独裁専制国家の民衆がメディアを信用しないのはメディアが政府の厳しいコントロール下にあるからです。西側のメディアはしかし十分言論の自由を謳歌できるのに、その価値観の立場が「選択制報道」になってしまって信用を急速に失っており少なからぬ大衆がソーシヤルメディアの方を選択するようになってきました。
★メディアをコントロールしている国が他国のメディアに中立を求められるか?
数日前にツイ友の@CHNconscienceが「中国の現体制に反対だといいながら、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)とかの海外メディアが”一方的だ””中国の現体制反対の番組や文章ばかりのせて、司馬南とか孔慶東(訳者注;どちらも中共党員)といった人物をほとんど載せない、とかいうんだけど、自分はこれはVOAの価値観だからとやかくいうことではないとおもうし、一面的だともおもわないけど、何先生どうおもわれますか?」という質問がありました。
で、私は即座に「VOAはとてもよくやってるとおもう。中国の何千もあるメディアは中共の言いつけ通りに駆け回って、一切の批判の声をのせないし、海外の中国語メディアだってそんなことを始終やってるわけです。この批判をした人に言いたいのですが、まず中共中央宣伝部(*訳者注;メディア規制、監視、命令の総本山)に人民日報や中央テレビに中共反対の異議人士の発言を掲載するように意見を出してみたらいい」と答えました。
この問題は大変わかりやすいもので、こうした見方の人々がまったく無視していることがあります。まず中共の巨大な対外宣伝メディアともうほんの少しししかない共産党下でない海外中国語メディアの数的な不均衡があります。さらに中国の膨大な五毛(*中共お雇いSNS書き込み要員。その数数百万と言われる)が海外の中国語ネットでその主催者やライターに向かって画面いっぱいに罵声を浴びせて埋め尽くしても、その書き込みはそのままです。が、中国国内のあらゆるネット上での書き込みは厳重にチェックされ削除されています。中国の官製メディアの記者は米国では取材制限がありませんし、新華社や人民日報は米国にみな支局を開設し、かつ米国政治、経済、社会状況やニュースに対する一切の報道が自由ですが、中国での外国メディアの取材は厳しく制限され、さらにGFW(ネットの長城、外国ネットのアクセス遮断装置)によって外国メディアが入ってこないように遮断しています。これらすべて海外の中国語メディアの「自由度」です。
中国の宣伝というのは洗脳ですから、こうした海外の中国語の少数のメディアのやっている仕事は中共とは異なった観点を繰り返し述べ、中共の宣伝を事実の真相に戻すということをやっているだけなのです。そこに中共側の胡锡进(*「環球時報」編集長)、司马南といった(*中共側)も招いて討論させるのですが、この程度では全く反洗脳効果といえるほどのことなどありませんで、せいぜい世界のネットに接続できない大陸の中国人の気晴らしにちいさな窓をちょっと開けた程度です。
ですから、こうした限界を課せられている海外の中国語メディア報道に対して、なお自分たちの目に「公正」で「中立」だと映るようにせよ、というのなら、あまりにも無知なのか、もうはっきり恥知らな、さらに混乱させようとするのが目的なのでしょう。
ただこれは中国のメディアコントロール下の報道というとは別の問題なのですが、西側の自由世界のメディアが本当に自分で言うほどの中立の価値をもっているでしょうか?長い間みていると、とくにこの二年ほど西側国家の問題を報道する上で、彼らもまた自分たちのイデオロギーにあまりに縛られすぎています。
★西側の自由なメディアの「ポリティカル・コレクトネス」
西側の自由国家のメディアの資金源はそれぞれ異なっており、また自国文化の淵源も違い、表現の仕方もいろいろでなかなかわかりにくいものです。が、2015年以来、西側国家の政治、経済、社会状況の劇的な変化は世界にその”正体”といったものをみせつけました。「ポリティカル・コレクトネス(*政治的・社会的に公正・公平・中立的で、差別・偏見が含まれていない、という立場)」によって、すくなからぬ西側メディアは一方的な報道に傾いているという状況が浮き彫りになったのです。
まずドイツのメディアですが、今、ドイツは深刻な難民問題の危機にありますが、メディアは政治家たちが問題を自己批判を求めながらも、自分たちが「難民歓迎」の旗を振ったことによって起きた影響については反省しようとしません。
最も有名な事件は2015年12月31日に起きたケルン中央駅で、被害者1200人以上がでた2000人から3000人のアラブ系男子による集団痴漢事件です。同じ日にシュツットガルトやハンブルグでも同種の事件が約10件発生しました。これらの事件はソーシャルメディア上では大騒ぎになったのですが、ドイツにあれほどあるメディアは「ポリティカル・コレクトネス」の立場から沈黙を選んだのでした。2016年1月4日になってからようやく「フランクフルト・アルゲマイネ新聞」が「ケルンのセクハラ事件で、女性市長が緊急会議招集」というタイトルで報道し、他のドイツメディアはやっとまるまる三日間の沈黙のあとで報道し始めたのでした。
この状況はその後、多少改善されたとはいえ、毎日今、ドイツでおきている難民による強姦事件、強奪事件を掲載しているのは地方の小さな新聞メディアなどで、政府や与党から資金援助を受けている放送局など主流メディアはみな相変わらず沈黙しているのです。民衆はしかたなくソーシャル・メディア上で不満をぶちまけており、そうした舞台を「メディアの代替え物」としています。
保守主義の伝統がなお残る英国ではメディアは明らかに違っております。6月23日、英国で行われた「ユーロ脱退」の是非を問う投票前に、英国の大小のメディアは別に世論を統一しようなどとはせず、みなトップでニュースや論評を伝え最後の週末には賛成派・反対派が互いに一歩も譲らずぶつかり合いました。英国のフィナンシャルタイムズによると報道部門の英国艦隊の配置は
《はっきり脱退支持》ザ・サン、サンデータイムズ、デイリー・エクスプレス、サンデー・エクスプレス、雑誌ザ・スペキュレイター
《はっきり脱退反対》フィナンシャルタイムズ、ザ・タイムズ、雑誌エコノミスト、オブザーバー、サンデー・ミラー、サンデー・ポスト等。
このほかに立場ははっきりさせなかったのが、デイリー・メイル、デイリー・ポスト、ガーディアン、デイリー・ミラー
メディアの見方が異なっていたことで、読み手の大衆は双方の見方を知ることができてはっきりポイントが理解できます。ドイツのようなメディアと政府の立場が一致して「社会的にポリティカル・コレクトネスを保持」しようとするよりは社会への影響はマシだといえます。
米国の主流メディアがドイツのメディアと違うのは政府への経済的依存がない点ですが(*ドイツの放送局はNHKのように視聴料の強制取り立て制度がある)、それでも「ポリティカル・コレクトネス」を重んじるという点では大体似たようなものです。
わたしは先に「責任を果たさなかった米国メディアー2016年米大統領選挙ー
heqinglian.net/..ential-election 2016年7月9日)で、「ポリティカル・コレクトネス」がメディアを「片目」(*自分たちに都合の悪いニュースに目をつぶって報道しない)になってしまい、米国民衆の気持ちと乖離していくことを分析しました。現在、少数の研究者が2016年の大統領選挙における民意分裂を認めて米国のエリートメディア群が社会状況から乖離することに注目しています。例えば「フォーリンアフェアーズ」の2016年7月号に掲載された「米国の青年はなぜ”新自由主義”を信用しないのか?」では今年4月にハーバード大学が行った民意調査で、米国青年の資本主義支持率が史上最低になったことを報じていますが、主流メディアの多くは依然として自分たちの「ポリティカル・コレクトネス」を堅持しております。
米国メディアでは主流で無い少数のメディアが異論を報道しておりますが、英国のように彼我の力が拮抗して完全に分裂しているのとは違いますから、多くの米国人は自分たちの意見をソーシャルメディア上で発表しています。
★人々の自立した思考の水準がメディアの影響力を決定
メディアが管制下にある国家では民衆はただ政府側が民衆に注入したいとおもっている情報しか受け取ることができませんから、独立した思考の持ち主は政府側から異端児だとみなされがちです。しかし、西側国家では自分の頭で考えることができる大衆の水準が、自分たちのメディアの情報をどこまで信じるかを決定します。
ドイツ人は総じて左派的なイデオロギーに深くとらわれているようです。その典型的な例が、難民に強姦された女性が警察に通報したがらず、その理由が「難民の評判を落とすから」だといったというのです。ドイツの「Osnabrück」新聞の7月4日の記事(中国語訳;world.huanqiu.c..07/9122462.html)によると、マンハイムから来たドイツ左派党の青年組織の責任者であるシリン・クローン(*音訳)は難民に強姦され、カッセルからきた3人の女子高校生は通学の往復に難民たちに痴漢行為をされつづけたのですが、「難民の評判を悪くしたく無い」という理由で本当のことを言わずに沈黙するほうを選んだのです。しかし、事件が明らかにされてしまい、シリンはフェイスブックに難民宛の公開状で「私が一番心配しているのは私の受けた性的な事件によりみなさんに対する差別の目がさらに悪化することです」「私は民族主義的な人々があなた方を問題視するのをみたくない。大多数の難民は”とてもいい人”たちなのですから」と書きました。
しかし、英国人は違います。ドイツがシリア難民歓迎文化に陶酔し、EUの少なからぬ国家の人民が集い、難民受け入れを要求していた時でも英国人の態度は比較的自制的でした。EU脱退を決めた国民投票の前でも、世界中が英国の脱退を馬鹿げたことで、将来英国に災難をもたらすだろうと思っていても、過半数の英国人はメディアの誘導に乗りませんでした。
BBCのドキュメンタリー「ベルサイユの栄枯盛衰、主人公は誰?」のなかにもそんなシーンがありました。大勢の英国人が脱退を決定する前にEUの総本部に行き、そこで働いている人たちにEUの運営状況を聞いて、EUの何が優れた点なのかを問いただした結果、「我々は6億人の大ファミリー」という点しかないと知って脱退を選んだのでした。
2016米国大統領選挙は、全体から見ると米国人の独立思考能力が英国人に劣らないということがわかります。2015年から、米国の主流メディアはみなトランプを嘲笑い、若い頃の経歴、動作、言葉遣い、社交圏、家族にいたるまですべてといっていいほど嘲笑やからかいのネタにしてマイナスイメージにしました。共和党内部でも無数のトランプ攻撃が行われました。しかし、最後にはなんとトランプが17人の並みいる候補者たちを打ち負かして共和党大統領候補に選ばれたのでした。これは半数以上の米国人がメディア世論に左右されなかったことを十分に説明するものです。
自由国家のメディアはこれまで「第四権力」と自称してきましたし、それは社会のエリートが文化の覇権を独占してこれた重要な領域です。自由なメディアもずっと自分たちの信用ある情報発信力というのは中立という価値の上にあり、と信じてきました。しかし、この神話はまさに彼ら自身が過度に「選択性の報道傾向」を示したことによってぶち壊してしまったのです。彼らを信じなくなった大衆はソーシヤルメディアに向かったのでした。(終)
拙訳御免。
原題は;世界共同的焦虑:受众对媒体的信任弱化
voachinese.com/..29/3440693.html
何清漣氏のこれまでの論評(日本語)は;heqinglian.net/japanese