何清漣
2015年5月16日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
http://twishort.com/tOnic
今年5月2日、黒龍江省の駅で82歳の母親と3人の幼子をかかえた徐纯合が駅で警官に暴行し射殺された事件の真相はまだ調査中ですが、この事件は中国社会の深い亀裂を表すのみならず、将来この亀裂が一層酷くなる予兆でもあります。この事件は個人の生命につぐ権利の問題、徐の死因の原因にかかわる問題があります。
徐は上訴難民(*北京に訴えに貧民が地方から上京すること。適当な訳語が日本語にはないのでジジが勝手に『籠訴』のイメージでこう呼んでます。)となってその間に射殺されたのですが、になった理由は孤児院に3人の子供を収容してほしいと望んでいたからです。孤児院には前に、二親がいるから収容を断られていました。これは親権責任と国家の親権にかかわるもので、つまり一個人の倫理と国家の倫理の問題なのです。
《「国家親権責任」とは何か》いわゆる「parent of the nation」
すなわち、国家の公権力が父母の役割を果たせない両親や法定責任者に代わって児童を保護する父母の役割を担うことです。同時に国家は虐待や遺棄された児童の家長に対して処罰を行い、児童少年の利益を守ります。これはすでに現代世界の文明国家では公認の児童保護の基本原則です。私がこの問題に注目したのは2013年に南京の李家の子供姉妹がその母親に餓死させられた悲劇で、彼女らが孤児院に収容を拒絶されたからです。その可哀想な姉妹は餓死する前に孤児院からやはり徐純合と同じ理由で収容を拒絶されていました。しかし事実上、麻薬吸飲者で仕事もない徐の同類は親権を果たせる人たちではありません。
マイクロブログの徐純合の自分で書いたものによるとその家庭には82歳の老母と神経分裂症の妻がおり、自分は45歳で先天性の心臓病、腎炎を患い病歴は3年余り。別に6歳、5歳、3歳の子供がおり家族6人中5人が生活保護を受けています。この種の家庭は米国であれば「扶養能力なし」の家庭とされ(貧困家庭、と同じではない)、本人が願い出さえすれば社会の救助システムがその子供たちを収容します。これは国家の親権責任の履行とされ、それは納税者のお金で失業両親から負担を除くという意味ではなく、子供達が正常に成長できるようにするのを保証するためなのです。
友人や近所の人の徐にたいする意見をみると徐は生活に失敗した男です。この種の失敗者は世界各国どこにもおります。彼らの境遇は各国の福祉制度と自分自身の選択にかかっており、社会的援助の対象者になるかあるいはホームレスとして生きるかです。しかしこうした人々の子供達に対しては、発展途上国と発展した国家ではやり方が大いに違います。途上国の失敗者は子供に物乞いをさせても違法ではありませんし政府も「国家の親権責任」を考慮したりしません。
しかし、米国では両親が我が子に物乞いをさせたら法的に処罰を受けます。しかし扶養能力のない人たち、南京の姉妹の母親やこの徐のような状況なら子供を福祉施設に送り、両親に代わって養育するか、あるいは養父母を探すことができます。麻薬中毒者は政府に強制的に養育権を取り上げられ、国家の親権責任が履行され、両親が正常な状態に回復まで子供は保護されます。
《中国の児童の権利の欠如》
国家が児童の最後の養育者の役割を果たすというのは現代政治文明の進歩の結晶です。いわゆる進歩というのは観念が進歩することを意味します。すなわち子供は課長の私物ではない、という考え方です。この点で中国は今にいたるまで前近代社会の水準にとどまっています。家長は子女に対して絶対的な権利を有しており、ひどい場合は虐待、遺棄、極端になれば殴って子供を死なせることもあります。
虐待されている児童の数は不明です。中国のメディア報道からみると各種の児童傷害事件は頻発しており、性的暴力や嬰児殺し、針をつきさしたり、首を切ったりむちゃくちゃです。2013年8月、山西省の臨汾市汾西県では幼児の目玉を抜くという凶悪事件まで起きました。「子女殴打死亡」というキーワードで検索するとすぐさま、山西、大連、貴州などの地方でこうした凶悪無残な事件が起きていることがわかります。その理由は子供が宿題をしなかったとかネットゲームに夢中になっていたとか、両親の気分が悪かったからなどというのまであります。
貧しい家庭の子供達が物乞いをさせられているなどというのは当たり前に見られることで、徐純合も生前、母親や妻に子連れで物乞いをさせていました。親の勝手で遺棄された子供たちはさらに多く、米国国務省の「養子ビザ統計」によると1999年から2010年に全部で64000人の中国人孤児が養子となり2005年には最高の7900人を記録しました。当時、米国が養子とした外国人孤児3人に一人は中国から来たのでした。米国以外に中国から養子を受け入れている国はデンマーク、フィンランド、スペイン、仏など14か国あります。
そしてこれらは中国の遺棄された孤児のうちの一部分です。こうした状況が出現するのはひとつには中国の一部の社会構成メンバーの道徳観が地に落ちて底抜け状態にあること。もうひとつは中国の児童保護の法律に深刻な欠陥があるからです。現在、中国の貧富の差がますます激しくなっている現状から、失業者が日増しに増加していることをみると両親が親権責任を果たせない、果たそうとしても無理な状況はかなり普遍的にありましょう。中国は前近代的な「親権絶対」の観念に替えて、漸進的に国家親権という考え方を作り出さねばなりません。
《中国政府は国家親権の責任を負うべきである》
国家親権の原則から言えば、児童保護はまず政府の責任であり以下の三つの方面からをおろそかにしてはなりません。
①国家の立法の側面で児童の権利保護を重要な内容とし、法律で児童保護を容赦なくやる、という原則の実行。
②司法の家庭で児童に対する犯罪、父母の虐待に対し犯罪だとはっきりさせ厳しい罰則をつくり実行する。
③両親が児童の保護者としての責務を果たせないような状況下では国家が庇護し、政府が養育する。そのために児童に関係する職員たちにしっかり「子供は被害者」というような場合にはかならず即、報告をあげる。政府は家庭や学校、社会の力を通じていつも高度に警戒し児童の安全で健康な成長環境を守る。
中国の法律家の分析によると「未成年保護法」はあるのですが、罰則規定がしっかり揃っておらず使いにくいもので、裁判などでは往々にして、治安管理処罰法や刑法でこの種の問題に対処しています。しかし刑法には故意に児童に障害を与えた場合に対する専門的な保護規定がありませんから、往々にして第61条の「犯罪分子に刑罰を決めるに際しては、犯罪の事実、性質、上場と社会への危害の程度に基づいて、本法の規定に依拠して決める」というのを採用します。しかし、故意に児童に障害を与えた事件では
犯罪手段は往々にしてみな非常に残忍で野蛮で、犯罪の対象は犯行能力のない児童や赤ちゃんで、その危害の結果は極めて深刻であり、児童の一生に影響を与えますから、法律の威嚇力が足りなければ犯罪者に思いとどまらせる力がありません。
《国家親権責任を確実にするためには地域をしっかりさせないとだめだが》
しかし、国家親権という観念をしかと根付かせるためには地域住民からです。未成年の保護育成は「家庭内のこと」でも「国家のこと」だけでも済む問題ではありません。国家がちゃんと役割を果たしていない両親の保護養育権利を剥奪するのは英米のメデァイでは始終みかける記事です。いま、英米各国はとっくに「強制的早期通報制度」を作っています。そして児童が日常的に接触する人々はすべてその数にはいっており、虐待の基準もすでに細部まで詰められて暮らしのなかにはいっています。例えば家中が散らかり放題とか食事を与えるのがでたらめだとか、隣家で喧嘩する声に子供の泣き声が混じっており、それが殴られたりした疑いがある場合は、警察にしらせなければなりません。学校の教師は生徒の体に傷跡などがあればかならずその理由を聞かねばならず、もし虐待を受けていたなら通報義務があります。それを怠ればクビです。一旦、両親がその義務を尽くしていないとはっきりした場合は、その児童養育権は剥奪され、ひどい状態なら両親が獄につながれることもありますし、またその両親を矯正する方法、つまり専門家によって、その両親が正常に養育の義務を果たせるように心理的回復治療も受けられます。
中国政府は世界でもっとも緻密なスパイ密告網を国中に営々と築き上げてきましたが、ほんとうにやるべき通報制度の方は軽視してきました。隣人や近所の人々が子供の養育をちゃんと果たしていない両親を注意しあうということをやっていません。もし、徐純合が米国で暮らしていたのなら、彼の状況から見て申請さえすれば関係機関がすぐその子女を適切な家庭に養子縁組をできるように援助の手をさしのべたでしょう。その場合、養父母になるための審査はきわめて厳格で、かつ一定の間、観察期間が設けられます。
先に述べた2013年の南京の姉妹餓死事件は、地域の自治と国家の親権責任の両方共が欠如していた状況で起きた悲劇でした。「南方周末」報道によれば、二人の姉妹は餓死する三ヶ月余まえに姉妹はよわよわしいとはいえ、生存への本能からがんばっていたのですが、救いの手が一つずつずれたのでした。警察はせっかく逃げ出してきた姉妹を麻薬中毒の母親の元へ戻してしまい、面倒をおそれた隣人は最後には李一家の鍵を返してしまい、地域の役員は孤児院にいれる条件があわないから、と拒絶しました。たとえ全ての関係者が自分たちは力をつくしたとおもっていても、結局二人の子供は死を免れなかったのです。その原因は中国がこの種の、子供の面倒をみられない両親の子を実際に助ける具体的な法的規定がなかったことによります。もし米国でありばこうした遺棄児童がみつかればすぐ救いだされたでしょう。
アジアの国々は人口が密集して、不幸な子供の数は欧米の比ではありません。中国はあるいは米国のような完備した制度はできないかもしれませんが、すくなくとも日本に学ぶことはできるでしょう。政府に国家親権の責任をとらせ、親族や民間の力を動員して、父母がありながらどうにも子供の面倒をみられない不幸な子供たちを収容し、「徐純合」達の数を減らすことは。(終)
拙訳御免。
何清漣氏の原文は;「徐纯合之死缘起:国家亲权责任缺失」http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-xuchunhe-20150515/2771400.html
何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;http://yangl3.sg-host.com/japanese/