何清漣
2014年12月27日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
http://twishort.com/tBohc
令計画(*息子がフェラーリで裸の女性2人を巻き添え事故死亡を契機に出世が止まった胡錦濤の懐刀)の失脚は習近平がとろ火であぶるように二年もの時間をかけて仕掛けてきた結果です。明らかにされた腐敗の事実から見れば、この一家は所詮は「革命紅色家族」の尻尾に付き従っていたような存在で、目立った時期もこの5、6年にすぎず、腐敗の金額もさほど「抜群にすごい」ともいえません。そのうえ令計画自身が18回大会の前に息子の事故でつまずいて(*飛ぶ鳥を落とす勢いの中共中央弁公庁主任から「統一戦線工作部長」に降格)本来着くと目されていた地位(中央委常務委入りも可能性はあったと言われる)につけなかったですし、今「副大臣級」といっても一種の閑職(*政治協商会議副主席兼務)ですから今更、かれを「大きな虎」扱いしてやっつけるという理由はなんなのでしょうか?習近平が帝位についてからの政治戦略の全般を分析すると、令計画をターゲットとしたその動きが大変はっきりします。
《令計画の罪はその握っていた『隠れた権力』》
習近平の政治攻略戦はそれまでの集団指導性を寡頭独裁政治、一人の専断でできるように変えることでした。いわゆる「小組政治」はその過渡的な手段にすぎません。これはこれまでにVOAで私は何度も述べてきました。この二年間の令計画の運命を分析はどれも息子の令谷のフェラーリ事故がその運命の分かれ道で、事故隠蔽のためにやむをえず周永康と手を結び、その道づれとなって罪に落ちたのだという見方をしています。
罗昌平の「令計画と秘書長の権力の場」だけが令の失脚の深い深層についてその原因を語っています。罗昌平のこの一文は中共政治の秘書現象の分析で、言葉は少なですが相当な詳しさで一読に値します。中でもその「秘書の権力」の来原についての分析は、近年他にもあるのですが、たとえば中共の中央事務総局主任というのはつまり中共のナンバーワンの大秘書で「その隠れた権力の大きさは中央政治局常務委員に匹敵する」とし「なぜなら秘書は権力行使者と権力者の関所にあたるところで、権力の核心に接近するには必ず通過しなければならない通り道として一種の隠れた権力を持つ」「半透明の政体においてはさらにおおきな行動の自由空間を持つ」とし「これが実際には法治に代わっての『隠れたルール』をおこない、「第二の秩序」を形成していく、と述べています。
罗昌平の一文はこれまでの令計画の情報の中での「特ダネ」ですが、ではなぜ彼は「最初の腐敗に関係したとされる中共中央事務局の主任」だったのか?それについても罗昌平はヒントをあたえています。つまり令計画は自分の影響力を利用して一種の「見えないが存在する秘書幇」を作り上げてたというのです。
「秘書の仕事の相手はやはり秘書同士。これが違った親分の元でも秘書同士ならネットワークが作れる。そうして一種の同盟や、ときには『村』まで作れるのだ」「たとえば、鉄道ボスの劉志軍の相棒の丁書苗は2010年始め(1月30日)に北京で『新春秘書新年会』を開き、これに400人以上の中央や地方の秘書世界のボスや部長らが出席した。これは地雷原に触れるような危険な行為であり、彼らが共に事件となった(*劉志軍.丁書苗も失脚したことをさす)導火線のひとつとなった。山西省の省常務委員のグループの大量の失脚(*令計画は山西人。次男の「令政策」は山西省の山西省政治協商会議副主席)もこの延長上のできごとであり、ともに同じ中心人物を狙ってのこと、つまり前中共中央事務局のトップであった令計画である」と喝破します。
《後の影響が途轍もなく大きかった「首都秘書新春を祝う会」》
この「秘書界新春を祝う会」が劉志軍に対しての影響については誰かが書いていましたが、罗昌平のような鋭いものではありませんでした。罗昌平の判断は事実に依拠したものです。一体2010年の初めというとどんな時だったでしょう?まさに中共の18大会で権力が移譲される前夜で、時期帝王の座を確定した習近平はまさに厳しい問題に直面していました。地方諸侯には薄熙来の「重慶モデル」があり北京には各政治利益集団の圧力があり、多くの人々がこの「次期君主」が「なにか失敗をする」のを期待していました。
2008年の北京五輪(*習近平が警備公安関係の総責任者、いわばトップへの最終テストだったといわれる)は寺院で外国人が殺されるという事件はあったものの概ね、公安部の「水も漏らさぬ6つの網」で一応「平安無事」にすみました。が、一国の喜びのおまつりが「軍の管理下」に置かれたという批判も浴びました。そして、常ならば2009年9月の中共17節4中全会では習近平は中央軍事副主席に選ばれて次期の最高指導者に必要な過程を経てしかるべきだったのですが、圧力によって胡錦濤に対して「中央での工作経験の不足」を理由にして自分を抜擢しないように、というお願いをせざるをえませんでした。胡錦濤と呉邦国(全人代委員長)、温家宝は相談してこの習近平の求めに同意しました。その時、令計画”株”が急騰し多くの人々が18節中央政治局常務委員になると予測しました。
令計画自身は地方のトップだった経験もなければ、政治的人脈もなく、彼がつくった「山西幇」といっても所詮は地縁の紐帯によるもので、制度的なものではありませんでした。そこで「山西幇」の「財神」である丁書苗が金をだして「首都秘書界の新年界」を開き、令計画の政治的な基盤を固めようとしたのでした。この種の動きは当時権力闘争の渦の中にいた数人の主要人物にとっては全く別の意味をもって感じ取られ記憶されました。
しかし、残念ながら天は令狐(令計画の父)一家に味方せず、2012年3月18日、薄熙来が解職された3日後に令計画の息子の令谷があの家族の運命を奈落に突き落とすフェラーリの交通事故を起こしたのでした。このあと中南海の政局は完全に混乱し、常務委員入りをいわれていた李源潮(*党中央書記処書記、中央組織部長、元上海副市長の父をもつ太子党、習近平に近いとされる)も中央常務委入りできなかったばかりか、令計画本人も政治局入りを果たせませんでした。
《習近平王の反腐敗の三つの戦場》
中国の2014年の反腐敗の特徴は「規模の大きさ、対象の地位の高さ、個人独裁新権力の構造」という3点に要約されます。しかしこれは習近平に天稟があったからそうなったというわけではなく中共の一党独裁専制体制の政治的論理から決定されたものなのです。国際協賛運動の歴史をみると、レーニン、スターリンなど共産独裁統治を樹立したものだけが権力集中の独裁者にぴったりだとおもわれます。
もし「選ばれて指導者になった」者の能力が平凡で、たとえば胡錦濤のようだと統治機構のトップ権力はこの機構の各部門を受け持つ二番手のリーダーたちに分散されてしまいます。たとえば軍隊(徐、郭)、情報・警察(曽慶紅、周永康)そして、中央事務局(令計画)のように大事な部門がそうなります。その結果、彼らはこの膨大な国家機構を手中に収め、かつ自分たちが管轄している部門を相対的に独立した利益集団に変えてしまい「複数の龍が治水」する寡頭政治になります。
この構造は江沢民・朱鎔基政治の末期に現れ、胡錦濤統治の10年間に大きく成長しました。一部の政治的眼力のある「紅二代目」はまさに自分たちの父の世代が残した「紅色の山河」がこうして軍、情報部、秘書団の天下に変わっていき”平民出身”の汚職官僚たちの食物にされるのを(自分たちの紅色貴族仲間の同様の行為はオッケー)みて危機感を深め、胡錦濤の無策を「時限爆弾をだいてヨイヤサノ ヨイヤサ と羅漢さん回しゲームしているようなもの」とおおっぴらに批判しました。
習近平の反腐敗にははっきりとした目標があります。どの一歩も上記3利益集団に打撃を与えることに主眼を置き、その間には他の利益集団の動きに目を光らせました。たとえば今年2月の広州「時代周報」が三峡集団の背後の退職した元指導者(李鵬のこと)に言及しましたがこれはただ「山を叩いてトラを驚かせる」ことで「紅色家族」の中の大虎をちょっとおとなしくさせるためで、別に彼らをすぐに「反腐敗」の槍玉にあげようとするものではありませんでした。
《反腐敗の対象リスト、さらに誰がいるのか?》
習近平王の反腐敗の跡を訪ねてみれば世論の上にあります。周永康とその背後の支持者が英文メディアをある一家やその系列の家族グループの情報を世に漏らしたとすれば習近平王は国内メディアと香港の「亜州周刊」などを利用して噂を流しました。令計画の兄の令政策と「山西幇」が今年7月に粛清される前に、国内メディアには実ははっきりとそのサインを示していました。
4月25日、中国社会科学院法治国情調査研究室の主任の田禾はインタビューに答えて「中国は個別の秘書が政治に干渉するというのが比較的重い問題である」として、その例として「最も深刻なのは 「役人と利益共同体を結成して、手中の膨大なリソースと公権力、発言権を個人の利益に供している」などと言っています。これは国内で広く掲載されました。というのは当時、周永康の秘書の4人の高官、海南省の副省長・冀文林、四川省の文聯主席の郭永祥、中石株副総裁・李華林、四川省政治協商会議主席の李崇禧がみな取り調べを受けていたからです。ですから読者はこの記事を読んでもまさかそれが「中共ナンバーワン秘書」の令計画の身上をさしてのことだとは思いおよびませんでした。
習近平の2014年の反腐敗を評価するなら、「制度が中共に与えている最高指導者の権力を名実ともに一つし、胡錦濤時代につくられた『お飾りのトップ』という状態を終わらせるために、『反腐敗』を手段として利用して権力集中の実をあげ、この統治機構の本来のロジックに合わせた」というべきでしょう。
しかし中国の腐敗の根源は制度にあり、この種の自分たちに都合の良い選択にもとづいた「反腐敗」がその根源を解決することはありません。現在、みな知っているように習近平は「習沢東」になるかもしれませんが、しかし中共権力体制に内在する論理は二種類しかないのです。それは「多数の龍が治水する」のでなければ、権力を最高指導者一人の手中に集める独裁です。前者は多くの利益集団が共同で民の利益を貪り分け合うことであり、後者はあるひとつの集団の利益を大きくすることです。私は罗昌平の「令計画の落馬は、その絶対中枢の地位に原因があったから、ということはこの反腐敗は始まったのであって収束してはいない」という見方に同意します。
最近の海外メディアの令計画に関する報道には「もう一人の団派出身の政治局委員」の名前が挙げられていますが、「反腐敗」のまな板の上にまだ誰がいるのか、しばし静かにニュースをみていましょう。(終)
拙訳御免。
何清漣氏の原文は;「令计划为何成为反腐的第三大目标?」http://www.voachinese.com/content/xi-and-linjihua-20141225/2573869.html
何清漣氏のこれまでの論考は;http://yangl3.sg-host.com/japanese/ に。