何清漣
2014年8月3日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
http://twishort.com/iyYfc
北京の周永康を標的とする政治粛正は官僚世界に巨大な圧力となって役人達を震え上がらせる一方、民間にも不満を引き起こしています。別に「治安の帝王」(*警察関係を握っていた周永康)が粛正されたからでは無論なくて、習近平が権力の座を引き継いでから民間の護憲運動や政権批判に容赦ない弾圧を加えていることに対してです。多くの人は中国にも習近平の個人独裁が出現するのではないかと心配していますが、理由のない事ではありません。
《政治粛正は社会主義の宿命》
社会主義陣営が景気がよかった頃、こうした国家の政治家達はとっくに政治的粛正が社会主義国の政治的宿命だとわかっていました。党と国家機構のこうした一体化体制は必然的に統治集団内部での最大級の権力集中が必要で、つまり全ての権力が少数、時には独りの中心人物の手中に集中し、それは不断の内部粛正に依って障碍を排除しなければ生まれないからです。
スターリン、毛沢東統治下のソ連と中共は各種の「陰謀集団を粉砕」することはほとんど政治の常態でした。鄧小平は毛沢東の独裁の害悪をみて個人独裁を少数寡頭独裁に変えましたが内部粛正はやはり絶えず行われてきました。胡錦濤政権後期に起きた権力交代の危機をみて習近平は着任後すぐ各種の権力集中式の指導小組をつくり自らその長に就任してこれまでの集団指導を個人専断に変えようとしました。
この度の『腐敗撲滅』の本当の目標もここにあります。民間では「治安の帝王」・周永康が失脚したのに「治安維持体制(維穏)」は依然として続いており、より残酷なものになっていることに不満があります。こうした不満は周永康が倒れたのだから周のつくった体制も否定されるべきだという考え方があるからです。
こうした考え方は習近平が周永康を打倒した目的を誤解しています。ネット上の「史記・周永康列伝」がこうした考え方をしています。それは周の真の罪はふたつあって、ひとつは薄熙来の重慶モデルを支持した事ですでに財新ネットにもでています。二つ目は2012年3月19日にクーデター未遂を起こしたこと。これはずっと海外メディアでは話題になっていました。周永康は去年12月1日勾留され、香港の亞州周刊2月13日の「周永康墜落の内情」のなかでこれについて述べており、以後、周永康は武装警察の指揮権を剥奪されました。
政治粛正ということは今後更に政治局以上に波及するかどうかはすべて政治の必要性によって決まってきます。この政治的必要性とは習近平個人が全て必要な軍、警(警察、武装警察も含む)、特(*特務;国家安全部局、諜報機関や秘密警察の類い)の三権をしっかりと自らの手中に握らなければなりません。
現在警察権はすでに掌握しました。軍はいま実権を握る過程にあります。残るは更に複雑な特務部門の「国家安全部局」の系統で(*周永康のボス・曽慶紅が握っていた。習近平が特に香港の国家安全局を掌握するかどうかが注目されている。)これに対する「政治的必要性」は周永康の罪名に何が含まれるかが大きな問題になります。
国内メディアによると切り口は3つあって一つは腐敗。発表された数字では家族財産は1000億とか。二つ目は妻殺し謀議。消息筋によると自動車事故を謀った二名の武警運転手はすでに逮捕されているとかで固い容疑のようです。三番目が薄熙来との関係です。この三つのうち最初の二つだけなら主要な政治目標は既に達成されたといえるので最高レベルに向けての腐敗撲滅は一応暫時、一段落ということになります。しかし薄熙来事件のこともでてくるようであれば、かって薄熙来を支持した者は多く、その中で本当に支持した者達はその程度に従って”代価”を払わせられるでしょう。
ただ薄熙来事件判決のときに公開された罪名は薄だけに限った腐敗と妻殺害で範囲も、数字もきわめて小さいものでした。重慶モデルの事は出ませんでした。もし周永康の罪名にこれが含まれるとなると、高層に対してだけでなく中下層の役人に対しても悪い知らせです。彼らの中の多くが自分も他人の巻き添えをくってしまうからです。(「人民論壇」今年7月22日のアンケート「役人になって何が最も心配」を参照)
▼習とアンドロポフの粛正▼
政治粛正といえばすぐスターリンの大粛正や毛沢東の「文革」を思い起こします。一部の外国メディアは現在北京の腐敗撲滅を「文革」にたとえています。しかし習近平の粛正は毛と同じではありません。
むしろ似ているのはソ連のアンドロポフの腐敗撲滅です。アンドロポフの腐敗撲滅は1982年11月から1983年にかけて実行され400日ちょっとの間に党中央、政府部長(大臣級)、州党委書記長以上の高級幹部が汚職で90人以上検挙され中には内務大臣や副大臣、ブレジネフの娘婿もいました。150州の指導者のうち47人が懐妊されました。習近平の腐敗撲滅によって失脚した役人の数と階級を比べると実はこちらは遥かに少なく、600日以上で37人にすぎません。
アンドロポフはその汚職撲滅によってかつてソ連人にピーター大帝のような「明君」とみられました。しかし習近平の腐敗撲滅は中共が支配していないメディア上では少なからぬ懐疑と批判を引き起こし、政治危機をおこすのではないかとの懸念やさらには「これは人民とは無関係なこと」と思われています。その原因はアンドロポフが反腐敗をしたときはまだ中共の様な激烈な内部権力闘争が無かったのと、異議申し立て人士からの強い批判がなく、ソ連内部の民族危機も今の中国とはまるで違っていたからです。
ア氏は1967年5月からGPU(秘密警察)のボスでしたしその長期15年にわたる指導下でKGBは大量の精神病院を接収して、証拠無しの裁判を行い、恣意的に多くの人々を牢に収容できました。理由は「こいつは頭が狂っている、社会改革症だ」「道徳説教癖がある」「自己評価が高すぎる」でオッケーでした。意見の異なる相手には「まず王様を捕まえる」から大規模逮捕、徒刑、国外追放よりもリーダー格を厳しく処分し例えば、暗殺や買収、追放、精神病院送りなどで処理すれば残りはおのずからつぶれてだまる、というわけです。
中国ではこの十年来、国家安全部門が日々社会性時生活に浸透してきているとはいえKBGほど強力ではありません。ましてや、ソ連は鉄のカーテンで今日の中国政府の様に国際社会の様々な指弾をうけなくてすんだのです。ですから習近平の腐敗撲滅は同時にまず必ず腐敗撲滅への服従は権力闘争の必要に応じて目標を決め、次にアンドロポフに倣い18回大会以後、中共の言論統制、ネット統制、異議人士に対する弾圧はどれもみな胡錦濤時代よりはるかに厳しくなりました。
一部には習近平が内部権力闘争を終えたらやり方を修正することに望みをかける向きもありますが、政治的反対派は既に厳冬到来を感じて絶望しています。注意に値するのはロシア人が政治的粛正を受けた人々を記念するのは1937-1938の大粛正の被害者であって、アンドロポフ時代の政治粛正の対象者は入っていません。プーチンも2007の大粛正記念行事の席上で「我々はすべて当時のこの悲劇を記憶しなければならぬ。しかし悲劇そのものではなく記念が必要な理由をである。なぜなら我々は国家の発展とさらに有効な発展の道への政治上の討論は必要であり、大討論、意見の交換、闘争は必要であるしかし、それは建設的なものでなくてはならず、破壊的なものであってはならない」といいました。ア氏の腐敗撲滅は明らかにブーチンの目には”必要”と映っているのです。
一部の海外メディアは、”文革”への理解不足の為に習近平の腐敗撲滅が”文革”の再現ではないかと心配する向きもあります。しかしわたしは何時の日か中共の政治運動受難者を記念するような日があっても習近平時代の腐敗撲滅でやられた官僚はその中には入らないとおもいます。
アンドロポフ第一書記時代にあった”警察革命”は腐敗官僚の手中から権力を奪回して陰謀奇計にたけた秘密警察の手に権力を移行するだけのものであって、底辺の民衆に対してはその管制の手を緩めたのではありません。この秘密警察統治は形のない壁がソ連人民の心の中で、そびえ立つ様に圧迫しつづける鉄条網よりベルリンの壁よりさらに重い壁でした。人々の自由への期待は抹殺されました。個人の尊厳、生きる権利はすべてこの壁の影に覆われたのです。そして生き残ったのは生きる事だけが唯一の目的となった生への欲望でした。
習近平が直面する情勢ははるかにアンドロポフ時代より複雑です。国内政治関係、社会条件、人口、資源生態環境のどれもがア氏のソ連に及びません。さらに重要なことは彼は鄧小平とおなじで徹底的な政治的実用主義者だということです。つまり中共政治を維持することさえできればどんなことでも実行するでしょう。これこそ現在腐敗撲滅と政治的反対者にたいする弾圧をどちらにも偏らず両方しっかり行っている理由です。
現在の実状からみると習近平の今後の主要なねらいは治安安定(維穏)になるでしょう。つまり紅色の山々(*共産党初代がのこした旨味ある遺産をその二代目が享受する)のために。彼が本気に危機を感じたら、そして方針を変えた方がいいと感じた時のみ習近平は改変をおこなうでしょう。しかしその改変の方向は決して全世界で通用する人類共通の価値観を待ち望む人々の期待するようなものではないでしょう。(終)
拙訳御免 (* )は爺の蛇足注です。
何清漣氏の原文は;「北京政治清洗后的政局」http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-beijing-20140803/1970739.html