何清漣
2014年7月7日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
http://twishort.com/4jMfc
習近平と王岐山による強力な反腐敗摘発の成果は赫赫たるもので、現在までに30以上の省・部級(地方長官・大臣級)の高級官僚が失脚しました。これは胡錦濤・温家宝の10年の政権担当期の数を超えています。しかしこの摘発が直面する困難もまたこれまでのものとは遥かに違って大きななものです。なぜ腐敗摘発がこのように色々重層的な世論の反発を買うのでしょうか?
様々な”世論の圧力”には既得権益集団の集団的抵抗や国内外の懐疑的な見方、さらに民間からの冷淡な視線があります。その中でも最もよくみかけるのは「習近平の腐敗摘発は最後には政権を危うくするものだ」というのです。このような見方は既得権益利権集団のみならず、外国メディアや国内の各階層にもみられます。
既得権益集団なら当然理解できます。摘発には突破口が必要で腐敗の酷い順番からいえばエネルギー、電力、金融がトップなのですから。改革開放の40年近い間に中国政府はずっと資源分配の権限を一手に維持してきて、いまやほとんど完全に貴族高層の仕切る家業となっています。かれらは自分の”領地”に国家と個人一家の一体化した利益システムをつくりあげました。とりわけ電力、石油、金融などの独占領域では既得権益層家族が上から下まで好き勝手に荒稼ぎして、この分野は「大きい虎達」が身を隠すジャングルです。これらの大きな分野は国民生活にとってもみな大変重要で、当然まっさきに腐敗摘発の対象です。
もし習近平、王岐山が「政敵攻撃の為に反腐敗を利用している」とうけとられる事を怖れこれを避けるならば今よりもっと「大物には手を出さないで、やりやすい下っ端ばかりやっつけてる」といった批判を浴びる事でしょう。それでは最初から「反腐敗」などやる必要もありません。つぎに政権を掌握したら必ず「反腐敗」をやらなければならないのです。専制国家の統治者がもし軍隊、警察、国家安全系統の指揮を前任者が決めたままにしておいたなら、それはただの傀儡政権でしかありえないのです。
周永康は官僚として石油、警察分野を渡り歩き薄熙来の支持者で仲間であり、かつ石油エネルギー系統をコントロールしており、その一家は特権的な政治ビジネスとして現地の司法をも左右し、報道によると千億以上の荒稼ぎをしたといわれます。ですから当然、査問査察の対象になるわけで、もしこれを「政敵の打倒に権力を利用した」といわれるのを怖れてこうしたターゲットに手をださないとなれば、それは政治的低能無能というべきでしょう。
一方、政権に異議申し立てする護憲派人士たちのなかにも多くの人が習近平の反腐敗に否定的姿勢をとっています。それは「中共の延命に寄与するだけで、もっとわるくなる。ほっておけば中共の滅亡ははやいだろうに」という気持ちです。これは当然、習近平が民間の力に対して強力な弾圧でいどんだことで、言論メディアへの締め付けも胡錦濤時期よりはるかに惨く、一切の民間パワーを扼殺してしまったせいです。
でも、政権が崩壊する原因と言うのは様々です。腐敗だけで政権が崩壊するというわけではありません。他の要素がいまだに備わってない条件のもとで腐敗は中国社会をさらに腐らせてダメにしてしまうことだってあるのです。潰れそうでつぶれないといった状態の中国で生きて行くのはとても辛いことでしょう。
もし中国が将来、幸いにして民主化されたとしても、腐敗はすでに民族性の一部分となっていますから、この腐った重い遺産は民主化の過程を歩に際して大変しんどいものになりかねないのです。永年中国を研究して来たものとしていくつかの重大な問題をあげましょう。
《「反腐敗」は政権の安全に危険を及ぼすか?》
腐敗と公権力が共謀状態になったなら、いかなる正常な国家でも腐敗摘発は自国の欠くべからざる政治の役割となります。政権の正常運営の為に「どうすれば腐敗をなくせるか?」は当然議論のテーマとなるはずです。しかし中国においては、腐敗はもう骨絡みに全身の隅々まではびこっていますので、例えば腐敗を摘発すべき裁判官、検察官、弁護士の司法共同体も、人材を育て文明の薪火を供すべき教育システムもどちらも深刻に汚染されています。
最近の「腐敗を許すべき論」が堂々と共産党のメディア上に3度も登場しているということがまさに腐敗の毒はすでにこの大地に深くしみ込んでいることの証明でしょう。だからこそ「腐敗摘発は政権の安全を脅かす」などという馬鹿げた話がテーマになるのです。中国政府は公共サービスには方向性がなく、役人が悪いことをして銭をかせぐのには道をひらき、民衆を敵視していることは、とっくにその施政で証明しています。「祖国統一維持」とか「国土防衛」とかをふくめて、ある種の”外敵”をでっちあげなければ自分達の政権の合法性がもうきわめて疑わしいのです。
中国をビルに譬えれば、それを守るべき政府の役人は凶悪なシロアリのようなものなのです。彼らはマンションの柱(政府(を喰い荒らし、窓枠やドア(企業、NGO等の社会組織)もほとんど食い尽くされて、いま、ビルの最高管理者が腐った柱を壊そうとしたら、すぐ誰かがあらわれてたちふさがり「そんなことをしたらビルがつぶれる」と言い出すのです。
そんな話ってあるでしょうか?かんがえてもみてください。もう粉になるまでに柱が喰い荒らされていて、それで大きなビルを支えられますか?そこに住む人は安全なのでしょうか?柱を数本変えようとしただけで崩れるぼろぼろのビルなんかをそのままにして何になるというのでしょう? さっさと新しいビルを建てた方がいいわけです。それも、腐敗当事者が「反腐敗は政権の危機を招く」などと脅迫言辞をつらねるのなら、王岐山たちだってなんとか理解できましょうが、全然利益に関係ない人がこういう心配をするというのはまったく理解に苦しむ話です。
《反腐敗の短期と長期の作用について》
反腐敗の主体というのは民主国家、例えば米国では法律に則って最終解決されますがその途中ではメディア、民衆、NGO等みな参加できますし、腐敗との関連が本当でなくても別に言あげした人々が追求されたりしません。しかし中国ではこの問題は今でも複雑怪奇です。というのは中国の司法リソースはとっくに司法利益共同体(裁判官、検察、弁護士)の銭儲けの道具の腐敗の極みなのです。ですから党と国家が一体の中共は紀律委員会の手を借りて事件を扱うしかありません。
これまでは誰も中央紀律委員会の職能に疑問をもちませんでした。その理由は中紀委がたいした力もなかったからです。しかし今は違います。習近平の信任と必要性、王岐山の個人的能力、ファイト、識見によって以前にはなかった強力な”殺傷力”を持つ様になりました。中紀委の巡視班は過去一年で何度も巡察にでむき、おおくの状況を調べ大変な反腐敗の戦績をあげました。同時に多くの利益団体を傷つけたから、おおいに批判も受けました。ある人はこれは歴代王朝の「皇帝直属スパイ組織」だとかやり玉にあげられた腐敗官僚の人権が傷つけられた、などといいます。本当に人々に被害をあたえている国家機関については全然こうした批判はみられないのですけどね。
毛沢東派の面々は「文革」時のような群衆レベルの「反腐敗」を期待しています。もしそんなことになったらとんだ先祖帰り現象で、今の半文明状態からまたもやジャングル時代に戻ってしまいます。群衆が腐敗を訴える事自体は当然正しいことですから、中国政府は勇気有る腐敗通報者にたいして往々にして圧力をかけるようなまねをやめて、米国のように腐敗通報者を追求したりしない制度をつくるべきです。しかし、もし群衆が反腐敗の主体になるとなるとこれは制御するのはきわめて難しいでしょうし、最後は現代版の「土豪打倒」運動のようなものになってしまうことでしょう。阿Q正伝の最後にでてくるあの”革命”のように無頼漢が近所の尼寺を襲って仏前の香炉を盗んで「革命成功!」するみたいな光景は決して小説の中だけにあるのではないのです。
中国の反腐敗が成功する為には二段階必要でしょう。
一つは腐敗の在庫整理、です。つまりすでに発生した腐敗を糾す事。これは中紀委がいまやってることです。わたしの考えでは中国の司法システムがめちゃめちゃ腐敗して行政権力が限りなく強い状況下では、中紀委のやりかたはアリだとおもいます。次に、新しい腐敗の発生をふせぐことです。これは現在の「やる気のあるやつが政治をやればやり、その人がいなくなれば止む」式のやりかたではできません。中国の腐敗は制度的な腐敗で制度を建設する必要があります。
現在の共産党が自分で自分を監督する体制を放棄し、別の組織に監督させる、つまり社会による監督です。これには政治体制の改革が必要で、他の政治力の存在を許し、メディアを自由化しなければなりません。政治改革がなければ腐敗は強力な取締の下でしばらくおとなしくしているでしょうが、かならずやよみがえるでしょう。そのときはさらに悪辣な形で出現し、それに反対する者に対してきわめて大きな政治的威嚇を伴うことでしょう。
《腐敗摘発のボトルネック;身分による区分け》
習近平の反腐敗の真のボトルネックはその規模にあるのではなく、目標を既得権益層の最大の受益者グループである太子党にまで広げるかどうか、にあります。現在、習近平はすでに江沢民の時代につくられた「最高トップの中共常務委員は何をしてもどんな罰もうけない」という潜在規則を破りました。しかし現在までに失脚した汚職役人には中共の元老の子供や孫の紅色家族メンバーはひとりもいません。このような反腐敗の身分的分別は現在進行中の摘発の信用に影響を及ぼします。成果があがっても却って民衆は信用しないでしょう。紅色家族の腐敗に逃げ場を開いておくならば、その腐敗のしめす力は限りなく、役所の腐敗はなくなりません。
私は国のためだろうが中共自身のためだろうが、天下の民草のためだろうが、現在の段階の反腐敗はやるべきことだし、もっと力をいれてやるべきである、とおもっています。それがいかに大変なことはかわかっていますが、そして第二段階の政治改革までやるというのはほとんど不可能だとも承知しています。
しかしそれでも私はこの文章をかいてみたかったのです。それはこの国の未来に対するほんの小さな希望として。(終)
拙速御免
原文は;点评中国:北京反腐的影响及其“瓶颈”http://www.bbc.co.uk/zhongwen/simp/focus_on_china/2014/07/140707_cr_beijing_corruption.shtml