何清漣
2014年10月26日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
http://twishort.com/DFJgc
中共の中共18期中央員会第4回全体会議(四中全会)が幕を閉じ為政者の目指す将来の青写真は「法による治国」だということです。私は誰かが前に分析していた「以前、習近平が口にしていた『憲法による治国」を飲み下した」という話を思い出しました。この文ではこのふたつに何か違いがあるのかを考察してみます。私は真剣に関連文献に目を通して見つけたのは4中全会は自分が以前にした「習近平の統治は『毛沢東式の鉄腕主義に鄧小平の紅色貴族資本主義をプラスしたもの」という判断が正しかった、ということです。
《毛沢東鉄腕主義から「毛沢東型鉄腕主義」へ》
これは説明が要りますね。この二者の違いは前に言った「毛沢東式鉄腕」は「朕は国家なり」で領袖の言葉は一切の上にたち、その「最高指示」は「聖旨」であり法律だということです。これに対して「毛式」はその政治的継承者が毛沢東のヒソミに倣って独裁専制の色合いをやや薄めたものです。「聖旨」を毎日、一般庶民が暗唱したりしないでいいんです。こうなった理由は「ご時勢なり」だからです。
この「時勢」の「時」はつまり中国もさすがに改革開放30年以上ということで、多少なりとも国際的政治潮流のなんたるやを知りましたからもう延安時代や文革時期のようにするわけにはいかず、多少は「文明的」な外ヅラをよくしないと北朝鮮みたいになってしまう、ということです。「時勢」の「勢」のほうは習近平は所詮は二代目ですから個人的な声望はとてもとても開国大皇帝の毛沢東には及びませんから、「なんでもやっちまう」とはいかず「法律」や「法によって国を治める」と言わざるをえないわけです。しかしその中身は「天地が異なるほど」であって中国の社会主義的特色をもった「法による治国」ですから、西側の法治とは名前は似ていますが中身はまったくちがうものです。
以下、今回の「法による治国」と憲政による治国のどこが違うのかを述べます。これは憲法の文字の意味を真剣に検討してみなければなりません。まあ”習帝”の「法による治国」に期待しておられる向きにはがっかりされるかもしれませんが真実を追求するにはいたしかたありません。私の解読結果は中共一党執政が存在する限り「憲法による治国」の結果は、今の「法による治国」になってしまうだけ、だということです。
《中国憲法は必然的にかくのごとき「法による治国」を生む》
四中全会は「法による治国」を強調し「総目標は中国的特色のある社会主義法治システム」の建設である」「憲法を核心とする中国特色のある社会主義法律体系」と強調しています。「中華人民共和国憲法」(2004)は新華ネット、人民ネットなど政府のサイト上にあり誰でも見られます。しかしほとんどの人がちゃんと細かく読んだことはないか、あるいは長大な序文を軽視しています。
約1800字からなる「憲法・序文」はまず毛沢東指導の中国人民の「建国の功」を述べ、続いて「中国各族の人民は中国共産党の指導下に引き続き…不断に社会主義の各項制度…社会主義の民主を発展させ、健全な社会主義法制をを完全にすべく」とありこの綱領があって憲法の規範となって「憲法第1章総綱」の第2条の「中華人民共和国の一切の権力は人民に属する」とあります。この人民の権力は必然的に人民の指導者たる中国共産党が手にし代行するのです。
私が「人民、その名においてどれほどの悪業が」http://urx.nu/dog3 で申し上げたとおり、「人民」というこの集合名詞はその実、個人の権利という意味は全くありません。誰でも中共を擁護支持すれば人民ですが擁護しようとしない者や、自分自身の権利のために戦おうとすると、すぐ「人民」の隊伍から追い出されてしまい、各種の『分子』になります。文革なら「反革命分子、階級敵対分子」、今なら「騒動挑発分子」です。
「人民」は必ず中共に指導されなければならないとするなら、では「憲法・総綱」第2条の規定にある「国家最高権力機関の全国人民代表大会」も当然、中共によって指導され、第三条は「国家行政機関、裁判機関、検察機関はみな人民代表大会によって生まれ、それにたいして責任を持ち、その監督を受ける」と規定しています。これによって憲法制定者の「天地返し」は完成し、立法、司法、行政の3権は最後には「人民」の名を使いながら全て共産党が掌握します。
「憲法・前文」は一言一句考え抜かれた用語で書かれており、憲法の綱領といえましょう。毛沢東の有名な「路線は綱、大綱さえはっきりすれば全体が解決する」という名言どおりです。ですから現在の習皇帝の「依法治国」に幻想を抱いている人は、「憲法」の中にある中国公民は言論の自由を享有する、という条項を覚えているだけで、この前文と総綱をしっかり読んでおらず、中共が「憲法」を制定するとき、自ら中共が3権を独占する「法的権利」を自分たちに与えたということをわかってないのです。四中全会が規定した「憲法を核心とした依法治国」とはすなわち西側の条文とおなじような文章を丸写しにしながら、すべての司法システムは共産党の手から、悟空が如来の掌から逃れるすべがないと同様なのです。
《「依法治国」の身分型から脱し得ない特徴》
中国の政治には表に出ない各種の潜在規則があります。反腐敗政策に関連して言えば、ひとつは「局(中共政治局)にいれば死せず、常(常務委員会)に入れば罪せず」です。二つ目は「反腐敗摘発のメスは紅二代目には触れない」です。この潜在規則は中国政治の身分型特徴をよく体現しています。
18期中央員会第4回全体会議の開かれる前、多くのメディアが周永康の処分が発表されるのでは、と予想しましたが結果は前政治局常務委の周永康の処分は以前謎のままです。ただ李东生、蒋洁敏、王永春、李春城ら6人の「平民」出身の省クラスの高級官僚が中共の党籍を剥奪されただけなことをみても、上述の潜在規則がビクともしてないことがまた証明されました。このような身分型の「依法治国」については「中国の「法治」史上の「外部勢力」の足跡」でも書きました。
中国の国家資本主義と共産貴族資本主義は互いに表裏をなしています。国家資本主義の特徴は政府が国民生活に関連するシロースを独占し自営し、大型国営企業を通じて大量に海外投資し、多くの共産貴族家族メンバーが職を得て大変簡単に「家と国が一体」にの金儲け体制が生まれます。一番簡単なのは結託して海外投資の中に個人の金をまぎれこませることで、財新ネットが今年1月3日に掲載した「中国石油のハルファヤ油田(イラク東南部)の暗渠」で非常に詳細にこうした国営企業がいかにはばかるところなく公私混同をして真昼間に強盗を働くのと大差ない行為かを解剖分析しています。中国の2万以上の企業の海外投資は9割以上が損を被っていますが、こうした損の多くは少なからぬ国営企業高級管理職連の私腹を肥やしています。こうした大型国営企業が直面する巨額の損害に政府は民間資本を導入させようとして拒絶されています。(http://yangl3.sg-host.com/2014/09/10/soe-reform-japanese-2/)
「依法告知」のアップグレード版といわれる今回の習近平の政策はどうやらこうした紅色貴族資本主義を継続して保護し強固にするためのものにおもえます。ただその保護の範囲をやや縮小し、胡錦濤時代の全面的で広範な腐敗の広がりと保護する範囲をややちょっと縮小させ、しかし絶対多数の紅色貴族子弟たちのシアワセな生活はしっかり保護する。つまり父母らが開国の功臣であったならば、また常務委員など歴任していれば「罪にならず」恩恵に預かって依然として富貴の身を楽しめるということです。
《「依法告知」のアップグレード版の未来図》
いわゆる未来は現実の延長上にあります。現実の「依法告治国」は周小平が良い例です。(*「五毛は中共の”文治”を映す鏡です」 http://urx.nu/dopo参照)周小平は最近、皇帝に謁見の栄誉を与えられました。しかしこの「光栄」も彼が嘘っぱちを書き連ねてきたという事実を覆い隠すことはできません。2013年に「元政府輿論評価の同業者」と名乗る人物が「周同志、善意で言うのだが「政府の仕事をするのは汚い仕事をしろということじゃないし、愛国を商売にするなよ」という文中、周小平が大量のデタラメな事実を書いてきたことを列挙しています。
周知のことですが、中国国家インターネット情報弁公室は数年前に関連法規をつくり、ネットで嘘を書いた者は罰せられることになっています。2013年9月9日に最高裁判所と最高検察庁も「ネット情報を利用して誹謗するなどに対して刑事事件の適用に関する若干の解釈」を公表しています。しかし、処罰を受けたのはいずれも政府の喜ばない情報を流した人々がネットデマを流したとされたばかりです。習近平の定義では「マイナスエネルギー」を伝えたということで周小平とは違う、というわけです。
周が流したのは「愛党のためのデマ」であってこれは天然の「正しいエネルギー」ということになり、「法によって罰せられ」ることは今に至るまでありません。どころかとんとん拍子に出世して共産党中央宣伝部が懸命に養成した「ネット作家」になって、最高指導者の「皇帝の若き親衛隊」となったのでした。
「人民を代表」し、立法、司法、行政を一身に集める執政党、“又杠又横的习大大”(10月25日NYタイムズの見出し (「又杠又横」は頑迷で乱暴な、の意味か)、それに加えて周小平のような「若き親衛隊」、そして「習近平新政」はあと8年続き、それは「毛式鉄腕プラス鄧式共産貴族資本主義、プラス『依法治国』です。問題はいまや21世紀のインターネットの時代にあって毛時代の社会環境ではありません。習近平が毛式の鉄腕をふるって国を治めようとしても、マルクスのかの名言のように「一切の歴史的事変や人物は二度現れる。一度は悲劇として、二度目は喜劇として」となるだけでしょう。
周小平は権力の鉄腕の保護をうけることで「触ってはならない」存在になったということは、中国が権力のせん妄状態と阿諛追従者の結合というデタラメな時代になったということをはっきりと示しています。(終わり)
何清漣氏 @HeQinglian: の原文は;中国“依法治国”的奥妙 http://www.voachinese.com/content/heqinglian-20141025/2496701.html にあります。
周小平についてはhttp://yangl3.sg-host.com/2014/10/20/internet-commentators-japanese/
何清漣氏のこれまでの論考拙訳は;http://yangl3.sg-host.com/japanese/ にあります。