的な管理強化は胡錦濤・温家宝時代よりはるかに厳しくなっています。しかしまだ1年も経っていないから、ということでその経済上の考察は多くありません。最近、経済方面で習近平と李克强は胡錦濤らに遠く及ばないと語っている番組をみました。その1人は「温家宝は農業税を減免し、農民は喜んだが、習体制では最低生活保障ですら上がらず、自分の周囲の人は「醒めている」と発言しました。
胡・温体制への幻想が消えたのはその執政10年の末期でした。習・李体制は二年足らずで、「明君登場への期待感」が薄れた現象の背後には、一般庶民の権利意識が高まったというより、「カネで安定を買う」ためのモト不足といえましょう。しかしそういってしまっては彼らが政権をひきついたときの「米びつの中味」の具合を全然考慮していないわけですから単純化しすぎでしょう。
《胡温と習李では引き継いだ米びつが違う》
胡・温時代は「お金で安定を買う」は「治安の良薬」でしたし、地方官僚にいたるまで「人民元で解決できる矛盾が『人民内部の矛盾』である」と言っていました。安定をお金で購うには資源が必要ですから、そうしたということは胡・温が政権を受け継いだときは「米びつ」は豊富でしたし、大量の起債がおこなわれました。しかし2012年の政権交代時期にはこの「豊かなる資源」はあちこちで破綻の様相がみられました。
《一番分かり易い”米びつ”は財政収入と政府債務》
胡・温が政権を引き継いだ時、中国政府は最も豊かな時代に突入していました。「中国財政事業の栄光60年」(2009)によると江沢民・朱鎔基時代から1999年まで、政府の財政収入には兆の大台を超え1兆0315億元。2003年は胡・温が政権を引き継いだ初年で政府の財政収入は2兆元、2008年は6.13兆元、2012年は11.72兆元に達し、十年の間国家財政収入は2兆から11.72兆まで跳ね上がり、国家財政はチョー豊か、だったのです。
しかし、国家の債務総額の規模も跳ね上がりました。総規模は6153.53億元(「中国歴年国家財務債務発行状況統計)。2013年3月、中国政府が正式に交代。同年5月13日、リヨン証券が出したレポートでは中国の債務総額規模は107兆で、データはこの債務の半分以上は2009年以後の4年間に増えたもので、その規模はGDPの110%だとし、その大部分がシャドーバンクと債権で危機に瀕していると指摘しました。
このレポートは中国のGDPの急速な成長は実は大量の起債によって支えられていた事を明らかにしています。6100億から107兆というのはまさに巨大な増加というべきですが、借りたのは誰でしょう?当然銀行です。
2010年、全国人民代表大会財経委副主任の暁霊曽ははっきり「過去30年、我々は通貨の超過発行によって経済の高速成長を推進してきた」と述べています。中国中央銀行の通貨供給量は2009年以来、日本、米国、欧州を追い越し世界最大の「紙幣印刷機」になり、2012年、全世界の新通貨発行量26兆人民元のうち中国が半分を占めました。21世紀ネットは一人当たり収入の差を修正後、中国経済の貨幣化の程度では世界有数になったことを発見しました。
習・李が政権をひきついだときはGDP総額は世界第二と称しましたが、しかし巨大な債務の泥沼にはまり込み、ハイパーインフレの危険に直面し、この通貨発行量超過による起債に頼る経済発展ルートの変更を努力しましたが、すでにできなくなっていました。
《胡・温の十年;「世界の工場」の栄光からの転落》
中国は2001年にWTOに加入し、胡・温政権発足の2003年には玩具、紡績、靴製造の三大業界は世界の5〜6割、その他の段ボール、医療、電子産品業も4割以上の市場占有率を誇りました。2007年になって中国製造の玩具が鉛を含んでいる事件で欧米市場がパニックを起こし、返品の山になるさわぎで「メイドインチャイナ」は質の悪い商品の代名詞になり、「世界の工場」は凋落の過程に入りました。
このあと数年で中国の土地価格、物流資本、労働コストの漸増で2008年には外資は撤退を開始し、次第に撤退への流れがうまれました。外資はずっと中国経済を牽引する3頭の馬(外資、投資、内需)のうちの一匹でした。外資撤退が漸増し、2010年になると中国の政府系メディアや学者もかって中国経済成長を牽引した三匹の馬はどれも”死んだ火”になったことを認めざるを得ませんでした。かって2000年から2010年を中国経済の黄金の十年と評したひともいました。
私はかつて「黄金の十年の経済遺産」という一文で中国は「相対的な優位性」を失ったことが外資流出をまねき、黄金の十年はまさに中国と言う世界の工場の盛衰の歴史の証人となった、と書きました。習・李が政権交代したとき、中国と言うこの「世界の工場」はすでに落日の夕焼けを迎えており、新しい経済成長点を求めるのは大変困難になっていました。
《目先の利益をむさぼり先のことを考えない環境生態・資源の対外高度依存》
江・朱の残した環境的な財産を容易でないと総括できました、しかし胡・温がそれを引き継いだときには中国の生態環境はすでに相当深刻な破壊を蒙っていました。「中国緑色経済見積もり研究報告2004」は中国で初のGDP見積もり研究報告ですが、それは環境汚染損失のコストを20項目以上あてていますが、計算しているのはそのうち10項目だけで地下水汚染や土壌汚染など重要部分は計算していません。そして計算した10項目の損失ですら低く見積もり過ぎの問題があります。しかしながら、それでも環境の損失はすでにGDPの3.5%と計算されています。
2006年、地下水汚染の生み出す損害を計算にいれてからは中国政府が発表したGDPに対する損害は約10%にもなりました。今年、国土資源部の発表した中国の重金属汚染3億ムーは全国の耕地面積の6分の1にもなりますがこのデータは実は2007年の第二次全国土地調査で得られたもので、ずっと「国家重大機密」として公表されませんでした。これらは当然、胡温時代につくられたものではありません。中には改革開放以来の発展の「代償」もあります。
しかし確実に言えることは胡・温時代に環境生態は悪化し続けたということです。習近平への権力交代の時期にすでに悪性スモッグは全国的な大問題となっていましたが、このとき初めて中国政府は「空陸海一体立体化汚染」を認めました。胡・温の第二期任期では中国は海外資源に高度に依存する国になっていました。石油から天然ガス、鉄、銅、石炭、食料もふくめて大幅に輸入しなければ成らず、一部の資源輸入は6割以上にもなりました。
《集団騒擾事件は十年で激増》
農民にとっては温家宝の農業税廃止は徳政でしたが、地方政府は別の財源を見つけました。土地収入です。これ以後不動産業が中国の経済発展のトップ産業になると、土地と利上げが地方政府の「主要な仕事」になりました。その直接の結果が社会の反抗の頻発です。2003年胡・温政権初年には5万8千だったのが次第に上昇し2005年には8.7万、2007には10万を越え、2008年以後、政府は具体的な数字を公表しなくなりました。清華大学の孫立平教授によると少なくとも2010年は18万、以後数年の推計は20万を越えています。社会反抗の頻発は中国の治安維持費を猛烈に増やしました。2011年後の3年、「公安安全支出」は軍事費を圧しており、習・李はこの勢いを変えられないでいます。今年の中国財政部のだした「2013年中央と地方予算執行状況と2014年中央と地方の予算案報告」によると今年度に公共安全支出は2050.65億人民元で6.1%の増加、となっています。
《時限爆弾のロシアンルーレット》
もし中共の第四世代から第五世代に交代時の資産貸借表をつくったなら、「米びつ」はもっと多くの項目があがるでしょう。上記4項目はその中心だといえます。「ローマは一日にしてならず」といいますが、別の角度から見ると一国の衰退は短い期間に起きるのではない、ということもいえます。以上のデータと事実が説明するように環境生態の悪化は80年代に「まず汚染してもあとできれいにするからオッケー」という発展の路線をのぞいて、その他の経済社会問題の深刻化はおもに胡・温体制の十年に発生しています。この点は社会底辺層の人達以外は見識のある人はみなはっきり理解しています。
2011年6月、「革命第二世代」の張木生(*父は周恩来の秘書、学者、専門職官僚)はインタビューをうけ、胡温の「不作為」を「時限爆弾をかかえたロシアンルーレット。いつどこで爆発するかわからない」と言ったのは確かに根拠あり、なのです。(インタビュー;http://baike.baidu.com/subview/5187937/6732252.htm)
明朝が衰亡する過程を顧みて歴史家は「明は(*中興期といわれる)万歴(*1573年 – 1620年7月)に亡ぶ」(明史)と指摘しています。今後「中華人民共和国史」を書く史家はどんな結論を出すでしょう?(終)
拙訳御免。
原文の 何清涟: “明君期盼递减”现象的背后 は http://www.voachinese.com/content/he-qinglian-20140614/1936906.html に
何清漣さんの他の文章の日訳は;http://yangl3.sg-host.com/japanese/