何清漣
2015年2月8日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
http://twishort.com/PE8hc
2月5日、「反腐敗」の総本山・中共中央紀律委は多くの企業・団体に関わる「巡視明細リスト」を発表し「国営企業の利益を私しする体制や、人材登用等の問題が比較的集中している」とされた中国船舶、中国聯通、華電集団、東風汽車、神華集団などの6社の中で内外のメディアの注目が集まったのが中国聯通(*中国聯合通信/世界3位 http://urx2.nu/h6Gn)の「権力とお金、権力と色」の上に集中しました。 その理由はこの企業の背後にかつての国家主席・江沢民の息子、江綿恒”王子”の影があるからです。
《利益網の中心;上海聯和投資有限会社》
2014年12月に相次いで調査を受けた聯通の重役の張智江と宗新華は多くの海外メディアからは江王子の寵臣と思われていました。そのわけは聯通が2008年に
江綿恒の創設した中国網絡通信集団有限公司(1999年設立)と合併し江は聯通の背後の実質的な権力者だったからです。
聯通の合併の経過は複雑ですが、その主力の大網通は2001年の南北電信分社化(*通信事業再編政策により、旧中国電信が新中国電信と中国網通とに南北2分割された)の中で多くの企業が再編成されてできたものです。
江王子の関係するのは上海聯と投資有限会社が投資してつくった元の網通です。2001年の南北電信分社化以後、身を引いたのは江王子のいた中国網通の共同設立人の田朔寧だけで江王子が旗下の産業を手をこまねいたまま差し上げた、という話はききません。
江王子が起業家になりたいという強い情熱を持っていたという話から考えると、彼が「他人の花嫁衣裳を作る」脇役に甘んじていたとは思えません。ですから、張と宗の二人の聯通の重臣が江王子の寵臣というのは幾分の道理があります。
(*爺注;まあ、ぶっちゃけていうと江綿恒王子さまが、王様の江沢民主席のツルの一声で南北分割された中国電信の北の半分をまるまるただでいただいた、みたい話です。その受け皿の網通は江が聯和から調達。米国帰りの留学生技術者だった田溯宁は江と共同で網通を創立したが合併後に、合わずに企業を去った。後で「蛇が大象を呑んだ話」というのもこのこと。)
財新の記事によると現在聯通に関してはまだ始まったばかりで、中央巡視グループによる調査は終わったけれども、様々な聯通トップ層についての情報が引き続き寄せられており、中央紀律委や、メディアでさえも「どれだけの大根を泥の中から引き抜くか」はまだ決まっていない、とのことです。
江王子は目立つことを好まず自らのことを表に出さないので百度百科(*中国版wiki)に出ている江綿恒の履歴は極めて簡略なものです。伝説のビジネス界の巨頭なのにたった50文字以内で、「中国ネット通信会社(CNC)、上海汽車工業、上海空港などの理事会役員」とだけでいつから理事会のメンバーなのか兼任していたのかもわかりません。問題は堂々たる中共の総書記の”皇太子”がほんとうにただの一理事にすぎないのかどうか、です。
様々な資料を当たってみたら、江王子と上海聯和の関係は;北京青年報ネット2015年1月19日発表の「江綿恒の人生の任務」では1994年9月上海聯和投資会社が作られ江綿恒は法人の代表で(さらに調べると、江は法人代表兼理事長、主任総経理は楊雄・現上海市長)。
資料によると上海聯和投資は上海市政府が批准して成立した国有独立資本の有限会社で、上海市国資委に直属。その投資領域は科学技術、電信、航空など多方面にわたり、ソフトウェアでは中国網通、マイクロソフトMSN、交通航空などの分野では上海自動車、上海航空、上海空港、、金融領域では上海銀行などなどです。文化領域では鳳凰テレビや米国ドリームワークスと中国上海が合資で創設した東方ドリームワークスなどです。これらの企業の背後にはすべて上海聯和投資の影があります。さらに上海航空株式有限公司の2001年度報告をざっとみると江綿恒の身分が同社の法人代表になっています。(通常法人代表は代表取締役がなります。)
《新太子党が資本のマーケットに進出する”パイオニア”だった》
「紅二代目」という言い方が一般化する前に中国トップ層の指定は海外メディアと北京の内輪話の席では「太子党」と言われていました。そのうち、中共が政権を取る前からの高級幹部の子弟は「老太子党」といわれ、第三、第四世代の指導者たちの子弟は「新太子党」といわれました。このふたつの太子党が富を築くやり方は異なり、後者は金融分野に偏っています。
英・ファイナンシャルタイムズ2010年3月29日の「金のために生まれてきた太子党たち」にはこんな記述があります。;「江綿恒は20世紀90年代早くに上海に戻り、外国の投資家から中国最強価値の合弁パートナーと絶賛された。現在、彼は上海聯和投資有限会社という私的ファンドに極めて似た形式の政府投資会社を牛耳っている」と。
温家宝の息子の温雲松、劉雲山の子、劉楽飛の国開金融などの私的ファンド会社は江に比べて10数年後ですから「資本マーケットでは江錦恒はまずその名に恥じない新太子党のパイオニアといえる」とあります。この文章が書いてないのは「江綿恒と朱雲来(*朱鎔基の息子)は第3代技術系官僚の領袖の息子で彼らは今日の太子党の勃興への道を舗装した、という「開拓者」として果たした役割です。。
ある太子党たちとの付き合いの深い人物は「この二人は確かにみんなに一種のイメージを与えたね、それは「紅色家族が国家を統治するのは自分たちの利益のため、ということで彼らがより若い世代の太子党の面々に、かれらが『自分たちさえボケットに金を詰め込んでオーライ。それが党や指導者のイメージに何をもたらすかなんてことは気にしないでオッケー』、という流れにゴーサインをだした」と評しています。
こうした私的ファンドの投資先は一般には秘密になっていますが、しかし最近あるニュースからこうした投資者は地位の等しい仲間と”同族結婚”することがわかりました。「安邦の大冒険」(http://urx2.nu/h7e5 参照)では、上海汽車集団と中国石化は鄧小平の孫婿の呉小晖の安邦が発起人株主で、初期に2割の第一株主でしたが、中石の陳同海事件(*収賄で死刑判決)がおきてから率を下げて、安邦が増資を重ねるうちに次第に持ち分を少なくしていき2011年の増資後は上海汽車の比率は6.317%、中石は2.817%でした。
《GFW=インターネット遮断の壁=の立役者、中国国内ネットの創始者として》
現在、中国人は中共が全力でGFWでインターネットを遮断して、中国地域内ネットを作っていることに憤りを感じています。しかし彼らが知らないのは誰がそれを考えて実行にうつしたか、ということです。
早くも2001年、中国国内ではGFWのなんたるやが余り理解されておらず参加企業は光栄だ、ぐらいにしかおもってなかったのですが、米国の研究者・Greg Waltonは「China’s Golden Shield」ですでに中国はWTO加入で開放的な姿勢をとっているが、「一部の役人は依然としてしっかり中国の情報網を。中国にとって危険な世界の情報から切り離す夢をいだいている。江沢民の息子で科学技術会の有名人である江綿綿中国科学院副総裁は上海の会議で「中国は必ずインターネットと切り離された国内ネットを作らねばならない」と表明している」と指摘しています。
巨額の費用をつぎ込んだGFWプロジェクトで江綿恒とその盟友の田朔寧の創立した中国網通は中国の今のネット監視網の中心的役割を担ったのでした。そして江綿恒はその全工程の指導的人物だったのです。
前に述べた中国網通が江がバックにいることで 2001年の中国電信の南北分離のガラガラポン再編成のなかで網通がなんと中国電信の北方の半分を仕切るようになり、まるで「小蛇が大象を飲み込む」ような中国資本市場の神話的な一幕を演じ、業界をアッと言わせたのでした。
江王子は目立ちたがらず謎に包まれた存在なのですが、実は大変多くのことを成し遂げています。外界はただそのちょっとを知っているだけです。「江綿恒の人生の役割」は1999年7月に中国科学院が批准し始まったイノベーション基地としての「上海高等技術研究発展基地」は当時、江綿恒が所長だった上海冶金研究所などによって作られ、中国のハイテク研究の「国家部隊」の誉れを担いました。
時の中共総書記・江沢民はこれに対して新しい役割として「基礎性、戦略性、予見性」を求めたので上海冶金所は主に情報通信、マイクロシステム、マイクロエレクトロニクス方面を目標として江家の親子が手を携えて中国のネットを地域内にとどめるための青写真を作ったのでした。
ですから江綿恒の「科学研究成果」をあげる時は、中国人が心から憎んでいるネット監視システムを立ち上げかくも巨大にした功績は江家の父子に半ばある、ということを決して忘れてはなりません。
江綿常はウォールストリートジャーナルに「電信マーケットの革命者」と書かれましたが、この筆者はまさかその革命の内容が監視技術の大発展であり、その結果中国がオーウェルの「1984年」のビッグブラザーの世界になったのだ、ということはご存知なかったのです。