何清漣
2016年1月20日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
https://twishort.com/CuNjc
2016年台湾の総選挙(中華民国総統選挙及び中華民国立法委員選挙)は疑いもなく台湾政治版図を塗り替えるものでした。蔡英文と民進党の全面的勝利とその戦果は輝かしいもので、総統府とともに立法院でも主導権を勝ち取りました。しかし中国大陸や外部ウォッチャーはこの選挙の過程で「台湾独立」のテーマが薄れて行ったことの意味についての理解が足りないとおもいます。私の理解は;北京政府当局や中国大陸の中国人が台湾にどんな態度を取ろうと、米国が突然没落するとか中国がホワイトハウスと台湾に対する態度を改めるとかといったことで国際的なパワーバランス構造が変わらない限り、台湾は今後、10年は事実上独立状態でありつづけ、徹底的に中国人というアイデンティティーに決別し、台湾アイデンティティーだけになるだろうということです。
★国民党の衰亡;中共は台湾との最後の絆を失った。
2016年台湾総選挙の結果、民進党は68議席を獲得し、再び立法院第一政党(一度目は2001年)となり、かつ過半数以上の議席を獲得し絶対多数となりました。政権政党だった国民党は64議席から35議席に減り、第一党から再び第二党になりました。ブルーを党カラーとした勢力(*国民党)は初めて議席の半数を割り、新政党「時代力量」は5議席を獲得し、議席のない台湾団結聯盟に変わって国会の第三党になりました。今回の選挙の結果は、ひとつに、台湾の政界が緑(*民進党)におおわれ、ふたつに国民党が「中国国民党」としての政治主体的な生命が尽きて、今後は「台湾国民党」として存在するしかなくなりました。三番目は中共のめざす台湾統一という大業において、台湾で適当な代理人を探すのが難しくなりました。
北京の目から見ると、台湾の政権政党が変わったというのは本当の問題ではなく、国民党が分裂崩壊して衰亡に向かっていくことで北京が願う「統一の大業」への同盟軍がいなくなったということこそが大きな頭痛のタネでしょう。
国民党と中国共産党は一世紀の間、中国の政治風雲の中で恩讐のからまりあった仲でした。20世紀前半には二度にわたって「国共合作」がおこなわれ「戦いながら交渉し、交渉しながら争う」関係でしたが最後に国民党は破れて台湾に逃れ、「変化の時を我慢して待つ」ことになりました。蒋介石の政治方針は「台湾建設、大陸反攻、三民主義の統一中国」でしたし、生涯、「大陸光復」が最大の望みでその望みが叶えられないことが拭いされぬ心痛となったのでした。
息子の蒋経国は時勢をわきまえ、自分が「専制を終わらせる最後の専制者」と決意していましたが、それでも公然と大陸奪還の夢を放棄するとはいわず、「一国二政府」の政治的現状を堅持しました。「一国二政府」の意味は「両岸の大陸と台湾は二つの国に決してならず、ただ一つの国のもとに二つの政府がある状態」を意味します。
私は台湾に二度行ったことがあり、少なからぬ国民党の二代目エリートたちと会ったのですが、彼らは話していて「あんたがたは大陸人、私たちは台湾人」という意識が言葉の端から覗くことはあっても、決して自分たちが中国人ではないという言い方はしませんでした。
馬英九は国民党の主席として台湾中華民国総統の任期中、ずっと「平和的、民主的に統一された中国」を主張し続けました。この夢のなかの「民主」は当然、北京は決して受け入れることのない内容であり、「統一」は台湾の緑派や若い世代が決してのぞまない未来の姿でした。そして北京が両岸貿易協定が合意に達し実現さえすれば「平和的統一台湾の実現」という夢が叶うと期待していた時に、なんという天の配剤か香港で「オキュパイ・セントラル運動」(2014年9月)がおきたのでした。中共はあの手この手で結局、この運動を成果なしで終わらせたのですが、しかしこれが台湾に与えた影響は巨大なものでした。台湾ははっきりと習近平の「一国二制度」構想を拒絶したのです。かくて時の勢いは後戻りできない「非中国化」のハイウェイを走り出したのでした。「ひまわり運動」はこうした背景のもとに生まれ、民進党に再び政権を掌握して方向転換の機会をもたらしたのです。
★「統一か独立か」というテーマが消えた台湾の選挙は、事態の始まりにすぎない。
2016年の選挙中に起きた周子瑜事件(*韓国で活躍する16歳の少女タレントが青天白日旗の小旗を出したことに対して謝罪させ、却って台湾選挙民が反発して民進党に投票した、と言われる)は選挙情勢を加速させたというよりは、台湾人に「非中国化」の正当な理由を与えたと言った方がいいでしょう。というのは2016年の選挙のテーマは例えば、台湾の経済成長の深刻な停滞とか給与が上がらない、主要都市の不動産が台北のように高すぎるといった主に経済問題で、「統一・独立」の話ではなかったのでした。
台湾人は実は民進党がかつて政治経験があるといってもいまだに反対政党的な色合いを脱しておらず、選挙には強くても政権運営は上手ではなく、経済発展はその得意とするところではないとわかっているのです。その上、蔡英文は今回の選挙で勝利が寝てても転がり込むというような情勢で待ちの姿勢だったので、経済発展の議論については一般論に終始して細かい青写真を示そうとはしませんでした。しかし台湾の中立的な民衆(元々は国民党支持者も含む)は、この先経済が厳しくなるという「硬い小骨」を飲み込んでもやはり蔡英文が代表する民進党に投票したのでした。これは台湾の未来の政治的選択が「台湾は台湾人のものであり、大陸に属さない」というものであることを予言しています。
ですから、蔡英文が主席になったのちも経済ではなかなか大変でしょうし、台湾人も少なくともある程度の期間は様々な理由で文句はいわないでしょう。というのは
まず台湾は経済的に高度に大陸に依存しており、輸出は4割、投資は7割以上が対中投資だということ。蔡英文はもっと米国や日本、東南アジア地区との経済関係を発展させるといいましたがこれらの地域との経済交流や、台湾自身の経済構造転換には時間がかかります。次に中国経済が下降しており、それによって全世界の経済が影響を受けている今、世界経済全体が下向きで台湾の経済振興への難度はさらに高いもになるからです。
以上の問題は馬英九政府の時期に大衆の不満を買ったわけですが、蔡英文政府になったとしても状況は同じでしょうから、台湾民衆の我慢強さのハードルはもっとあがったのです。馬英九政府の最後の2年間は台湾の民心を失ったわけですが、これは馬英九本人の「失徳」のせいではありませんし、経済を上昇させられなかったからでもなく、彼の「平和民主的統一中国の夢」のせいだったのです。台湾の本土派や若い世代から見たら、馬英九の統一の夢は人を馬鹿にしたような話と受け取られ、北京からみたら「民主」の二文字は目障りでした。
国民党が二度、選挙で負けた時の状況をくらべてみらば、2004年では得票差は29488票だったのが、今回はなんと300万票の大差でした。この12年間のうちでもっとも大きな変化はつまり台湾人の台湾への位置付けです。台湾は大半であって大陸は大陸だ。大陸の諸君、無理やりわしらを一緒にせんでくれ、と。ツィッター上では台湾独立を支持し、台湾が中国の民主化をたすけてくれることを期待する大陸の異議人士に対して「お前さんがたは自分で民主したければ自力で勝ち取ってくれ。おれたちがそのために頑張るなんて期待せんでくれ」というのもありました。
★2016年後の台湾・大陸関係の現実
「台湾独立」はないでしょう。しかし台湾をひとつの独立した政治実態だとみなすことは台湾人の共通認識になるでしょう。理由ははっきりしています。「台湾独立」には武力の後ろ盾が必要ですが、台湾が後ろ盾と見なしている米国が現状維持を期待しているからです。蔡英文は米国の顔色を伺わざるをえないことから、中国との関係においては曖昧模糊とした言い方で妥協のするということを学びました。1月16日の選挙後の記者会見で蔡英文は重ねて「中華民国の現行憲法体制で中国との協商交流のせいか、および民主原則と普遍的な民意をもって中国とのとの関係を進める基礎としていく」と述べ、「今後の対中関係の処理には積極的に意見を交換し、挑戦的な態度はとらず、現状維持するという約束は必ず守っていく」といいましたが、この話は米国向けのもので、「台湾独立」はしないという再度の約束です。
国民党は現在、敗戦処理によってなんとか党を救おうとしていますが、なんとしてもこの百歳になる老政党は2016年後はさらに衰微の方向に向かうでしょうし、それは北京にとって台湾で「統一」への政治的パートナーを失うというだけではなく、台湾と中国の最後の強い感情的な絆を失うということです。
中共から見て「台湾政治の足をひっぱる悪いやつ」であった「台湾独立」派はすでに台湾の有力な政治勢力ではありません。中共が各種の配慮から武力を使って統一をしないとなれば、あとはいかなることも言葉の遊びで、北京のメンツ維持のためのものになりましょう。
事実は;「台湾は中国の一部」というのは大陸中国人の願望にすぎないということです。大陸はいま専制政治体制であることも台湾が統一を拒否する理油です。はるか遠い将来のいつの日か、大陸側が民主化を実現したとしても、台湾人の台湾アイデンティティーは統一されることを望まないことでしょう。(終)
拙訳御免。
原文は;2016年:台海两岸的政治羁绊已断